松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

弓の素材としての櫨 その1

2007-07-31 20:23:23 | 和弓と櫨
櫨は、染料の他に何か使い道はあったのだろうか?
そう思っていたら、やっぱりありました!

なんと和弓の原材料として重宝されていたのです。
和銅五年(712)に献上された日本最古の歴史書「古事記」に、
「櫨」で作られた弓の記述がありました。
そこで古事記のお話をおさらいしながら紹介したいと思います。

天照大神の天の岩屋事件やヤマタノオロチ退治事件の後
須佐之男命(すさのおのみこと)の子孫である
大国主神(おおくにぬしのかみ)が登場します。
因幡の白ウサギの話で有名ですね。

大国主神は美形で女性にもてたためか、
何かと嫉妬されて受難にあうパターンばかりですが
なんとか女性に助けられちゃいます。

須佐之男命の娘、須勢理毘売(すぜりひめ)と結婚した後、
大国主神は豊葦原水穂国の国作りをはじめます。
いたる所で多くの妻を娶って子供ができたので
神様の数もどんどん増えていきます。

ある日、天照大神は自分の子供である
天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)に
豊葦原水穂国を治めよと命令します。
しかし命が天の浮橋から見下ろしてみると、
大勢の神様たちがてんでに大騒ぎしていたので
降りる気にならず、引き返してしまいます。

そこで大神は高皇産霊神(たかみむすびのかみ)と共に
天安河(あめのやすのかわ)の河原に八百万の神を集めて相談し、
天菩比神(あめほひのかみ)を遣わせることにしました。

ところが天菩比神は大国主神の手下になってしまって
三年経っても戻らなかったため
今度は天若日子(あめわかひこ)が降りることになりました。
大神は天之麻迦古弓(あめのまかこゆみ)と
天之波波矢(あめのははや)を天若日子に授けます。
ところがまたもや戻ってきません。
天若日子は大国主神の娘を娶ってしまったからです。

天照大神と高皇産霊神は、またもや相談して
「名鳴女(ななきめ)」という雉(きじ)を送り出します。

きじの名鳴女は、天若日子の門の側の木に止まって
細部まで大神の言われた通りに伝えますが
その時、天佐具売(あめのさくめ)という女性が
「いやな鳴き声を出す鳥を射てしまいなさい。」と
天若日子をそそのかします。
天若日子は大神から授かった天之波士弓(あめのはじゆみ)と
天之加久矢(あめのかくや)を持って
雉の名鳴女を射殺してしまいます。

…とまあ、まだまだ古事記の楽しい話は続くのですが
で、どこに櫨が出てくるかというと
天照大神が天若日子に授けた天之麻迦古弓(あめのまかこゆみ)、
または天之波士弓(あめのはじゆみ)こそ、
はじ→はぜ(櫨)で作った弓だといわれているのでした。

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