piano class emi.i.

いいピアノを弾きたい

ピティナ地区本選入選ならず

2010年08月15日 | 音楽教室
B部門C部門D部門とも私の生徒さんたちの挑戦は終了しました。
・・・というか 地区予選で合格 以上の目標はもてなかったようで、4期のうち2期で地区予選を通過しその後残りの2曲を前の2曲のように弾き込むことは精神的に一段落してしまうと難しいですね。
当然予選通過者ばかりが集まるのだからレヴェルは高いし、(だからきっと自分は無理だろう・・という考えがあったかなかったか?)地区本選そして全国大会を目指している子供たちには地区予選、地区本選の大きさが違うでしょう。
わたしのところの3人も磨けば必ず光るものを持っているけれど なぜか 緊張感が切れたまま本気モードに突入できなかったので、それは私のやり方でもっとうまく導けたかもしれないなあと反省です。
音楽的なことの前に モチベーション問題。
本人 お母様に地区予選が通過で充分という感じに私がムチを持って(合格目的でなくとも) 方向性として地区本選にだって マジで挑むのがとーぜん!という姿勢でおしりをたたくべきだったかもしれません。
やっぱり ベストを出せないと悔しいのは本人だから。悔しい思いをさせてしまってごめん。
こういうコンクールやオーディションで学ぶことは多いです。みんなありがとう。次に生かしましょう。
まだ この夏毎日コンクールの予選が残っています。モシュコフスキーとバッハ平均律。本選の課題曲と同時進行させてあくまでも本選入賞を目標にしなくては。


イッヒ グローレ ニヒツ  Ich grolle nicht

2010年08月08日 | 演奏会
詩人の恋の7曲目 「恨みはしない」という曲について。

失恋は隠しようのい事実となる。(やっぱりね。)
ハイネの詩は 「私は たとえ心が張り裂けようと 恨みはしない 永遠に僕のものではなくなった恋人よ・・・」
と始まる。歌は懸命に相手を赦そうとしている。
でも恨みはしない、といいながら、
ピアノはガンガン和音を鳴らし続ける。
どう聞いても 怒ってる。恨みはしないと口でいいながら、心の底の怒りは煮えたぎっているのだ。

よくいう、「口ではなんとでも言える」ってやつですね。
または、頭では赦しているつもりでも 心の底では未だ赦せていないパターン。
恨みはしない=赦す ではありませんけれど・・。
言葉では (この場合歌では)意志と意識、ピアノはその反対感情 無意識の深層を響かせる。面白いです。

しかもこの曲はテノールとバリトン、ソプラノとメゾと声域が異なると移調して歌うのが常なのですが、この曲だけはハ長調で!というシューマンの指示があるそうです。

不思議なもので、「恨みはしない」というこの曲が全16曲の中でわかりやすい気もする・・・。

さて この7曲目 失恋の事実を受け入れ?どう展開させてゆくと 『恋が人を詩人にさせる・・・』という展開に至るのか。
ハイネとシューマンの「恋愛経験」をのぞいて わが身に置き換えるか。(笑)