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幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「トラウマインフォームドケア “問題行動”を捉えなおす援助の視点」野坂佑子著 ”問題行動を起こす背景にトラウマがあるかもしれないとの「トラウマメガネ」を通して見る”

2025-03-26 11:06:36 | 本の紹介
・TICとは、行動の背景にある”見えていないこと“を、トラウマの「メガネ」で”見える化”するものであり、支援における基本的な態度や考えかたである。

・トラウマは人を無力化し、希望を失わせる。そして、人とのつながりを断絶させ、孤立させる。だからこそ、トラウマの回復においては、有力化(エンパワメント)と対話によるつながりが欠かせない。トラウマメガネを共有し、「いったい何が起きているのだろう」と本人と一緒に探っていくことで、自分の状態がわかり、問題を話しやすくなる。

・3段階のトラウマケア
①トラウマに特化したケア Specific;トラウマを受けている人が対象
 特定の介入により人生を統合していく支援
②トラウマに対応したケア Responsive;リスクを抱える人が対象
 被害の影響を最小限に抑え、健全な成長と発達の機会を最大化するための支援
③一般的なトラウマの理解と基本的対 Informed;すべての人が対象
 トラウマ・逆境の理解と生活環境に及ぼす影響についての一般知識をもって関わる

・トラウマを理解する「3つのE」
①Event;トラウマとなる出来事
②Experience;トラウマをどのように体験したか
③Effect;トラウマによる影響


TICの「4つのR」とは?
・Realize:理解する 
・Recognize:認識する
・Respond:対応する 
・Resist re-traumatization:再トラウマ体験を防ぐ

・トラウマの影響を「見える化」する 三角形モデル
     トラウマ体験
         ↑↓       ↑↓
リマインダー ⇔ トラウマ反応
①この行動は、トラウマ反応(症状)かもしれない
②何かのきっかけ(リマインダー)に反応したのかもしれない
③過去の体験が今、影響しているのかもしれない
④本人も周囲も、このつながりが理解できず、うまく対応できていないのかもしれない

・リハビリテーションとしてのトラウマインフォームドケア

・心理教育とリラクゼーション(呼吸法や筋弛緩法)

・TICは、被害と加害といった立場を超え、あらゆる人を理解し、支援するための枠組みとして機能する。

・健康な組織づくりに向けた7つのコミットメント
①非暴力;いかなる場合でも暴力は行使しない
②感情的知性;感情を自覚し、適切なコントロール
③社会的学習;お互い学び合う
④オープンなコミュニケーション
⑤民主性;意見が尊重され、生かされている
⑥社会的責任・自分自身をコントロールする責任
⑦変化と成長・良くなるために変化することをいとわず、成長する責任を果たす

・「どうしたらいいの」と一人で悩んでいても、何もできない・でも、「どうしたらいいんだろう」という思いを仲間と話し合うと、悩んでいるのは自分だけじゃないとわかる。たとえ、否定的な気持ちばかりでも、一人で抱え込むより、仲間と共有するだけで少し前向きになれる。

感想
 トラウマインフォームドケア(TIC)の言葉を別の本で知り、この本を読みました。

 読んで浮かんだことは、ストーカー対策を、ストーカーが近づかないようにとか、ストーカーから守ることを一般にしていますが、ある女性のカウンセラーはストカーの人に会って、その人も心を病んでいるからと思って、ストーカーの心のケアをすることでストーカー行為を止めさせる取り組みでした。
 つまり女性から相談あると、その女性のストーカーに会ってその人のケアをすることでストーカーを止めさせていました。
 ストーカーしているのは許せませんが、その人にも何かトラウマがあるのかもしれないのです。
 その活動をしている方の本を読み、実はストーカー行為をしている人も、「よくないとわかっていても抑えることができない」という人もいるということでした。
 恐ろしいストーカーは振られたら、他の人に取られるより、相手を殺して自分も死ぬということを実践しているケースがあります。
相手の幸せを願う”好き/愛”ではなく、自分だけの”好き/愛”なのでしょう。
こういう男性と付き合うと悲劇です。
でもなかなか付き合う前は分かりません。
病んでいるのですが、その男性は自分が病んでいることにも気づいていないようです。
 TICが心のケアと成長を小中高で行なえると、悲劇を抑えることが出来るかもしれないと思いました。

