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kisaragi0703さんは他人を見下す傲慢で失礼な人
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私はkisaragi0703さんに断言します
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第7巻『螺旋運命』は《GENE[ゲーン]》シリーズに入らない、シリーズの流れを殺す最大の欠陥です。ロクデナシのバルトは自分のために、自分の中でひっかっている義務や後悔を癒すために行動していただけだから、あっさりとイリを裏切り捨てることが平気で出来たのです。イリはバルトなんぞを愛していなかった、バルトだってそうです OAV『銀河英雄伝説』の「第61話 歌劇(オペラ)への招待」で“自分は国の為に私情を殺して筋を通した。自分はなんと可哀想で、しかも立派な男なんだ、という訳ですな。”と、ジョアン・レベロ(CV=家弓家正)に対して、ヤン救出に立ち上がったワルター・フォン・シェーンコップ中将(CV=羽佐間道夫)の台詞を、バルト&彼という自分の分身を“世界にとって掛け替えのない存在”として描いた五百香ノエルに叩きつけたい
人身売買組織のボスが連邦総長だなんて笑わせないでよ。
そして、ヤンアーチェの頼みでディトリスとのことをバルトに訊ねようとするよりもずっと前に既にバルトはイリを裏切っていたのです用済みのゴミのように棄てていた
恥知らずにもほどがあるわ
「4 青春の終わり」で“色褪せたようにしか見えないブルー・ブラックの長く豊かな髪の毛を、出会ったころと変わらずに後頭部の高い位置で束ね、両の鬢(びん)のところにサイドの毛を一房ずつ垂らしたイリは、こちらに来てから縫製したロッサ風のスーツに身を包んでいる。そのスタイルがもっとも彼らしく、たとえ芸術的な美からは遠い位置にある凡庸な容姿をしているのだとしても、やはりだれよりも印象的な人物に見えた。向かって左側に銀髪のサーシャ、右側にはわずかながら足を引きずる金髪のミハイル。どちらも静粛な面持ちで、初めて会ったころから年輪を重ねて美しく際立っている。彼らの姿を見るのは、バルトにとってただ目の保養になるだけではなかった。なつかしさ、憂い、翳り、喜びや楽しみ、それらはすべて青春を喚起させる郷愁なのである。”とあるように、イリ+ミハイル&サーシャを“青春を喚起させる郷愁”だと認識した事自体が、バルトの青春はとっくの昔に終わっていたことを示し、今頃になってそれに気づいた間抜けぶりを晒した
そして、イリを過去の存在に葬り去った罪を開き直って恥じない腐った根性が許せない。
それにしても、このシリーズのメイン・テーマは“ただイリの総受けのエロを描く”だけの、ヤンアーチェ以外の男にイリが凌辱されるシーンを書きたいだけだった第7巻は《GENE[ゲーン]》シリーズが失敗作であることを証明してしまいました 「3 恋の行方」で“イリがバルトの兄二人に呼び出されたのは、暗殺事件によって多忙をきわめるヤンアーチェが、後宮へ渡る時間も持てない慌ただしい日程の中だった。秘密裏な会見で実際に会ってみたイリは、二人の個性的な男たちから強い圧迫感を与えられ、バルトとは違う剣呑な空気を嗅ぎ取った。男たちとの面会の旨は無論、ヤンアーチェに知らされていない。知ればヤンアーチェは決して許さなかっただろう。実際危険な雰囲気を隠さない男たちを前にして、イリは来るべきではなかったという気持ちになっている。”とあるけれど、そもそも呼び出しを受けたからって、護身の術はなくとも警戒心はあるイリが応じるわけもないし、のこのこ出掛ける筈もない
当然、ヤンアーチェか或いは、クズのフィアルドが生前から次の盟主に指名していたバルトに“お前の兄貴たちに呼ばれたんだが、どうしようか?”とか尋ねるでしょうから、体を好き勝手にされても心は動かないからってヤンアーチェを裏切るに等しい行為をイリが死んでもする筈がないのです。
積悪の報いで地獄に堕ちた父親を失った腹いせにイリ妾妃殿下を凌辱したとは言っても、説得力のない不要な凌辱シーンです。五百香ノエルが如何に“作家として世に出るには早すぎた”かを証明しています。“高貴なお血筋の生き残りが、どこのだれに売られて、どんな恥知らずな真似をして生き延びたか、俺とローランはみんな知ってる”&“屈辱を感じるのか?たった数年王の妾妃などとまつりあげられて、本来奴隷として生き延びた性根を忘れたわけではないだろう?”とほざいて、長兄ダビデ・デナルドン・バティは次兄ローランと結託して嘗て自分たちの父フィアルドが人身売買という下劣な犯罪行為で売り飛ばした奴隷ごときと侮蔑して、ロクデナシの末弟バルトが差し出したイリを凌辱した
