あきちゃんのブログ

散歩・趣味・旅・日常など思いついたことを飾らず自然体で綴ってみたい。

赤瓦の家

2008-05-21 10:46:56 | Weblog
小野田駅方面から旦橋を
渡ると左手にこの家がある

旦地区は西と東に分かれて
いるが境界がわからない

多分この家は西地区だと
思うけれど・・・?

有帆川

2008-05-20 09:18:55 | Weblog
有帆川の下流から1kくらい
上ったところで右側の集落は
旦西地区になる
旦は西と東に分かれている

この先少し上ると旦橋があって
その先にはローカルな小野田線の
陸橋があり右側には旦東の集落
がある

瓶垣の家

2008-05-18 08:57:11 | Weblog
小野田線の目出駅の駅舎の
前の道を右にそれるて
真っ直ぐ行くとこの家がある

瓶垣というのは石垣の代わりに
硫酸瓶を使ったものでこの地区
から旦(だん)の辺りにかけて
よく見られる。

戦前から戦後にかけて硫酸瓶の
需要が多く30もの窯元があった
証である

目出の踏み切り

2008-05-17 07:33:46 | Weblog
幹線道路から目出町に入り
国道190号線のバイパスの
下をくぐるとすぐこの踏み切り
がある

ローカルな小野田線の踏み切り
で渡ると左側有帆川の横に小さな
無人駅舎がある

キンコンカンコンと合図の鐘が
鳴ると踏切が降りて電車が通過
するまでかなりの時間待たされ
イライラするひとも多い

目出町

2008-05-16 07:16:56 | Weblog
小野田橋を渡ると目出町になる。
この辺りも古きと新しきが
入り混じっていている

正面の高架橋は国道190号線の
バイパスでその下をくぐると
小野田線の踏切があり小さな目出
の駅舎がある

モニュメント

2008-05-15 13:16:42 | Weblog
小野田橋を渡ると硫酸瓶を模った
このモニュメントに出会う

戦前戦後、硫酸の製造が盛んで
硫酸を入れる容器としてこの瓶
が製造されていた

全盛期には市内に硫酸瓶を製造
する窯元が30以上あった
当時の市の経済発展に尽くしたが
容器革命で今は姿を消してしまった

小野田橋のガス燈

2008-05-14 14:50:10 | Weblog
小野田橋は有帆川をまたぐ
我が町の幹線道路である

橋は明治42年(1909)に
架けられたがH8(1996)に
新たに架け替えられた

橋には数基のガス燈が設置されて
いて夜には柔らかい光がムードを
かもし出す

橋の向こうの家は目出の旧家である

川沿いの家並み

2008-05-13 10:29:46 | Weblog
我が町を流れる有帆川は
有帆地区から周防灘に出る
浜地区まで約3kの長さがある

その川沿いにはほとんど
切れることなく家が建っている

この川沿いの家を全て描いて
みようか?なんて思ったことも
あるが実現できるか?どうか?