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松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

櫨色(はじいろ)観察 その3

2007-07-13 10:54:01 | 櫨染(はじぞめ)プロジェクト
今日は黄櫨染の紹介の前に、少し歴史のおさらいです。

日本において、色は地位と身分を表す重要な役目を持っていました。
推古天皇11年(603)聖徳太子によって
冠位十二階の官職・位階の色が制定されます。

万物は木・火・土・金・水の5つの元素からなるという
古代中国の自然哲学・五行思想が元になっており
五行の五色(青・赤・黄・白・黒)に加え、一番上に紫を置きました。
6色それぞれに濃・薄の二段階つけることで12色できます。
これで冠位十二階の色というわけですね。

これら位階を表す色を位色(いしき)といい、これらの位色を抜きにしては
古代の色彩を語ることはできないと言われています。

天武天皇14年(686)、位階は48に拡大し、朝服の色も規定されました。
ここで面白いのは、臣下の最高位が深紫になり
皇族の服色は朱華(はねず)と規定されたことです。

ちなみに朱華R250G199B193はこんな色

この朱華はのちの皇太子の色「黄丹(おうに)」へとつながっていくようです。

さて、養老二年(718)、衣服令に皇太子礼服として「黄丹衣」の記載がされ、
以来、代々の皇太子の色となりました。
平成三年「立太子の礼」では、現皇太子の着用されていたのが
まさしくこの黄丹の袍(ほう・上着の意味)です。
黄丹は支子(くちなし)の実からとる黄色染料と紅花の赤の交染による
黄赤色です。紅花染は非常に高価な染料だったため、禁色になったのは
一種の経済政策だとも言われています。

黄丹R238G121B72はこんな色


ところで、皇太子の黄丹の色は決まりましたが、
それから100年位、天皇の袍色は不明になっています。
(主な説では白だと考えられています。)
私の個人的な推測ですけど、その100年の間、
天皇にふさわしい色を探してたんじゃないかという気がします。

嵯峨天皇の弘仁11年(820)、天皇の晴の袍色として黄櫨染が制定されます。
黄櫨染こそ、まさに天皇にふさわしい色でした。
どういうところがふさわしかったのか?

続きは明日お伝えしますね。

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