piano class emi.i.

いいピアノを弾きたい

センス

2008年01月29日 | 音楽教室
寒いです・・・。
こんな真冬にピアノの発表会なんて・・・。
生徒さんも2月17日に向けてがんばっています!だんだんと曲が仕上がっていくのは嬉しいものですね。
ソロ曲も背伸びした曲に取り組みましたが、今回は組曲「動物の謝肉祭」から本当は二人のピアニストが弦楽器や他の楽器という編成の曲を生徒さん7人と私の8人のピアニスト?たちが2台のピアノを中心に(ゲストの応援がある曲もありますが)2台にアレンジしたりして(原曲のままもあり)入れ替わり演奏するという企画です。
中でも「ピアニスト」という曲は以前のブログでも書きましたがサンサーンスに動物扱いされていて 少々むかつく(笑)曲なんですがそれを弾いてもらう姉妹は「先生~、むずかしいですよ~。」と先月の段階では 「泣き」が入りました。
音階をわざとへたっぴに弾くように、という指示があるので 音階の練習はしなくてもいいのですが、転調するときの和音がとても難しいのです。まだ1年生のTちゃんには荷が重かったので、途中で「やっぱり私がやろうか?」と訊いたら「わたしがひきましゅ・・・」というので、続行して今ではもう和音を覚えてくれました!
がんばったね。ありがとう。

さて・・・というか
「ピアニスト」の次の曲は「化石」です。
「ピアニスト」はCdurですが 「化石」はgmollです。
そのために「ピアニスト」の最後がgmollのⅣーⅠの2転ーⅤの和音なのです。
Ⅴの和音Dーfis-A。右手の一番上の音はfis ファの♯です。
この音で終るとどうしてもGの音にいきたくなります・・・。
Gにいかないとオサマラナイ。
だから書いてはいないけど 本当はアタッカでいきたいくらいです。
でも今回は「ピアニスト」の演奏者が弾き終わるとおじぎをしてひっこみ 「化石」の演奏者が入れ替わって舞台に上がる。
かなりの中断です・・・。「早くソの音に!と思いながら・・・・」
和声も勉強したし(一応・・・)曲もやったことがある私がそう思うのは当然の現象だと思います。 
毎回「早くソに・・・」と思いながらレッスンをしている私。
先週のレッスンでなんと!1年生のTちゃんが自分でAーDーfisを弾いた後 「化石」のソシ♭ソラシ♭!を勝手に弾きはじめたんです。(化石の譜面は彼女は見たことないと思います)勿論彼女にⅠの和音に解決したいⅤの和音。なんて話は一度もしたことがありません・・。それなのに彼女は自然に感じていたのですね・・・。
「そうそう すぐソの音にいきたいよね!」とレッスンで生徒さん、しかも小1の女の子と「意気投合。」
ちょっと驚くほど嬉しかったです。もう先生と生徒なんかではなく、友人のように
「私もピアニストのあと すぐ化石にいきたいけど 中断した感じになっちゃうんだよね・・・」
と悩みを打ち明けました・・。
そうしたらなんんと
「しょうがないよ 発表会だもん。CDのようにはいかないよ、せんせい。」
・・・・なぐさめてくれたのでした。

弾くだけで精一杯なはずの1年生の女の子の感覚ではありませんよね。
「いい耳」をしているなあ。と感心してしまいました。そしてその上私をなぐさめようという大人びたやさしい気持ち・・・。
そういえば去年 まだ年長サンの時「サティのジムノぺティ」を弾きたい!なんていう女の子だったのです・・・。勿論却下したけれど・・・。彼女の「音感」はとてもgood!私もそういう「センスの良さ」をなんとしてもつぶしてはいけないと思ったのでした。



まずは譜面ありき!

2008年01月15日 | 音楽教室
先日あるコンクールの審査員の仕事をいたしました。
ドイツものの選曲自由というもの。
演奏時間内(10分前後)に演奏者に講評を書き点数までつけるという大変な仕事です。
前回のブログで「譜面に書ききれないもの」を感じとることが人を惹きつける演奏になるのではないかと書いたのですが、作曲者や作品の背景を勉強し その上で譜面通り演奏する。ということが大前提です。それができてからの話です・・・。(その点の誤解はないと思いますが・・・。)
技術的にそれをわかっていても出来ない場合は技術的に操縦可能な曲を選曲するべきだと思います。きっと試験の前のリハーサルに使うという意味で参加した方もいらっしゃると思いますが、全体的に音符を追うことまでしかできてない方が多かったです。
あとは 「弾きたいように弾く」 という奔放型・・・。
後者の方は『これが私の解釈です・・・。』とでも思っていらっしゃるならばそれは良くないと思うのです。クレッシェンドのないところで、勝手に大きくして、(しかも自然に大きくなりがちなところで)ということは同じ音量でその音型を弾く事を練習しなくてはいけないのです。それが練習です。クレッシェンドしても良ければ簡単なのです。
また、クレッシェンドのあとにPがあったらばそのPの音は特別神経を使わなくていけない。それなのにそこに何も意識が無く弾いていれば それは譜面を無視していると判断せざるを得ません。
・・・そうなると審査員の心証は当然よくありません・・・。
今の時代 ミスタッチでマイナスにすることはありませんが、技術より音楽性!という風潮ですから。でも同じミスでもたまたまなのか、練習不足での必然的なミスなのかは聴いていれば簡単にわかるので、ミスよりも 譜面の読み方が「まっとう」か 「いい加減か」というところはかなり大きいです。
巨匠たちの演奏を聴き比べて みんな好き勝手に演奏してるじゃない?なんて部分的に聴いてそんな判断をしてはいけませんよね・・・。巨匠たちの演奏にはある程度の高いレヴェルから発展しての演奏ですし、全員が譜面に忠実であろうとしています。それでもあれだけの それぞれの個性溢れる演奏になるのです。それが芸術というやつなんではないでしょうか。同じひまわりを描いても絵描きによってそれは全く違う絵になる。(う~んいい例えになっているか疑問は残るが・・・。)
でも楽譜から何かを汲み取ろうと必死で読み、それを表現するための練習をきちんと積み上げたなら そこからやっと譜面に書ききれないものが見えてきて、必ずや聴く人を納得させ感動を与えられる演奏になると信じています。
個性とか自分らしさは各々が譜面に忠実になれば生まれてくるものと習いました。いろいろな方から。音色や息遣い(両者のカテゴリーが違うが;;)が同じ人間はいないから・・。
私の書いた講評、汚い字で数分間に聴きながら書いた文章でうまく伝わっているか不安なので、このブログで補足いたします。
もっとBeethovenの初期から中期 後期へと移りゆく彼の壮絶な人生をいっしょに歩みながら譜面を読んで見てください。
そしてもっと敬意を持ってください。そのあとそれを手本にしてシューベルト、シューマン ブラームスがあとを追っていったのです。
音楽の基本はBeethovenのピアノソナタです。1番から32番まで。そこから始まると思っています。