 TICは何か問題行動の背後には問題行動を起こす人に何かトラウマを持っているのではないかとの取り組みです。
”トラウマインフォームドケア”で検索すると多くの情報がUpされています。

 学校で問題行動を起こす子どもに対して、止めさせることよりもインフォームドケアの”メガネ”でその子どもと子どもの行動を見て行くことにより、問題行動を和らげている活動に生かされているようです。
 TICはトラウマで苦しんでいる人よりも、問題行動を起こしている人にはトラウマがあるかもしれないとの視点でその人を見ていくようで、学校教育の場面などで使われているようです。

 トラウマを抱えた人で日常生活に支障をきたしている人にはいろいろな治療法があるようです。



「はだかの白鳥 阪大大学院卒AV女優に」藤かんな著 ”自分に正直にやりたいことをやる”

2025-03-26 01:55:55 | 本の紹介
・「両親は悲しむだろうって思っているのに、なんでそこまでしてAVしようとするんだろう」
 答えのない自問ばかり。まるで二人の人間が日記を書いているようだった。

・「後藤さんと会ってワクワクしたのは確かです。私の本当に輝ける舞台はここなのかなって思いました。でも、やっぱり怖くて・・・。わがまま言ってすいません。AV女優になることは、もう少し考えさせてください」
 社長は何も言わずに頷いた。

・私は四歳からバレエを続けていて、大学は関西の国立大学院を卒業した。今は上場企業の会社員として働いている。家族とは仲が良く、周囲からは、順風満帆の人生を過ごしている、幸せなエリートお嬢様と見られていたと思う。しかし周囲が思うような、穏やかで幸せな毎日ばかりではない。人並みに苦しいことも辛いこともあった・・・。
 小さい頃から夢中になったバレエでは、世界で活躍するバレリーナになることを夢見ていた。しかしコンクールで結果が残せず、中学三年生の頃にはその夢を諦めてしまった。
 勉強は昔から良くできた。中学生までは自分のことを神童と思っていたくらいだった。しかし高校に入り、自分は決して神童ではなかったことを思い知った。どれだけ勉強してもテストで一番が取れなくなった。上には上がいる。それに気づいたショックは、当時の私にとって大きかった。
 大学は理学部に進学し、学部四年生から修士二年生までの三年間は研究室にこもる日々だった。毎日、暗室で顕微鏡を覗きながら気の遠くなる細かい作業をする。時にはマイナス二十度の冷暗室で数時間、顕微鏡を覗きながら作業をした。高校の同級生たちは、バイトや合コンで華やかな日々を過ごしていたり、すでに就職して自立したり、結婚して妊娠している人もいた。そんな彼らを羨ましく妬んだ時もあったが、大学院に進学したのは自分の意志であり、親に支援してもらって生活しているのだと、目の前のことに集中するしかなかった。
 そうして大学院を卒業し、ようやく手に入れた社会人としての立場。理系学生として修士課程まで修めた結果、得られた企業の研究職だったが、会社では思うように活躍できなかった。

・自分が本当に好きなこと、得意なことを真剣に考え続けた。バレエ、読書、数学・・・。何度ノートに書き出しても、何かが足りない気がする。どこか自分に嘘をついている気がする。自分の奥底を見つめ、思いつくままにノートに書き続けた。そして最終的に無意識に蓋をしていた、自分の好きなものを見つけ出した。「セックス」だった。
 「絶対これや」と、根拠のない自信が湧いた。

・セックスに逃げた過去
 入社して三年目くらいから男と遊ぶようになった。・・・
 毎日が仕事で一杯一杯になり、余裕がなくなっていった。・・・そんな自分に苛立ち、気持ちが荒んでいった。
 私はこんなに劣等生だったけ。・・・
 そしてセックスに逃げた。誰かに必要にされたい。認められたいという欲求を男に求めた。不特定多数とセックスすることに、後ろめたさは一切なかった。・・・求められることに喜びを覚えた。

