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「トンネルの森 1945」角野栄子著 ”戦争体験の一端を知る”

2024-06-28 01:30:30 | 本の紹介

 児童文学作家の角野栄子さん(80)が、太平洋戦争中の自身の体験をもとに紡いだ物語『トンネルの森 1945』(KADOKAWA)を17日に刊行する。『魔女の宅急便』をはじめ、数え切れないほどの作品を手がけてきたが、戦争をテーマにした物語を書くのは初めて。終戦から70年、作品に込めた思いを聞いた。(戸谷真美)
 「体験したのだから、戦争のことを書いてみようと思ったの。10歳の女の子が見た、感じた戦争、それだけを書きたかったんです」
 幼いころに実母を亡くした西田イコは、東京で祖母と暮らしていたが、戦局が悪化し、父の再婚相手と幼い弟とともに、千葉県の小さな村に疎開する。継母や田舎の生活になじめないイコだが、ある日学校で疎開先の家のそばの暗い森に、脱走兵が逃げ込んだと聞く-。
 10歳のイコは小さな世界に生きている。考えるのは食べもののこと、戸外のトイレや暗い森のトンネルの恐ろしさだ。継母に気を使い、寂しさと闘いながら、土地の言葉を一生懸命に覚えようとする。「『おなかがすいた』とか『東京弁をからかわれるのやだ』とかね。子供は戦況や戦争自体の善悪なんか考えない。私自身には戦争について思うところはありますが、大人の目線で戦争を意味づけるようなことはしたくなかった」

●死と隣り合わせ
 角野さんも東京で生まれ育った。昭和19年に集団疎開で山形県へ、翌年3月10日の東京大空襲で自宅を焼失したのをきっかけに、継母や弟妹らと千葉県に移り、そこで終戦を迎えた。「まず食べものがない。母を亡くしていたし、戦争中だから父も死ぬかもしれない。だから私にも『明日命を落とすかも』という恐怖があった」と振り返る。
 死と隣り合わせの子供時代だったが「不安の中にも想像力はある。子供は『いいことはきっとある』と、ポジティブに考える力がある。いつの時代でもね」と角野さんは言う。
 想像力は生きるエネルギーの源泉になる。長年の執筆を支えたのは、物語は子供が持つその力を大きく育むことができるという思いだ。「物語には想像力をかき立てるものがいっぱいある。そこは広く、自由な世界です。入り込むことはできるけれど、主人公と自分は違うでしょ。そこで子供たちは自分を知り、『こう生きたい』と考えるんだと思うんです」
 大人の視点で戦争を語ったら、現代の子供たちは物語の世界に入れない。だからこそ、角野さんは本作を書くにあたり、最初にイコたちが暮らす村の地図を描いた。自身が10歳の少女になって、その世界を楽しむためだった。

●「暗い森」を抜けて
 暗い森のトンネルを駆け抜けたイコのように、戦後は日々、世の中の明るさが増してゆく。終戦後しばらくして、復員した教師の背広姿を見かけたことがあった。「戦時中の男性はみんな軍服か国民服だったから、その先生を見て『戦争は終わったんだ』と実感した。相変わらず食べものはないし、お風呂にもロクに入れない。でも、一日一日世の中が良くなっていくのを肌で感じたわ。ドアが少しずつ開くように、人の気持ちがパッパッと開いて、明るくなっていくのは本当にうれしかった」
 戦争中、将来の夢を描けなかった子供たちはその後、それぞれの場所で日本の復興の礎になった。「あの頃の若者ってみんなエネルギーがあふれていたの。だからできれば次は、私が社会人になった頃、昭和30年代を書いてみたい」。そう語る目が少女のように輝いた。
【プロフィル】角野栄子
 かどの・えいこ 昭和10年、東京都生まれ。早稲田大卒。45年にノンフィクション『ルイジンニョ少年 ブラジルをたずねて』で作家デビュー。57年『大どろぼうブラブラ氏』でサンケイ児童出版文化賞を受賞。代表作『魔女の宅急便』は24年間、全6巻にわたって続き、宮崎駿監督のアニメ映画も大ヒットした。

感想
 角野栄子さんの作品だということで、本に紹介があり、読みました。
戦争は決して行ってはいけない。悲しむ人を増やすだけです。
淡々と戦争中の疎開、生きるために必死に、子どもの視線で描かれています。
 とても良い作品だと思いました。

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