あきちゃんのブログ

散歩・趣味・旅・日常など思いついたことを飾らず自然体で綴ってみたい。

52・赤レンガ倉庫(ふるさと百景)

2015-01-31 08:51:22 | Weblog
日産化学工業の赤レンガの古い倉庫。当工場は、日本舎蜜製造会社が前身で、舎蜜(せいみ)は、オラン
ダ語で化学を意味する。赤レンガ倉庫は1891(明治24)年の建設で、現存する工業関係の建物としては
県内で最も古いとされている。工場に沿って整備された花壇からフェンス越しに見える。(H24年4月7日)

51・厚狭毛利家居館址(ふるさと百景)

2015-01-30 09:42:34 | Weblog
厚狭毛利家は江戸時代、毛利元就の五男・元秋を祖とし、後、元就の八男・元康が跡を継いだ。元康の後を
子・元宣が継ぎ、厚狭に居館を構えたという。どんなお屋敷が建っていたのか?想像もつかないが、殿町の
一角にこの居館址(あと)を示す標識があ。奥の建物は日本化薬厚狭工場の独身寮。(H24年3月31日)

50・中川町(ふるさと百景)

2015-01-29 09:26:43 | Weblog
昔、この通りは硫酸町商店街と呼ばれていた。今は住居表示が変わって、硫酸町は一部しか残っ
ていない。小野田線の高架橋左方に南中川駅がある。正面は幹線道路に突き当たり、往時、硫酸
を製造していた日産化学工業がある。七夕祭りでにぎわったころが懐かしい。(H24年3月23日)

49・転車台(ふるさと百景)

2015-01-28 09:45:21 | Weblog
旧厚狭機関区の操車場と転車台。2年前のスケッチだが、このレトロで歴史ある建物が全て消え、さら地にな
って風景が一変してしまった。美祢から石炭を運んでいたDD51の赤い車体が常にそばにあった。転車台
もかなりさびつき老朽化していたが、時代の趨勢(すうせい)とはいえ寂しい限りである。(H24年3月16日)

48・炭住長屋(ふるさと百景)

2015-01-27 09:21:00 | Weblog
子供の頃、国道を挟んでわが家の前に炭鉱がった。ボタ山で竹スキーをして遊んだ思い出がある。あれから
数十年、市内には炭鉱の面影はほとんどなくなった。桜山炭鉱近くに親戚があり、この長屋の辺りでよく遊ん
だ。「向こう三軒両隣」今でもそんな人情が伝わってくるような温かさがよみがえった。(H24年3月10日)

47・清安寺(ふるさと百景)

2015-01-26 10:05:58 | Weblog
厚狭、加藤交差点から国道316号を美祢市に向かって少し行くと、東方向に立派な大屋根が見える。清
安寺の歴史は鎌倉時代の半ば、今から740年昔の真言宗の不動寺としての開創に始まっているという。
だからこの辺りを不動寺原というのだろうか?豊臣家滅亡後、浄土宗に改宗された。(H24年3月1日)

46・笠井順八翁(ふるさと百景)

2015-01-25 09:19:46 | Weblog
翁が旧小野田セメントの創始者であることは、地元ではあまりにも有名。だが、この像を見たとい
う住民は案外少ない。翁の私邸だった若山公園の一角にある住吉神社裏の高台に、この座像が
ある。翁の正面には、木々の隙間から町並みと遠くセメント工場が見える(H24年2がt25日)

45・茅壁醤油店(ふるさと百景)

2015-01-24 10:44:32 | Weblog
旧国道2号、加藤交差点西側にある歩道橋下を右に入ると、この重厚な店構えがある。創業はペリー来航3年
前の1850(嘉永3)年と聞く。裏には立派なしっくいの蔵が3棟あり、なまこ壁がその歴史を物語っている。現
在も製造販売していて、茅壁(かやかべ)の醤油(しょうゆ)として人気があり、ファンも多い。(H24年2月18日)

44・山手倶楽部(ふるさと百景)

2015-01-23 08:48:55 | Weblog
旧小野田セメントの第4代社長笠井真三さんが、イギリスからコンクリートブロックの型枠を持ち帰り、ブロッ
ク製造を始め、1914(大正3)年に完成した。当時ブロックは大変珍しいものであり、建築史上貴重な建物
として、国の登録有形文化財に指定されている。近くに住吉神社、若山公園がある。(H24年2月10日)

43・鴨神社(ふるさと百景)

2015-01-22 09:13:06 | Weblog
788(延暦7)年に沓に神祠(しんし)を建てて、百済の聖明王妃を祭ったのが起源といわれ、厚狭地区
の氏神様。旧国道2号加藤交差点、スーパー丸久のすぐ東側にある。鳥居をくぐり階段を上ると、この
社殿がある。裏には野球場があり、子供たちの練習風景が木々の隙間から見えた。(H24円2月4日)