(バッハ モーツアルトはまた別・・)


譜面に書ききれないもの

2008年01月09日 | 音楽教室
のだめカンタービレで、のだめがコンセルに入学して現実を知り(世界が広いこと)すっかり落ち込んでしまうシーンがありましたね。私もウィーンで入学試験に受かって有頂天になって そこから何度ズンドコ!を体験したか・・・。今も大差ないのですが・・・。なんとも切ない気持ちで見てました。面白いドラマですがあまりにもリアルであの頃にワープしてしまいけっこう落ち込むんですよね・・・。舞台がウィーンでなくてまだよかった。
20年前のウィーンにもベッキ-もマジノ先生も暗い黒木くんもみんないました。千秋先輩みたいに容姿端麗の指揮者はさすがに見かけなかったけど・・・。去年千秋先輩に会いたくて?(千秋先輩はコンセルの学生ではないですね)コンセルを見学に行こうとしたのですが、ウィーンのホッホシューレは誰でも校舎に入れるのだが コンセルはテロ事件からか?許可を申請しなくてはならず知り合いの先生の手を煩わせるなあと諦めました。現代的な建物ですね。校舎は。
でもパリとウィーン 20年前と今 のようにシチュエーションが違っても留学生の心理はそんなに変らないんだろうなあと思いました。期待と不安と挫折と根性とライバルと恋愛とホームシックと帰国拒否と自分の中の音楽と日本人だという当り前と・・・。

しかしのだめはオクレール先生に「楽譜には書ききれていないことがたくさんあるでしょ。」の一言からぐんぐん伸びていくのですが、要するに基本的な知識(読解力)(想像力)(表現力)それらをやってのけるテクニックと求められるものは多いですね。 
夢中になって頭にハエが飛び回るような状況まで一心不乱(腐乱!)までさらいこむことでいろんなことが少しずつ見えてくるのです。さらいこめる環境と体力がなければのだめのように才能があってもだめ。
たいへんなことですよね。

でもそのオクレ-ル先生の「譜面に書ききれないもの」というレッスンで飛躍的に伸びる音大生はたくさんいると思います。いいレッスンでした。
やっぱりのだめはいずれ千秋先輩とは別れるんだろうなあ・・・ ?


謹賀新年

2008年01月03日 | weblog
新年おめでとうございます。
お正月は苦手な行事のひとつでしたが みなさまにはいかがお過ごしでしょうか。
年賀状だけのお付き合いも多くなり この時期一年ぶりの近況を知り・・・
みんなの一年を想像し、励まされます。
以前は年賀状の楽しい写真などを見 羨ましいなあという思いが多かったけれど そんなことばかりではないんだろうと思えるようになりました。
きれいごとで人生はすまされない年齢になると、音楽を仕事なんかにすると、音楽を聴くことが辛い時の慰めにはならなくなってしまいます。
究極の例かもしれないけど 生きるか死ぬかという時音楽が助けてなんかくれません。ほんとうに辛い時ウィーンナ・ワルツなんか聴けませんよね。(笑)
けれど音楽に取り組んでいる時(練習している時)だけ無心になれる。忘れられる。走っているとき、泳いでいるとき、絵を描いているとき、料理を作っているとき、・・・とそれぞれの脳の開放動作があるのでしょう。

年末に18歳でお父さんを癌で亡くした教え子に(4歳から16歳まで毎週レッスンをしていた一人っ子の教え子に)(受験でレッスンはお休みしていた)一年振りに「先生に会いたい」と云われました。電話口ですぐにでも抱きしめてあげたいと思いました。
でも いったい何を話したらいいのかとずっと考えています。
やっぱりピアノを弾いてみたら?と。レッスンなんかいらない ただ何かの曲を弾いてみたら?と云ってみるでしょう・・・。お父さまは彼女がピアノを弾く姿がとても好きだとおっしゃっていたのでした。

今年もがんばって良い年にしましょう。
どうぞよろしくお願いします。