天満宮から旧国道2号線の
高架橋をくぐった向こう土手に
このお寺がある
境内と言っていいのかどうか?
無数のお墓が建っているので
墓地と言った方がいいのか?
最初見たときちょっとビックリ!
した、遠見ではあるが墓地を描い
たのは初めてである
高架橋をくぐった向こう土手に
このお寺がある
境内と言っていいのかどうか?
無数のお墓が建っているので
墓地と言った方がいいのか?
最初見たときちょっとビックリ!
した、遠見ではあるが墓地を描い
たのは初めてである
厚狭川は美祢市と長門市との境に
位置する大ケ峠付近に発し国道
316 号JR 美祢線と平行して南流
山陽小野田市の周防灘に注ぐ
この風景は天満町の鴨橋を横切り
天満宮の傍から旧国道2 号線の
高架橋をくぐった所から上流を眺めた
位置する大ケ峠付近に発し国道
316 号JR 美祢線と平行して南流
山陽小野田市の周防灘に注ぐ
この風景は天満町の鴨橋を横切り
天満宮の傍から旧国道2 号線の
高架橋をくぐった所から上流を眺めた
天満宮傍の道から向こう土手を
眺めると例の秀吉さんのお休み
処があったという家が正面に見える
今風にいえば出窓だろうか?
風流に川のせせらぎを聞きながら
お休みになったのかも?と勝手に
想像するのも面白い
眺めると例の秀吉さんのお休み
処があったという家が正面に見える
今風にいえば出窓だろうか?
風流に川のせせらぎを聞きながら
お休みになったのかも?と勝手に
想像するのも面白い
天満町から鴨橋を横切り旧国道
2号線高架橋のすぐ手前左に
この赤い朱塗りの社殿がある
社伝によると江戸時代寛永2年
(1625)厚狭毛利家の助言
により萩の金谷天満宮の御分霊
を奉斎したことに始まるという
現在は鴨神社の御旅所でもある
2号線高架橋のすぐ手前左に
この赤い朱塗りの社殿がある
社伝によると江戸時代寛永2年
(1625)厚狭毛利家の助言
により萩の金谷天満宮の御分霊
を奉斎したことに始まるという
現在は鴨神社の御旅所でもある
鴨橋中央から上流に向かって
右を見るとこんな立派な家が
あった
堤防の石垣の上に建っていて
かなりの旧家である
聞くとところによると太閤秀吉
さんのお休み処だったという
朝鮮征伐に行く途中にでも寄って
休憩したのだろうか?
右を見るとこんな立派な家が
あった
堤防の石垣の上に建っていて
かなりの旧家である
聞くとところによると太閤秀吉
さんのお休み処だったという
朝鮮征伐に行く途中にでも寄って
休憩したのだろうか?
この車はどこから入ったのか?
ここは道路なのだろうか?
上の住宅は殿町地区になり
右側には貞源寺の大きな屋根が
見える
水面まで1mくらいしかないが
多分梅雨時増水するとこの道?は
消えるのではないだろうか?
ここは道路なのだろうか?
上の住宅は殿町地区になり
右側には貞源寺の大きな屋根が
見える
水面まで1mくらいしかないが
多分梅雨時増水するとこの道?は
消えるのではないだろうか?