81・廃窯の煙突(ふるさと百景) 2015-03-31 09:13:08 | Weblog 旦西地区「瓶垣のモニュメント」のすぐ東側に、この煙突があり、廃窯の一部も残っている。旧河野 製陶所跡地には、泥漉し(こし)場・バック・オロ跡(原料陶土処理工程施設)や旧河野邸の瓶垣な どが残っている。道のそばには土管の垣もあり、往時の皿山をしのばせる。(H24年10月27日)
80・川沿いの工場(ふるさと百景) 2015-03-27 08:49:32 | Weblog 日本化薬厚狭工場。下津地区厚狭川のすぐ下流に位置する。1916(大正5)年、日本化薬製造と してこの地で創業し、日本初の民間爆薬製造工場として許可された。昔は厚狭日火(あさにっか) と呼ばれていて、この辺りには「火薬町」というユニークな町名が付いている。(H24年10月20日)
79・糸根神社(ふるさと百景) 2015-03-24 08:46:13 | Weblog 埴生駅から旧国道2号を横切り、浜に向かってすぐの所にこの神社がある。1908(明治41)年、糸根八 幡宮と八坂神社と合祀(ごうし)して糸根神社になったと聞く。八坂神社は元祇園社と称していたという。糸 根神社の祭りには、「おしゃぎり」がはやされ、沖縄の「エイサー踊り」が行われる。(H24年11月17日)
78・瓶垣モニュメント(ふるさと百景) 2015-03-19 09:41:06 | Weblog 旦地区は東西に皿山があった。西には登り窯が残っているが、東にはこの瓶垣のモニュメントがあ る。永久保存を願いつつ、この瓶垣が造られたと聞く。100年以上前の三好家初代源之助窯以来 代々の窯で焼成された瓶が使われていて、近代化産業遺産に認定されている。(H24年10月13日)
77・納屋(ふるさと百景) 2015-03-14 09:09:11 | Weblog 厚狭の農家では納屋を持つ家が多い。いろいろな様式があって、納屋がその家の歴史を物語っているよう で興味を引く。2階建ての重厚なものや牛小屋がそのまま残っているのもある。東下津地区の厚狭川沿い にこの納屋があった。納屋の瓦の色が赤一色ではなく、まばらになっているのがよい。(H24年10月6日)
76・瓶垣の坂道(ふるさと百景) 2015-03-10 08:57:19 | Weblog 旦の登り窯近くに、この瓶垣がある。私邸の一部になるが、硫酸瓶の擁壁である。強固な硫酸瓶 が、石垣の代用として使われた。往時、市内の旦や浜、郷地区に窯元が点在していたが、市内の あちこちに、こうした瓶垣が見られる。先人の知恵が垣間見えて面白い。(H24年9月29日)
75・妙徳寺(ふるさと百景) 2015-03-06 08:19:45 | Weblog 厚狭野中の妙徳寺は1582(天正10)年、厚狭毛利家2代、元康の建立。寛永年中に芸州から棚井へ移 り、寺号を本久と改め、その後、1713(正徳3)年には妙徳寺と改める。同寺では、お釈迦(しやか)様の 命日とされる旧暦2月15日にちなみ、毎年1度、2月15日前後に涅槃(ねはん)図を公開しいる。 (H24年9月22日)
74・旦の登り窯(ふるさと百景) 2015-03-05 08:53:27 | Weblog 当地の窯業は、天保の末、1840年ころに陶工甚吉が旦に登り窯を開いたのが始まりといわれる。日本 舎蜜製造の進出により、硫酸瓶を製造することになる。一時期は30数基の登り窯が市の繁栄に寄与し たが、戦後の容器革命で急速に衰えた。廃窯だが、市の指定文化財になっている。(H24年9月15日)
73・土塀のある路地(ふるさと百景) 2015-03-01 09:18:45 | Weblog 本町通りから、殿町の小路を南に向かって行き、厚狭毛利家の居館跡地のすぐ先に、この土 塀がある。大きな樹木に遮られて中を知る由もないが、歴史を感じさせる立派な土塀である。 この先、突き当りを右折すると妙徳寺があり、東下津地区に通じる。(H24年9月7日)