幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「生まれてきてくれてありがとう」許斐(このみ)博史著 ”考え方と行動が変わると、自分の人生が変わる!”

2018-06-06 09:50:00 | 本の紹介
この本の著者の講演会があり、その内容を紹介します。
考え方が変わり、行動が変わると自分の人生が変わると言われていますが、それを実践されて来られたようです。
そのきっかけは、GLA(高橋佳子主宰)の”魂の学び”の会で学んでこられたようです。
GLAは仏教の教えを基にした、魂、心、身体の視点から考えていくもののようです。
魂と精神と置き換えるとロゴセラピーと似ているところも多くあります。

著者は1949年福岡生まれ、東京医科歯科大、ハーバード大学での学び、現在重症心身障害児施設長
114人スタッフ、外来150人。
自閉症、ADHD、注意欠陥児童、多動児など
行政や地域との連携を行っている。

許斐氏の講演から
「時空を超えてやってくる魂のミッションがあり、死んだら終わりではない。魂が存在している」。
患者さんの症状だけを診るのではなく、人として魂を持った人として診る。
通常はその子の状態を診る。
心の力は人生を考えるにあたって取るに足りないとの誤った考えが支配している。
医療者は魂と心がつながっていない。
障害児の言動が周りにノイズとして出てくる。
そのノイズに惑わされずに魂を診る。

11歳の少女。
反校挑戦性障害;親に強く反抗している。
病院に連れていったら、中からロックしてクラクションを30分ならし続けた。
母親は毛が全部抜けてかつらを被っていた。
この子はコミュニケーションに問題がある。
彼女の心の奥に魂があり、魂はお母さんの話を聴きたがっている。
お母さんがその話を聴いて少しずつ元気になって行かれた。

お母さんの気持ちを彼女にも伝えた。
こういうことだね?と言うと、「うん」と言った。

自分の家で一緒に暮らすことができなかったので、おばあちゃんところに住んでいた。ところが、一緒に暮らせるようになった。

3回目の診療後は許斐さんと「ハイタッチ」して帰っていった。

体躯だと魂が見えない。許斐さんがトレーニングしたのは、“聞く”“聴く”“訊く”を考える。

1997年から3年間 立ち上げから関わった。
看護師長、看護師さん6人が集団で辞めることが起きた(2000年)。
これで立ち上げが終わったかなと思った。
この話を皆に話をしたところ、「大変は大変だけど、何か本人に原因がないですか?」と助言を貰った。
なぜ辞めたのかを聴きに行きなさいと言われた。
何で自分が頭を下げて聴きに行かないといけないのかと思ったが、聴きに行った。
皆さんにいろいろな思いがあった。
・患者さんとスタッフに話す内容が違う
・午前と午後とで言うことが変わる
看護師さんから190項目の指摘を受けた。
それを呼びかけとして捉えた。
ここでいただいた項目がその後の病院運営に大きく役立った。
軌道修正できたのが大きかった。

医学校を卒業し、東京医科歯科大で博士号取得
ハーバード大で学んだ。論文も何件か投稿した。

36歳で国立精神科センターの室長に就いた。
論文もだしたが、何か違うと心から湧き出るものがあった。
「臨床で辛い患者さんを支えたい」と思った。
子どもを支える病院に転出した。
しかし、なかなか良い結果が出ない。
精神の病気は治らない。
厳しいと思っていたが、やってもやっても治らない。良くならない。
それまでの自信がボロボロになって行った。
後輩たちが部長や東大の教授になって行った。
自分はその華々しいルートからドロップアウトしてしまったとの思いが強くなった。
きっかけは魂の研鑚だった。「人間を魂と見る」ことだった。
これが精神医学の基礎ではないか。
その人の魂を信じないと、救えないと実感した。
その人独自のものがあると信頼がないとその人を救えない。

院長室には10畳に絨毯と机だけ。子どもが転がって良いようにおもちゃが置いてある。
関東圏の中核センターとして認められた。日本でも一、二の施設に発展していった。

研究をし、論文を投稿したが、それほどワクワクしなくなった。さらに研究を続けていくモチベーションを維持することが難しくなってきた。一方、人と関わっていた糸思い、アカデミックから重篤な患者さんの現場に行こうと思った。紆余曲折があった。これからもいのちをかけてでも頑張りたいと思っている。
苦しんでいる母子の同伴者として歩んでいきたい。