・病気をもらうことも頻繁にあった。婦人科へはしょちゅう通ったし、緊急避妊ピルは三回飲んだ。・・・それでも私は男を求めた。

・社会人になって男と遊ぶようになった頃、会社の同僚とも何人か体の関係を持った。中には恋人のいる男もいた。新婚の男もいた。奥さんが妊娠して里帰り中の男もいた。その時ばかりは、男はこんなにも簡単に不貞を働くのか、と失望した。

・「AVのメーカーが決まった。マドンナで専属契約」
どうやら私は熟女ナンバーワンメーカー「マドンナ」の専属女優して、AVデビューすることが決まったらしい。・・・
 「専属女優になれるだけでもすごいねん。AV女優の五パーセント未満」

・午後は性病検査に行った。AV出演者は撮影の前に必ず性病検査を受ける。・・・そしてその検査結果は撮影の一か月以内のもののみ有効とされている。

・AV撮影では絡みの前に全身を綺麗にする。歯磨き舌磨き、体も全身洗い、そして膣内も使い捨てビデを使って洗う。

・これまで私がしていたセックスはなんだったんだろう。そう思うほど、プロのセックスは桁違いだった。

・AVって、精度の高いリトマス試験紙やねん
「あなたがAV女優やと知って去って行く人も出てくる。縁の切れる友達もいると思う。でもそんな奴らはその程度の関係やってん。こっちから、縁切ってくれてありがとうって言ってやったら良い。ただその時は苦しいと思うよ。でもな、人生は浮き沈みが絶対にあるねん。失うものがあれば得るものもある。だってあなたは、そこら辺の人がなかなかできないことして、戦おうとしてるんやから。もう闘い続けなあかんねん」
 そういって後藤さんは電話を切った。

・「バレエをAVに使ってほしくない」だなんて、彼女はバレエの創始者なのだろうか。

・「確かに恵まれた環境で育ってきました。でも何も結果を残すことができなかったから、ずっと自分に自信がなかったように思います。結果を残して認められたい気持ちがずっとありました」

・そしてある先輩のお母さんが言った一言が、私の中の何かのスイッチを押した。
「もっと痩せたら、もっと綺麗になるでしょうね」
 そのお母さんはバレエ経験者で、娘のバレエにも厳しい人だった。
 それから私は朝食のパンと、夕食の米を半分減らした。週にニ、三回、ランニングも始めた。身体はさらに細くなり、先生はますます私を褒めた。・・・私はますます痩せていった。

感想
 捨てるものが大きすぎると思いました。
でも、藤かんなさんにとって、自分らしく生きるためにはどうするかを自問自答しながら、悩みながら”清水の舞台から飛び降りる”ことを決断されたようです。

 阪大理学部は、数学科、物理学科、化学科、生物科学科の4学科です。
顕微鏡を3年間覗いていたとのこと、生物科学科でしょう。

 自分らしき生きることとはどうするか、難しさを感じました。
自分にどこかで妥協するか、それともやりたいことにチャレンジするか。
妥協するとある程度、安定な将来を予測できます。
しかしチャレンジすると、将来は不明です。
どんな将来が待っているかわかりません。
でもその将来にかけてみるのも大きいと思いました。

 藤かんなさんが美貌とスタイルの良さがAVに向いていたのでしょう。
胸が大きくなったことはバレリーナとしてマイナスだったけど、それがAVではプラスに働いたのも、自信を持つ一つになったようです。

 NHK大河ドラマ「べらぼう」では幕府公認の遊郭「吉原」が出て来ます。
「高尾太夫」は姫路藩主に身請けされています。
10年の奉公の年季があったようです。
今は身売りはないようですが、しかし貧困から風俗に入る人もいます。
庶民の間では「夜這い」システムでの婿取りなど。
そして戦後「赤線/青線」。
今は「ソープランド」などの風俗。
歴史上一番古い職業は娼婦との説もあります。
必要なのに、社会的地位が低くなっています。
それを求めている男性がいるからその職業が成り立っています。
藤かんなさんには新しい扉を開けていただきたいです。

「贈り物の心理学」成田善弘著 ”贈り物の背後にある顕在化、潜在的な気持ちを考える”