そう、イリを裏切って捨てた罪から目を逸らすためにロクデナシのバルトがスケープゴート[scapegoat]にして兄貴どもにイリを売り渡したに決まっている
ケダモノ兄貴どもを含めた人身売買組織〈自由同盟〉のボスのくせにバルトが知らない筈がありません。
コースター事故 近畿の遊園地 事故の影響…入場者減る(産経新聞) - goo ニュース
この事故は、まさに人災ですね。1992年3月に運行を始めて以来、15年間、ただの1度も車軸を交換せず、昨年(2006年)2月に解体して検査したのが最後、ところが、今年の2月に限って“作業スペースが無い”という理由で解体検査をせず、そして事故は起こりました。
画像は、この事故で亡くなった小笠原さんが無言の帰宅をした時の写真です。
チーイン王朝の専横を許し侵略に加担して滅ぼさなければラーチョオ王朝に協力を仰げたかもしれないと考えていた矢先に、第8巻『心の扉』の「3 心の扉」で“俺の名を言おう。イリ・イン・ラーチョオという。ロッサのレイダー公に買われて以降は、捨てた名だ。ヤンアーチェ、あのとき(13年前の邂逅)からずっと、俺はお前を愛していた”とイリ(26歳)に爆弾発言をされ、その衝撃を受け止めきれず浮上できずにいたヤンアーチェ(20歳)は「4 遠く険しい希望」で“愛してるのは俺だ……愛しているのは、俺だ、って?愛してる?俺が…(考えること数分)…イリ。俺、お前を愛してる”と自分もイリに向かって爆弾発言 本来ならば“愛の告白”は感動するシーンだけれど、これでは夫婦漫才ですね
誤解とすれ違いと思い込みを重ねていた…とはいえ13年も遠回りするカップルなんて珍しい。再会した時、ヤンアーチェは11歳で閨房術で誑し込めるか否かが死活問題であるイリの境遇を理解するには無理なお子様すぎたせいもあった
これだからガキは
とにかくも…6歳年上の王妃、そして、二形(両性具有)だけれど女性として愛人から正妻の座についたヒロイン
、というのも一般にはよくある設定でも私の知る限りでは珍しいケースの“ファム・ファタール(フランス語で「運命の女」の意)”です
そして、イリでなくてもヤンアーチェの愛の告白をすぐには信じられるはずがありません、何故ならヤンアーチェはユンヤミンを誑し込むことは死活問題だと知ろうともせず、タオホンに取り入ったと思い込み権力を盾に要求されたら拒む権利がないイリの立場や心を、そうせねば生きてこれなかった境遇を理解し思い遣ったことなど1度もなく、“取り入った!俺を裏切った!!”と自己中心的な男だったのですから亡命者を保護するという当然の対応をするどころか、逆に祖国を見捨てた卑劣な輩と侮蔑し、他国の者を拒絶する排他意識が後進国の野蛮人たる我が身をチャンシャン王国は自覚し、改善すべきです。その国に生きるなら生まれは何処であろうともその国の人間であり守られて当然です
しかし、ホークァンのように都合の良し悪しで道具として利用するための口実に“国のため”なんぞと利用することしか考えぬ腐れ外道は処刑するべきです。ヤンアーチェも自国のことも愛してもいなければ、守ろうとかなんて微塵も無く、野心でチャンシャンを滅ぼす元凶となる以外にコイツの末路はない
あの腐れ外道のホークァン・エイリーが、ヤンアーチェを心から家臣として敬愛し国を愛し、保護すべき亡命貴族のイリに対する仕打ちをヤンアーチェのように心から後悔し、彼女に心から尽くすようになる経緯を省略した、と言うか“2人の王太子”による内乱&すれ違いに巻数を当て過ぎたシワ寄せが主人公カップルの愛と幸福の経緯を削る結果に陥ってしまいました。
ところで、私は周囲の人材に恵まれたおかげで王たるに相応しい人格を偶然にも拾っただけの主人公アルスラーンが大嫌いなので『アルスラーン戦記』を完全に忘れ去っていました。アルスラーンの義母タハミーネはバダフシャーン公国の宰相の婚約者だったのをその国の公王カユーマルスが奪って宰相を自殺に追いやって公妃とし、バダフシャーンを滅ぼしたパルス王国の当時は王子だった兄オスロエス5世と弟アンドラゴラス3世がタハミーネを奪い合い、オスロエスの事故死によりアンドラゴラスが王位を継ぎタハミーネを王妃としたのでした。しかし、彼女が産んだ子は王位継承権を有さぬ娘であったがゆえにアルスラーンと取り替えられ奪われた娘を想い心を閉ざしたタハミーネは、己を虜囚としたルシタニア王国の国王イノケンティス7世に懸想されても冷たく微笑むばかりでした…少なくとも表面上は。
