SSSB 新前橋町壮年ソフトボール

最近は4代目管理人が好き勝手に野球やメジャーのことも書いています。

背番号45といえば

2021年03月06日 | 背番号の話
背番号の話、実はチームメイトでも誰が何番なのか気にしてないことが発覚してきました(笑)
僕は子供の頃から比較的背番号と選手名をセットで覚えていました。
もちろん、チームメイトの背番号は都道府県庁所在地なみにちゃんと覚えています。

今回は背番号45についてです。
僕の中で一番印象強いのは廣岡ライオンズ時代に、3番スティーブ、4番田淵とクリーンナップだった、
5番ライトのテリー・ウイットフィールドです。
実はNYヤンキースでメジャーデビューのバリバリ現役で、来日前年もSFジャイアンツのレギュラー。
3年間の在籍で二年連続日本一を置き土産にLAドジャースに復帰、ここでも一貫して「45」を背負っています。
日本で覚えた「礼」を重んじる精神から、ホームランを打った際、ホームイン後にヘルメットを取って観客席に向かい一礼する、
そんな心優しき助っ人外国人でした。

その「45」は“デーブ”大久保博元が背負っていました。現在は日本代表ではない本田圭佑投手の番号です。

西武でテリー、大久保が「45」を背負った頃、ジャイアンツでは岡崎郁が背負っていました。
河埜和正のショートのポジションを鴻野淳基や川合昌弘と激しく争ってました。
第2次藤田政権で駒田と共に恐怖の6番7番を担い、サードのレギュラーと背番号「5」を獲得してます。

岡崎がレギュラーを掴みそうだった1987年に“ミスター赤ヘル”の穴を埋めるべく獲得されたランス外野手。
本名はリック・ランセロッティで、本塁打か三振かという豪快なスイングでファンを沸かせました。
打率.218は規定打席でワースト、39本塁打でホームラン王、114三振は三振王とまさに「本塁打か三振か」でした。
ちなみに同年の安打数は88本でしたので、実にヒットの半分近い45%がホームランという凄まじい打撃でした。

そのランスが帰国するのと入れ替わりに熊谷組からドラフト1位でオリックスに入団したのが“パンチ”佐藤和弘。
仰木彬監督就任時に登録名と背番号を変えるまでは「45」を着用していました。

そしてロッテでは出世番号となっています。「45」からレギュラーを獲得したのが、
PL出身でサイクルヒットも放った得津高宏「45」→「25」、
落合の推薦でレギュラーとなり打率3割で新人王獲得した横田真之「45」→「2」、
1番から9番までの全打順本塁打を達成した堀幸一「45」→「5」、
マサヒコ繋がりで応援歌が「ギンギラギンにさりげなく」だった定詰雅彦「45」→「15」、
なお、定詰は阪神大震災チャリティー試合で外国人選抜チームの捕手として「JOE」の名で出場してます。
現在の正捕手である田村龍弘も「45」→「22」となっています。

そして阪神の“難波の春団治”こと川藤幸三が若手時代に背負い、
85年日本一の際13勝を挙げた助っ人リッチ・ゲイルの番号が「45」だったりします。

なによりMLBではレッドソックスのエースとして通算219勝のペドロ・マルティネスの番号であり、
古くはセントルイス・カーディナルスで251勝174敗を記録した大エース、ボブ・ギブソンが背負っています。

SSSBではイダ料理長のナンバーです。

参考記事
【背番号物語】
SPAIA「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」


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1 コメント

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Unknown (hide)
2021-03-06 19:55:17
イダ料理長、髪の伸びたパンチ佐藤にちょっと似てない?
 スミマセンm(_ _)m
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