2025-03-20 11:18:18 | 本の紹介
・ギリシャ神話の贈り物
①木馬の贈り物 トロイ
②火の贈り物 プロメテウス
③肉と骨 プロメテウス
④贈られた女パンドラ
⑤秘密を打ち明けること テミス、プロメテウス
⑥不和のりんご 女神エリス
⑦パリスの審判 
⑧死の選択-フロイトの「小箱選びのモチーフ」
⑨ヘレナ 
⑩イピゲネイア
⑪「贈り物をたずさえるギリシャ人に用心せよ」 メネラオス
⑫命の贈り物 アポロン

・神々からの贈り物は実に両義的である。命も火も肉も女性も、人間に幸福を与えるとともに多くの不幸を与えている。そのような生を生きることが人間の運命なのだと、神々からの贈り物は人間に告げ知らせている。

・日本の昔話にみる贈り物
①「鶴女房」
②「鯉女房」
③「魚女房」
④「母の目玉」
⑤「浦島太郎」

・ギリシャ神話においても日本の昔話においても、贈り物はあちらの世界とこちらの世界とを結ぶものとして贈られるが、結局のところ二つの世界が別々のものであることをあらわにするのである。

・ギリシャ人の贈り物が、人間は所詮神々の定めた運命から逃れられないことを示していたのに対し、フロイトは人間の願望が運命を変えうることを、あるいは少なくとも、人間は運命に服従するのではなく運命を自ら選び取ることができることを、贈り物を受け取り贈ることによって示そうとしたかのごとくである。

・日本語の「贈る」は「送る」に由来し、人の出立に際して別れ難くてついてゆくのが原義で、転じて心をこめて人に物を届ける意味であると言う。

・シルバーは一例をとりあげて贈り物のもつ意味と機能を検討し、「贈り物は治療者との空想的かかわり合いの実演を可能にした」と述べている。
 クリッツバーグは「治療状況の中での贈り物は一般に無意識的に動議づけられた行為である」とし、「患者は自分が価値あると思う何かの好ましい現実の経験を治療者にも共有してほしいという願望は意識している。しかし贈り物が、治療者に自分の現実世界の喜びを共有する現実の対象になって欲しいという願望を表していることには通常まったく気づいていない」と述べている。
 これらの著者は贈り物のもつ多くは無意識的な多重の意味について述べ、贈り物を患者の精神力や治療者・患者関係、とくに転移と関連してとらえることの重要性を指摘している。

・わが国の神田橋條治は、精神分析領域では贈り物は受け取らないでその行為を解釈するのが定石だと言われているが、それは間違った考え方であり、贈り物は必ず受け取らないといけないと言い、おおむね次のように述べている。
 週五日行う精神分析であれば贈り物は受け取らずにその意味を患者に解釈して伝えればよい。ただし週一~二回あるいは隔週といった精神療法では、途中に長い切れ目があるので贈り物は受け取らないと、治療者の方はその思いを言葉にしにくいようなさまざまな思いが込められている。それを受けとらないと、治療者の方はその思いを究明してゆく意図で受け取らないつもりでも、患者側からすると思いそのものを受け取ってもらえないことになってしまう。毎日行う精神分析と違い、週一回程度の精神療法ではその間に治療者との長い分離の期間がある。患者はその間も関係がずっと持続していることを確認し、その関係を強化しようとして贈り物をする。その贈り物を拒否されると、関係の確認行為や官営の教科行動を拒絶されることになって、患者に辛い思いが起こってくる。これが贈り物を受け足らねばならない一つの理由である。
 もう一つ理由として、贈り物にはさまざまな思いが込められている。アンビバレンスとか、治療者に対する敬意とか、敬意を隠したい気持ちとか。そういうさまざまな気持ちを一つの品物に統合したものが贈り物であるから、贈り物をするという行為には患者の統合機能の萌芽がある。これが第二の理由である。そして受け取った瞬間に、関係が強化されるから、強化されたらできるだけ早く、贈り物の意味を解釈できるものならしておきたい。しかも関係がこわれないようにしたい。
 神田橋のあげている第二の理由、贈り物のもつ統合機能に着目してそれを受け取るという指摘は重要と思われる。

・わが国の摂食障害の治療者としてよく知られている下坂幸三は、「神経性食思不振症者からのケーキなどの贈り物はありがたくていねいにいただいておく。(口愛期的コミュニケーション)は大切にしておきたい」と述べている。