70名重度発達障害、3万人/年通って来ている。リハビリテーション棟完成でさらに多くの児童が来院している。

子どもの時は物理や数学が好きでエンジニアになりたかったが、途中から人に関わる仕事をしたいと思い、医学の道に進んだ。
医学研究をしていたが、何か違うと思い、41歳の時に重度障害児の臨床の場に飛び込んだ。
最初はやりがいも感じたが、やってもやっても、良くならない。
院長は自分の方がよく知っているのにと思い、対立することが多かった。
後輩や同僚がアカデミックで出世していった。自分の方が良き研究をしていたのにとの思いが強かった。
6年間、お酒に逃げ込んだ。
「魂の成長」の話を聴いて気持ちが変わった。
先輩の実践を見て、自分もやってみようと思った。
魂の学びをしていたとき、新しい施設に来ないかと声がかかった。

重症児病棟の看護師6人が辞めていった。
仲間から辞めていったことを教えて貰っては?
そんなことまでしないといけないのと思ったが、子どもたちのことを考えて尋ねた。
スタッフから私への不満も感じていた。
ありとあらゆることが多く、驚愕した。
・病棟スタッフに相談せずに入院させた
 (病棟スタッフがとても苦労していた)
・患者さんに言うこととスタッフに言うことが違い混乱した
・療育会議も院長の自己満足のためにやっている。
 (スタッフに負担になっていた)
500くらいあったが、まとめて190にした。
これなら病棟スタッフが辞めるのも納得した。
自分が原因だったと理解した。
分かってとてもショックで食事が喉を通らなかった。
人生間違っても良いんだ。こんな自分でも神様に愛されているだ。と思ったら、光が差し込んできた。

一人ひとりの意見を聴くようにしていった。
診療スタイルも変わった。
それまでは「自分がわかっている。自分が治す。自分が癒す」だったが、それが「患者さんの魂を信じること。生かされている」と思った。
人間を魂として受けとめる姿勢になった。
それを確信している。そうすることで驚くことのような発見がある。

Skunn、5歳1か月、男児
自閉症、知的障害、愛着形成障害。
9人兄弟で1歳で里親。
1回目は待合室で泣き叫んでいた。診察できなかった。
2回目も待合室で亡く叫んでいた。これは大変だと思ったが、このケースこそ自分の出番だと思った。待合室スペースでじっくりかかわった。
母親は愛情を持って接していたが、どうしてよいかわからなかった。
育児の難しい子をよく育てて来られましたね。誰がやってもとても難しいです。愛情を思いっきりぶつけてください。
毎週病院に来られて作業療法や聴覚訓練を受けた。
3回目は診察室に入ることができた。
4回目では、SK雲母お母さんも驚くほど元気で、S君は言葉が文章のようになってきて、よく笑うようになったとのことで、ニコニコしていた。

太陽の塔をS君は好きだった。写真が病院に貼ってあった。
病院で大騒ぎせず、ニコニコするようになった。
「このみせんせい こんにちは、またあいたいです。ありがとうございました。」

今改めて振り返ると、高橋先生との出逢いが決定的でした。
どん底の苦しい時期があったからこそ、今があるのだと思っています。
魂の学の中に必ずあると信じています。
魂の学びがなければ、相変わらず人との比較をしていたと思います。

感想
自分の周りに何か問題が生じているとき、それは自分の考え方や行動に問題があると考え、それを変えることで周りが変わって来たとの実践体験のお話でした。

ロゴセラピーでは、精神⇔身体&心 で見ます。
身体と心は病気になることはあるが、精神は病気にならない。
どんな人にも精神性があると考えます。
精神性がしっかりしていると身体と心もその精神性の考えの方向に向きます。

どう考えるか?
魂が存在しているかしていないかを確かめてから進むのが一般的ですが、魂が存在していると思って行動するメリットと存在しないと思って行動するメリットを比較して、メリットの大きい方を選択する方法もあります。
神さまの存在も同じかもしれません。
神さまはいないと思って生きるか、いると思って生きるか。

許斐さんは、患者さんどんな人にも魂の尊厳があると思い、その患者さんの魂に働きかける診療や行動をされたら、さまざまなことが上手く回るようになり、そして周りの人が喜ばれ、それが自分の幸せややりがいとして戻って来たとのことです。

仏教に”唯識”と言う言葉があります。
自分が今見ている状況は、自分が認識している世界で、自分が創り出しているとのことです。もし、それが不幸せなら不幸せになる考え方をしているとのことです。

周りは変えられない。
しかし、自分の考え方と行動は変えられる。
その時、自分が何を大切に思い自分を変えながら行動していくことなのでしょう。


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