3歳児から大人の方まで、教えています。
ちいちゃな子供たちの中には ①ママがある程度弾ける人も、②私は(ママ)音符読めません。③私(ママ)もできませんし、パパさんはピアノのせんせいがこわかった子供時代の恐ろしい記憶しかないので(涙)、ピアノなんか弾けなくてもいい!という(できれば子供がこんなにやりたいといわなければやらせたくない!という親御さん(笑)(以上は子供さんがピアノやりたい!という場合)
又④子供本人はできればやりたくないがママに逆らえずやるハメに・・というケース。
・・・・というように多様なパターンの『始まり』があります。
どんな環境にあろうとも みんな似たような教材と私の20数年(指導歴)の経験のもとに同じようにレッスンがスタートするわけです。
でも十人十色、進み方はみんな違う。
本人も親御さんも私も どうなるんだろう?と手探りです。
きっといやだけど来ているんだろうな?という子は ちょっとかわいそうに思うのですが、そんな場合も「きっといつかやっててヨカッタ!と思わせるぞ。」と逆に闘志を燃やします。(だって私は本当にそう思っているのだ!)
しかしながらなかなか最初のひと月、半年・・くらいたってもこの子は「楽しんでレッスンにきているのか?」「同じ注意が続くがちゃんと訊いているのか?」という半信半疑のレッスンが続く子供もいます。
でも 今
2年目遅くとも3年目になると「私の云っていることはこの小さな子にちゃんと伝わっている。」と確信を持てる時が必ず来るのだということを実感しています。
教材が2冊目3冊目に進む頃の時もあるし、発表会を経験したあと、というときもそれもさまざまなタイミングでその嬉しい瞬間が訪れるのです。それはじわーっと染み込むようなしっかりとした感動です。
きっと本人も自信がついているだろうし、根気よく正しく楽譜を「自分で読んで自分で音にする。」という基礎力。それが第一段階終了といえるでしょう。
「譜を読むことを放棄する」ことにならないように。
あとは反復練習ができるかどうか、という違う壁と闘うことになる、それも学ぶこととはこういうものだ、と習慣にする。
そこからは本人の「どれだけ上手になりたいか。!」にかかってくる。
もっとうまくなりたい、どうしてもこれができるようになりたい!という執着が困難を克服できるのですから。
いっとき この子は続くかな?と思ってしまったことを反省しながら この子にこれを要求するのは無理かな?と思っても 常にもっともっと!と思って小言を懲りずに云い続けようと思うこの頃です。
ちいちゃな子供たちの中には ①ママがある程度弾ける人も、②私は(ママ)音符読めません。③私(ママ)もできませんし、パパさんはピアノのせんせいがこわかった子供時代の恐ろしい記憶しかないので(涙)、ピアノなんか弾けなくてもいい!という(できれば子供がこんなにやりたいといわなければやらせたくない!という親御さん(笑)(以上は子供さんがピアノやりたい!という場合)
又④子供本人はできればやりたくないがママに逆らえずやるハメに・・というケース。
・・・・というように多様なパターンの『始まり』があります。
どんな環境にあろうとも みんな似たような教材と私の20数年(指導歴)の経験のもとに同じようにレッスンがスタートするわけです。
でも十人十色、進み方はみんな違う。
本人も親御さんも私も どうなるんだろう?と手探りです。
きっといやだけど来ているんだろうな?という子は ちょっとかわいそうに思うのですが、そんな場合も「きっといつかやっててヨカッタ!と思わせるぞ。」と逆に闘志を燃やします。(だって私は本当にそう思っているのだ!)
しかしながらなかなか最初のひと月、半年・・くらいたってもこの子は「楽しんでレッスンにきているのか?」「同じ注意が続くがちゃんと訊いているのか?」という半信半疑のレッスンが続く子供もいます。
でも 今
2年目遅くとも3年目になると「私の云っていることはこの小さな子にちゃんと伝わっている。」と確信を持てる時が必ず来るのだということを実感しています。
教材が2冊目3冊目に進む頃の時もあるし、発表会を経験したあと、というときもそれもさまざまなタイミングでその嬉しい瞬間が訪れるのです。それはじわーっと染み込むようなしっかりとした感動です。
きっと本人も自信がついているだろうし、根気よく正しく楽譜を「自分で読んで自分で音にする。」という基礎力。それが第一段階終了といえるでしょう。
「譜を読むことを放棄する」ことにならないように。
あとは反復練習ができるかどうか、という違う壁と闘うことになる、それも学ぶこととはこういうものだ、と習慣にする。
そこからは本人の「どれだけ上手になりたいか。!」にかかってくる。
もっとうまくなりたい、どうしてもこれができるようになりたい!という執着が困難を克服できるのですから。
いっとき この子は続くかな?と思ってしまったことを反省しながら この子にこれを要求するのは無理かな?と思っても 常にもっともっと!と思って小言を懲りずに云い続けようと思うこの頃です。