・児童精神科医は大人の患者の治療者の側からの子どもの患者への贈り物についての包括的な論文の中で「子どもへの贈り物は尊敬や好意といった感情を伝えるのにとくに有用である。

・一方では、贈り物を受け取らない治療者もいる。こういう治療者は贈り物を受け取ることは治療者への逆転移、とりわけ自己愛的な満足に無自覚なゆえであると考えている。

・スタインは「贈り物が患者の不安克服の手助けになっている場合には、贈り物を贈るという行為についてあまりに早く解釈したり、止めさせたりすべきでない」と指摘している。

・贈り物の背後に患者の無意識的空想があり、贈り物はその無意識的空想の実演であるということである。

・斉藤なつみは日本の昔話のなかから贈り物が語られている十五の話をとり上げて検討し、日本の昔話では贈り物を贈るのは動物や若い女性や僧であり、いずれも人間より優れていると思われる存在であり、贈られるのはほとんど男性であると指摘している。動物も女性も僧も神的なものあるいは無意識なものと結びつきが強いと考えられるので、贈り物は無意識からの贈り物であると考えられる。

・治療過程のなかで受け取った贈り物の背後に権謀術数や経緯や憎悪を私が感じることはほとんどなかった。それは一つには、無意識的空想のところで述べたように治療者への贈り物が実は患者自身への贈り物であり、患者は治療者に贈り物をすることによって実は自分自身を育んでいたからであろうが、もう一つはは、彼女たちの贈り物の背後に個人的無意識を超えて文化の深層が存在していたからかもしれない。

・贈り物の動機について
 贈り物がどのような動機からなされるかについてよく知られているのは、ボールディングの「愛からの贈り物」と「恐怖からの贈り物(貢ぎ物)」という分類である。ボールディングは愛から生まれる、すなわち善意からなされる贈与である「贈り物」と、恐怖の結果として、または脅迫のもとでおこなわれる贈与である「貢ぎ物」との二種類を区別した。たしかにこれは有用な分類である。恋人に贈るプレゼントは愛からの贈り物であり、神々の怒りを鎮めようとしてなされる犠牲は恐怖からの貢ぎ物である。
 ただしこの二種類は必ずしも二者択一的、相互排除的なものではない。恋人に贈るプレゼントは愛からの贈り物ではあろうが、ときには恋人の心が離れてゆくことへの恐れから彼(彼女)を引き止めたいという貢ぎ物であるばあいもある。あるいは、会社の上司に贈るお歳暮は、会社における自分の地位を保ち、地方にとばされるのを避けようとする恐怖からの貢ぎ物の場合もあるが、ときには尊敬に値する上司への善意からの贈り物であるかもしれない。恋人へのプレゼントにせよ、上司へのお歳暮にせよ、愛と恐怖の両方の動機を含むことがある。

・「贈る」という言葉には別れ(分離)を否定し、つながり、結合、一体を維持しようという意味がある。たしかに贈り物はつながりや一体感を求めて贈られる。しかし同時にその贈り物が分離を顕在化させるのである。
 たとえば、今は去っていったかつての恋人から贈られた手編みのひざかけがあるとしよう。彼はそれのひざかけをみるたびに恋人を思い浮かべ、彼女との幸せな時間を思い出し、彼女を身近に感じるかもしれない。もともとその贈り物は彼女が「いつも自分を身近に感じてほしい」と彼に贈ったもので、二人の愛の結びつきの象徴であった。

・「してもらう、して返す」 内観療法
 この内観療法は、してもらったらして返すのが当然ということが人びとに共有されていることを前提としているものと思われる。内観療法が日本独自の精神療法として発展したのは、日本緒贈与交換のなかで返済の無我相対的に強調されていることと関係があるかもしれない。

