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「誘惑される意志」ジョージ・エインズリー著 ”自分の意志なのに実はいろいろな影響を受けている”

2021-05-24 10:35:55 | 本の紹介
・行動をもっと強迫観念的にしてしまう深刻な副作用が四つ生じるのも事実だ。
1) ある選択が、それ自体の価値よりも前例として高い価値を持つようになったら、今ここの体験としてそれを味わう能力は下がるし、選択も硬直化する。
2) 失敗を前例として見てしまうと、将来の似たような状況での自制の期待は下がる。そしてそれが再帰的にそうした状況での自制力をさらに引き下げてしまう。
3) 失敗を知覚すまいとインセンティブができるので、自分の行動に対する知覚にギャップが生じかねない。
4) 失敗を定義するとき、漫然とした基準は明確な基準にとって代わられやすい。このため、選択が必要以上に具体的になりかねない。社会の体系化の進行は、人々の主要な自律戦略が社会的な制御から個人的ルールへ移行したことの原因でもあり結果でもある。

・即座に報酬をもたらす選択が関心を惹きつける二つの手段によっても制限される。その二つとは苦痛/癖と、拙速な充足だ。拙速な充足は、次の論理によって感情的報酬の制限要因となるようだ。
1) 自由に入手できる報酬でも、それらに対する要求を人がどれだけ、どのくらいの期間にわたって維持できるかによって制限される。
2) 双曲割引のために、人は生得的に報酬消費のピークにはやく到達しようとするが、これはしばしばその報酬に対する欲求を拙速に充足させてしまう。
3) お馴染みの出来事が続いたら、人の関心はどうしてもその結末を先読みしてします。だからお馴染みであること自体が欲求を霧散させてしまう。予測に対する唯一の保護は、その事象が理解不可能であるか意外なものであることだ。
4) 拙速な充足は、適度に珍しくてコントロールが効かないような出来事をきっかけとする感情以外のものをつぶしてしまう。

・知的生命の意志性に対抗するプロセスは三つある。
1) 十分に珍しくもなければ以外でもない合図は、感情的な報酬の機会としては効かなくなる。生き残る合図は、必ずではなくとも多くの場合には客観性のテストに合格するものとなる。何か実用的な作業を達成する必要がなければ、事実は感情のペース配分を行うために、そのユニークさや意外さに応じて「構築」されることも多い。重要なのは正確さそのものではなく、空想の恣意性を避けることとなる。
2) 他人は感情の機会を豊富に提供してくれるが、それは他人がよいパズルのような形で最適に予測不可能だからというにとどまらず、相手の共感的にモデル化するのが自分自身の感情のペース配分に有効だからという理由が大きい、悪意や残虐さもまた共感の一種であり、魅惑的な共感プロセスを意志で抑えきれないときに、それをコントロールするための試みなのかもしれない。
3) 意志は具体的な里程標に向かってあまりに猪突猛進して要求を台無しにしてしまうため、目標に対する間接的な経路を採用するインセンティブがよく生じる。つまり、まさに要求を満たすのが非効率であることによって報酬をもたらすようなダミー活動が求められる。ある活動が間接的だと指摘するとその当初の効果を破壊してしまうために、この性質はしばしばフロイト的な意味で無意識となっており、それが認識されるのは機知で嫌みのネタになったときがほとんどだ。

感想
里程標(りていひょう) goo辞書より
 距離を記して道路・線路のわきなどに立てた標識。
 転じて、物事の推移・発展の一過程を示すしるし。

この言葉は知らなかったです。

自分の”意志”だと思っていても、実はいろいろな影響を受けているようです。
そのいろいろな影響があるのかどうかを、この本で紹介されている視点を考慮しながら考えてみるの良いのかもしれないと思いました。

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