男を弄ぶ悪女と看做されていたけれど実際はタハミーネの美貌に眼が眩んだ男たちが彼女の心を無視して勝手に奪い合っただけで100%被害者の“ファム・ファタール”であるタハミーネのように、イリだってユンヤミンが勝手に入れあげた末にハッスルしすぎて心筋梗塞を起こし腹上死しただけ、チャンシャン王国は勝手に傾いて衰退したのであり、イリには何の罪もないのに…鄭重(ていちょう)に保護されて然る可(べ)きなのに、チャンシャンの腐敗そのものにして獅子身中の虫であるホークァンとラジャの野心の道具に利用された挙げ句、ヤンアーチェに卑怯にも背中から刺殺されたタオホンが住んでいた東宮御所址の廃園の小さな屋形という牢獄に、何故、幽閉されなければならなかったのか 腹上死したユンヤミンや“僕の妖精
”と呼ぶほどにデイトリットを溺れさせたイリは“ファム・ファタール”と明言できます。しかし、ヤンアーチェは“オム・ファタール(フランス語で「運命の男」の意)”と呼ぶにはイマイチ弱いですね
辛うじて、“色事師”とは呼べるでしょう。
いつまでも精神年齢はお子様ゆえにイリたちから離れて立身出世に狂喜乱舞していたサーシャの熱は王政改革という名の許に担ぎ上げられたヤンアーチェが起こした内乱に直面して冷めました。しかし、身を挺してイリを守るミハイルが…イリの友にして後に王妃(イリ)付き女官長となるリンゴがいなければ間に合わなかったでしょう もしも、そうなっていれば自業自得とはいえサーシャは悔恨と孤独にのた打ち回っていたのは確かです
それでもサーシャはお子様のまま成長せず時を重ねます。そして、イリが己の心の奥底に封印していた愛をヤンアーチェに告白し己の足で歩き始めた時に再び暴発しました。幼稚で思い遣る事を知らないままイリを責めようとしてミハイルとリンゴの包囲網に阻止されますが。
画像は、河惣益巳先生の『火輪』で先の竜王・敖祥(アオ・シアン)の愛人(アイレン)だった黒真珠の精・黒韶(ヘイシャオ)の分身、そしてレン・ソンツェンの妻リュイです。
ポツンと〈太大陸〉近辺の〈嵐の海〉に浮かぶ小さな島国として存在し、徹底した鎖国を貫き不戦を掲げながらも、真・天空帝国の…と言うよりチーイン王朝の最後の皇太子ラカ・チーイン・チーインの虚像に踊らされた国々の欲望の顎に滅ぼされた天空帝国の300人以上いた皇室の末席として生を受けながらも、市井の民草は同じく奴隷売買された者は生き残りがいるかもしれないけれど、皇族は他の誰もが処刑されラーチョオ王朝皇室の唯一の生き残りにして、今は亡きエルネスト・ヤーゴ・レイダー公爵の“至宝”たる二形(両性具有)の主人公イリ・イン・チャンシャン(旧姓★ラーチョオ)の幸福を己が幸福と思い定め、その存在自体が至福ゆえに影のように寄り添い、無償の愛を捧げる黄金の騎士ミハイル・リンゲルバウアーにTVアニメ版『北斗の拳』の挿入歌「愛は魂(こころ)」♪ユリア(山本百合子)を
第3巻『紅蓮の稲妻』の「1 国葬」“ともすれば狂気のままに暴走しかねないタオホンの琥珀色した瞳を、ミハイルは真っ向から見つめてひるむ素振りもない。ただ押し黙り、自分の意思を貫く姿勢だけを見せる。「……ふふん、いいだろう。俺は自国の民以上に異国民が嫌いだが、その度胸に免じ、これよりイリのあるところ、いつでも出入り自由の許しを与えよう」「…………」無言のまま、ミハイルは頭を垂れて感謝を示した。目をあげると、タオホンに引っ張られてよろめきながらも振り向くイリと視線が合い、唇に自然な微笑みが浮かぶ。いまにも泣きそうに引きつっていたイリの頬に、強がりからか苦い笑みがよぎった。ここにサーシャがいれば、命を賭してもタオホンの手から嫌がっているイリを奪い取っていたかもしれない。そのあとでどんな責め苦が待っていたとしても、どんな苦境に陥ろうとも、サーシャは後悔しないだろう。だがミハイルにはミハイルの命の賭け方があった。見守ることでしか自分のやり方を通せないミハイルは、もどかしさを感じつつも二人のあとを追う。”(P.36~39)とあるように、ミハイルは見守り続けました…愛するイリを如何なる時も寄り添う影のように常に傍らに、そして死の淵にイリが追い詰められた時は身を挺して守りました。チャンシャン王国に亡命して10年の時を経てイリが心の奥底に封印していた愛をヤンアーチェに告げ、13年前に父と台閣が真・天空帝国の侵略に加担したせいで後見たる一族を祖国と共に失ったイリを台閣の猛反対を蹴散らしたヤンアーチェが正妃として迎え彼の息子を産み母となった後も、イリを愛し見守り続ける…それがミハイルの幸福です。
画像は、篠原千絵先生の『天(そら)は赤い河のほとり』で極悪人のポジションに追いやられたナキア皇太后&彼女に死を賭して献身し無償の愛を捧げたウルヒ・シャルマです。また、ウルヒは河惣益巳の『サラディナーサ』でフロンテーラ一族の女性の歴代惣領の中で、惣領である愛する妻のためだけに竪琴を爪弾き歌った“吟遊詩人の夫”と共に、私にとっての理想のミハイル像の1人でもあります