・「移行対象」として贈り物
 イギリスの小児科医にして精神分析医であるウィニコットが提唱した概念で、幼い子どもがはなさず持ち歩く毛布の切れはしや人形あるいは動物のぬいぐるみなどを指す。ウィニコットはこれを最初の「自分でない」所有物として発達的に位置づけ、移行対象と名づけた。
 牛島定信は移行対象の特徴を次のように整理している。
 ①指しゃぶりのような口愛的な本能充足的活動の延長線上にありながら、それとは質のちがった体験領域となっており、快感追求的というよりは、安らぎを与えるものになっている。
 ②母親によって与えられたものであるにもかかわらず、あたかも自分が発見し、自分が創造したものになっている。
 ③内的体験世界のもろもろが付記されている、外界にあるものという認知がある一方で、自分になったり対象になったりする。内的体験と外的対象との重なり合う、体験の中間領域を形成している。
 ④母親からの分離が課題になるときに際立ってくる。
 ⑤母親とのほどよい関係を基盤に生じ、その機能を発揮する。
 ⑥やがては消失して、子ども遊びや成人の文化的活動の領域に吸収されていく。

・秘密と贈り物
 秘密を告白することが贈り物であること、あるいは贈り物を贈ることが秘密の告白であることがある。

・小此木は秘密を告白することには三つの働きがあるという。
①自分の内的な感情、願望、不安などを打ち明けることで、相手との心理的距離を縮め親密になろうとする働きがある。相手も親密になることを望んでいるときは満足を得る。愛のこくはくなどがこれにあたるであろう。
②相手に利益を与えたり相手の行為を得るために秘密を告げるという場合である。
③相手の知らない情報を与えることで、心理的に上位に立つことができるという働きである。

・「打ち明ける」には秘密の保持が前提になるが、その次には「信頼する」ということが必要になる。秘密を打ち明けた相手がそれをきちんと受けとめてくれないのではないか、第三者に漏らしてしまうのではないかとという不安があっては打ち明けられない。

感想
 「贈り物」についてこれだけ多くの心理学的な視点からの研究、考察があるのに驚きました。
 また精神科の医師が患者からの贈り物に対してもさまざまな考え方があるのも初めて知りました。

 ケースバイケースで受け取る、受け取らないがあり、それぞれに両者の関係性にも影響しているのでしょう。

 彼が彼女から振られた時、彼が彼女にこれまで贈ったものの返還を求める男性がいますが、それはやりたくないですね。
与えた時点からそれはその人の所有物です。
別れることも考えて贈るものだと思います。
まさにこのケースは愛からの贈り物ではなく、恐怖からの贈り物だったのでしょう。
 贈り物に期待してそれが裏切られたので怒りから返還を求めるのだと思います。
贈り物には期待はあっても、その期待が叶わなくても良いとの気持ちが必要でしょうね。それは恐怖より愛による贈り物の比率が高まるのでしょう。

 秘密を打ち明けるのも「贈り物」との考え、なるほどなと思いました。
二人だけの秘密、それは大きいほど二人の関係を深く強くするのでしょう。

 「贈り物」についていろいろ考えることができました。
昔話は良いですね。
知らないお話もたくさんありました。

『忘却の効用 「忘れること」で脳は何を得るのか』スコット・A・スモール著 ”忘れることは大切な機能の一つ”

2025-03-18 04:04:04 | 本の紹介
・年を取ったら忘れっぽくなるとはいえ、私たちが過去の物事を忘れることができるのはありがたいことだ。そう言えるのは、記憶を扱う多くの研究者や医師と同じように、私も忘却について誤解していたことがわかったからだ。神経生物学や心理学、医学、コンピューター科学における最近の研究によって、忘却に対する理解は明らかに変わってきた。今では、忘却は正常な現象ということにとどまらず、私たちの認知能力や創造力、精神的安定にとって、さらには社会の健全性にとって役に立つことがわかっている。

・患者の症状や病歴をじっくり聞くことは、私たち神経科医が第一にやるべき務めだ。患者の話には、診察のおもな目的である「病変部位の特定」に行き着くのに必要な情報が豊富に含まれている。

・認知機能の老化を治療するには、医薬品よりも運動や食事の改善といった生活習慣への介入のほうがふさわしいと今でも思っている。

・自然が私たちに、記憶に専念する分子ツールボックスと、忘却に専念する分子ツールボックスという別々のツールボックスを授けたという発見は、忘却は単なる記憶の衰えだという一般的な見方を明らかに覆すものだ。・・・
 最善の研究から、忘却ツールボックスは、実際には有益な目的を果たしており、現代の複雑な世界にすばらしく合った明らかな利点をもたらしていることが示されている。忘却は認知機能にとって恵みなのだ。

