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「ひきこもりは生き延びるための選択肢」当事者に寄り添い続けたジャーナリストが語る、本当に必要な支援とは #今つらいあなたへ ”個人よりも社会の問題と捉える”

2024-08-23 14:34:56 | 社会

「ひきこもり」について30年近く取材を続けるジャーナリストの池上正樹さん。池上さんは子どもの頃、学校に登校していたものの教室ではクラスメイトと一言も話すことができず、“学校の中でひきこもっていた状態”だったと語る。長年取材を続ける中で、「ひきこもりは甘えや怠けではなく、生き延びるための選択肢」であると知ったという。ひきこもりの実態や、ひきこもり当事者や家族を社会がどう支えていくべきか、話を聞きました。(聞き手:荻上チキ/TBSラジオ/Yahoo!ニュース Voice)

30年近くひきこもり当事者を取材してきた理由

ひきこもりを取材して得た気づきついて語る池上正樹さん
――池上さんが、ひきこもりについて取材を始めたきっかけは何だったのでしょうか。
 池上正樹: 30年ほど前から学校教育について取材をしていたのですが、そこで学校に行けない子や、学校で話せない子たちに出会って「昔の自分みたいだな」と感じました。一体どうしてこういうことが起きるんだろうと調べていたところ、「ひきこもり」という言葉に出会ったんです。それ以来、これは自分の使命だと思ってひきこもりと関わり続け、取材や家族会のサポートをしています。 
――ご自身は学生時代にどんな経験をされたのでしょうか。 
池上正樹: 幼稚園時代から小学校6年生まで、教室の中では誰ともしゃべらず心を閉ざした状態でした。休み時間は図書室で本を読んだり、カーテンの陰に隠れて外を見たりして自ら存在感を消していました。周りから見たら何も反応のない子という感じだったと思います。当時は「ひきこもり」や「不登校」という言葉を知りませんでしたけれど、振り返ると学校の中でひきこもっていた状態だったのではないかと思います。 ――中学生以降は、何か変化があったのでしょうか。 池上正樹: たまたま、仲のいい友人ができたんです。学校の中でも外でもずっと一緒にいて話ができることが、非常に心の支えになりました。それがきっかけで他の生徒とも徐々にコミュニケーションが取れるようになっていったんです。 ただ、話せなかった期間が長かったので、会話が苦手だったり、人前に出る時に緊張したりするところは今も残っていますね。

「ひきこもりは生き延びるための選択肢」
――政府はひきこもりについてどう定義しているのでしょうか。 池上正樹: 厚生労働省の研究班はこれまで「原則的には6ヵ月以上にわたって概ね家庭にとどまり続けている状態(他者と交わらない形での外出をしていてもよい)」と定義してきました。客観的に見て、「家族以外との関係性がない」というのがポイントだと思います。ただ、6ヵ月という期間については議論されており、定義の見直しが行われています。定義そのものも、客観的な状況があった上で「本人が支援を必要としているのか」をもっと見ていこうという方向で再検討されています。 ――世間が抱く“ひきこもり”のイメージと、実態にギャップを感じることはありますか。 池上正樹:世間的には、「ひきこもりは甘え、怠けている」というイメージがあると思います。しかし実際のひきこもり状態にある人は、学校や職場でさんざん尊厳を傷つけられ、トラウマになるようなことがあったときに、そこから生き延びるための選択肢なんです。 例えば、東日本大震災の被災地で取材した際に、津波が来ることが分かっていながら逃げようとしなかったひきこもる人が何人もいたという話を聞きました。一体なぜ逃げなかったのかを調べると、本人にとっては地域や社会は命の危険を感じる場所なので、家の中に避難していたのではないかと知ってハッとしたんです。「今、自分は避難している状態なのに、どこに避難すればいいのか」と思っていたのではないかと感じました。実際、あるひきこもり当事者は「津波よりも避難所の人間関係の方が怖かった」と証言されています。能登半島地震でも同じようなことがあり、家の下敷きになる前に家族を助けるなどの理由で脱出したものの、「避難所には行けない」という人たちが何人もいました。 ――ひきこもりをしている人たちについて、知ってほしいことはありますか。 池上正樹: ひきこもり状態にある人の多くは、できる範囲で健康のために運動をしたり、家事をやろうとしたり、自分なりの居場所を探そうとしたりと、一生懸命生きようとしています。しかし、周りからなかなかそう見てもらえていないのではないかと思います。だから、周囲の人が「自分を守るために、今は家にひきこもらざるを得ないんだな」と見てあげると、ひきこもりの人たちはエネルギーを充電する期間を経て「生きてみようかな」「もう一度地域や社会に出てみようかな」と思えるようになるかもしれません。