アルチンボルドの肖像画がどうしても顔に見えてしまうのに対して、それらの刺激が顔に似ている度合いに変化をつけた。それから、自閉症の子どもたちと、そうでない子どもたちに刺激を提示した。すると、平均して、自閉症の子どもではそうでない子どもよりも、それらの果物や野菜が顔に見えるまでの時間が長かった。時間がかかったのは、自閉症の子どもは皿に置かれた個々の果物や野菜にばっかり注目し、部分を全体に統合する心の働きが遅かったからだと解釈された。

・ホルヘ・ルイス・ボルヘス(作家、詩人)
「考えるということは、さまざまな相違を忘れること、一般化すること、抽象化することである」

・忘れることのない心は、不変の世界ではうまくやれるかもしれない。しかし今では、記憶とバランスを取りながら忘却をおこなうように心が進化したのは、流動的でときに激動するこの世界にとってまさに好都合だとわかっている。私たちみなが、ある程度ものを忘れるのは、ありがたいことだ。なぜなら、忘れることのない心は、変化をなくして世界を固定し、何一つ変わらないものにしたいという必死の思いで麻痺してしまうからだ。

・PTSDの症状は、衝撃的な出来事の数か月後に現れ始めることが一般的で、大きく四つに分類される。
①その衝撃的な出来事を思い出させる状況を回避することだ。
②自分や世界に対して否定的な考えを持ち続け、将来を悲観して絶望的になることだ。
③感情的な反応が過激なことだ。
④「消去」と呼ばれる反応における障害だ。消去は心理学用語で、トラウマを忘れる能力を意味する。・・・。たとえば、フラッシュバックや悪夢が怒ったり、トラウマ体験を思い出させる何かに触れたときにひどい精神的苦痛が生じたりする。

・PTSDの一般的な治療法は、正常な忘却のメカニズムを利用して偏桃体を再教育し、正常が活動状態に戻すことだ。これが代表的な認知行動療法である暴露療法の論理で、この療法では、安全な状況のなかで、不安を引き起こす刺激に患者を何度もさらす。すると、正常な忘却のメカニズムが活性化され、慢性的な過敏状態が抑えられるのだ。

・PTSDの治療では必要に応じて、認知行動療法だけでなく、偏桃体の活動を抑える効果のある薬が使われることもある。それによって、正常な忘却の機能の回復がさらに促進される。

・感情の忘却は、精神疾患の発症リスクを下げるだけでない。私たちを苦痛や苦悩、憤りの認識からも自由にしてくれる。そのような負の感情は、一つ一つはわずかなものだとしても、積もり積もればどんな人間官益にも悪影響を与える。

・似たような生息環境で育ったボノボとチンパンジーを比較すると、ボノボの方が生まれつき利他的思いやりがあり、親切で寛大な傾向がある。ボノボは成長しても子どものころの遊び好きなところを失わず、霊長類学者フランス・ドゥ・ヴァールによる多くの記述から拝借すれば、争いよりも性交渉をおこなう。社会学者は、こうした友好的な行動をまとめて「向社会的」と表現する。というのは、そのような行動は全体として社会のためになると考えられるからだ。
 では正直に答えてほしい。(人間に最も近い現存種である)チンパンジーとボノボの違う性格のうち、あなたはどちらによく当てはまるだろうか?
(チンパンジーは違うグループに排他的)

・不慮の事故によって偏桃体が損傷したり、実験で偏桃体を損傷させたりすると、恐怖に対する反応が消失することが発見された。凍結反応も逃走反応も起こらないのだ。それからの数十年間に、危険の感知に関与するほぼ術の脳領域が偏桃体に集中していることが見出され、偏桃体から出力された情報が、恐怖の表出にかかわる視床下部や脳幹のほかの部位に直接送られることがわかった。1970年代には、偏桃体が脳の危機管理の司令塔だということが明らかになった。


・認知的ヒューリスティック
ニューヨーク州とペンシルベニア州の州都で、高いビルがあるのはどちらでしょうか?
ほとんどの人が、早とちりして「ニューヨーク州」と間違った答えを言うかもしれない。ゆっくり考えれば、ニューヨーク州の州都はオールバニで、ペンシルベニア州の首都はフィラデルフィアより高い居るが少ないと思い出させるだろうが、前頭前皮質は賑やかで派手なニューヨーク州という情報を記憶貯蔵庫から手早く取り出す。