“あなたらしい生き方を応援する”というメッセージを届けることが大事
――池上さんが長年取材を続ける中で、ひきこもりの当事者に対する社会の向き合い方に変化を感じますか? 
池上正樹: 大きく変わっていますね。以前は、ひきこもり支援と言えば、人を社会に適応させよう、更生させようという視点でアプローチされていました。しかし、今は多様性の時代ですので、国や地方自治体の行政などでも一人ひとりの状況に合わせて、本人の望むサポートをしていこうという考え方に変わりつつあります。 不登校の場合は、教室以外の場所で勉強するという選択肢がありますし、学校の入口まで来たら出席や単位を認めようという動きもあります。また、江戸川区ではひきこもり状態の子どもとその家族に向け、「駄菓子屋居場所 よりみち屋」を開いており、店に通う不登校の子供たちを見て、出席日数として認めようという動きが学校現場から始まってています。このような新たな考え方が広まってきていることは、いい傾向だなと思いますね。ひきこもっていたとしても、大事なのは、自分を理解してくれる人と出会い、そのつながりを維持することで、その人らしく生きられることです。社会全体がそういう方向に変わってきていると感じます。 
――ひきこもり当事者に対して、社会はどのように支えていくべきだと思いますか。
池上正樹: 「あなたらしい生き方を応援しますよ」というメッセージを届けることが大切だと思います。人はそれぞれ強みや長所を持っているのですが、ご家族は不安や焦りがあるのでそれが見えにくくなっていて、ネガティブな部分にばかり目を向けがちです。それでは家族と当事者がお互いに余計に辛くなり悪循環になってしまうと思います。強みを生かし、苦手な部分に配慮しながらどう生きていくかが重要です。 ――現在、ひきこもり当事者に対してどんな支援団体や支援サービスがあるのでしょうか。 
池上正樹: 例えば、「COMOLY」という団体は、家から出られない人たちに在宅ワークなどの収入につながる仕事を提供するサービスを立ち上げています。Webのアプリ開発、チラシやパンフレット、報告書の作成、イラスト制作などの仕事を提供しているそうです。現在の登録者は約1,600人いて、ひきこもり当事者にそれだけ多くのニーズがあるんだと感じますね。専門的なスキルが必要とされることもありますが、自分の強みが仕事につながるかどうか連絡をしてもらえるといいと思います。 また、私が長年関わっている「KHJ全国ひきこもり家族会連合会」では、ひきこもり経験者やご家族の方に対して、全国に57ある支部で「KHJひきこもりピアサポーター」として認定しています。同じ仲間だからこそ気持ちが分かることがあるので、ひきこもりについて相談に乗ったり家を訪問したり、サポート活動を行っています。また、同団体では「たびだち」という雑誌を年4回発行しているのですが、そこでイラストを描いていただいている方は、20年間ひきこもっている48歳の方なんです。オンライン上で依頼して、些少ですが報酬もお支払いしています。 厚生労働省のホームページでもさまざまなサポート機関の情報を掲載して、ひきこもりの当事者や家族と社会とのつながりを増やしていこうとしています。当事者の方や、当事者が近くにいるという方にはそんなサービスがあることをぜひ知ってほしいですね。 
---- 池上正樹 1962年、神奈川県生まれ。KHJ全国ひきこもり家族会連合会副理事長。通信社などの勤務を経て、フリーのジャーナリストに。1997年から日本の「ひきこもり」について取材。全国各地でひきこもり支援に携わる。東日本大震災直後には被災地に入り、ひきこもる人たちがどう行動したのかを調査した。著書に、『ルポ「8050問題」高齢親子〝ひきこもり死〟の現場から 』(河出新書) 、『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)など。 文:都田ミツコ

感想
 引きこもりは、本人が希望してではなく、それしか選択肢がないとの結果ではないでしょうか。
 本人は苦しんでいます。
社会がやはり何らかの支援が必要なのです。


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