感想
 忘れることは良くないと思っていましたが、実は生きていくために忘れる機能がとても大切なことがわかりました。
 その忘却機能が働かないと、変化に対応できなくなるようです。
自閉症は忘却機能に障害を持っているとのことでした。
 またその忘却機能が強い刺激で正常に働かないとPTSDになる可能性があるようです。
 正常な忘却機能が必要ですね。
 自分が考え自分で行動していても実は脳の機能に左右されているようです。
悟るとは脳の機能やホルモンの影響を受けながら適切な対応が出来る状態なのかもしれません。
 恐怖心が強いのは偏桃体が敏感だからかもしれません。
でも考え方でその恐怖心はさらに大きくなったり小さくなったりします。

 川を渡れずに困っている女人を背負って川を渡り女人を降ろした僧侶とずーっと、女人を背負い続けている僧侶の話を思い出しました。
忘れないと次のステップに進めないですね。
上手く、自分の心を囚われないようにしたいですね。

5/2刊行予定『忘却の効用:「忘れること」で脳は何を得るのか』冒頭部分を公開 no+e


絵本『ええところ』くすのき しげのり作 ”自分の「ええところ」どこだろう?”

2025-03-16 18:00:58 | 本の紹介

背はひくいし、力もよわい。走るのもおそいし、声もちいさい。
100点なんて一回もとったことない・・・。
「わたしって、ええところ ひとつもないなあ」
そんな風につぶやくあいちゃんの気持ち、痛いほどよくわかる。
でも、そんなあいちゃんに「わたしのええところ、教えて!」って聞かれたら、何て答えてあげられるんだろう。

あいちゃんの友だちともちゃんはちゃんと答えます。
「あいちゃんの手は、クラスで一番あったかい」って。
なーんだ、そんなこと?なんて言わないで。
ともちゃんが「クラスで一番あったかい手」を持っているあいちゃんのことを、まるで自分のことみたいに自慢するから、気がつくと周りにはクラスのお友だちがいっぱい。
「ほんとだ!あいちゃんの手あったかい。」
なんて素敵な「ええところ」なんでしょう。あいちゃんも嬉しくなります。
ところが、みんなの手をあっためているうちに、あいちゃんの手は冷たくなってきて・・・
「どないしよう、わたしのええところが なくなってしもた」。
あいちゃんの「ええところ」は本当になくなってしまったのでしょうか。

小さな子どもたちにとって、大人が思うよりもずっと大切でよりどころとなるのが「自己肯定感」。
この物語を読んでいてわかるのは、自分の「ええところ」を見つけ出すのと同じくらい、人の「ええところ」を見つけ出せることが、どれだけ大事なことかっていうこと。あいちゃんとともちゃんの心の込もったやりとりには、大人の私も多くのことを教えられている気がします。

この温かな自己肯定感を育てる物語を手がけたのは、小学校教諭の経験もされているくすのきしげのりさん。子どもたちは毎日の生活の中で、細かいけれど本当に様々なたくさんの壁にぶつかっています。くすのきさんは、いつでも作品の中でその一つ一つを拾い上げていってくれるのです。関西弁のセリフも、読み手をリラックスした気持ちにさせてくれていますよね。
そして、女の子の繊細で優しくて可愛らしい心の動きを絵で表現しているのが、ふるしょうようこさん。あいちゃんの心にたくさんの花を咲かせてくれている表紙の絵を見ているだけでも、元気をもらえるようです。

あいちゃんとともちゃんの物語。また続きが読みたいな。
(1頁絵本見られます)

感想
の10位になっていました。

誰にも必ず「ええところ」あるはず。
でもなかなか自分では気付かないです。
相手の「ええところ」を見つけるのもなかなかできないです。

でも、きっと「この人のええところは何だろう?」と思っているとでてくるのかもしれません。
ついその人のよくないところには気づいてしまうのですが。涙

苦手な人がいる時は、その人にも家族や友だちがいるはずだと思うようにしていました。
そして私が接している時間はその人たちより短いが、その人たちは長い。

また、苦手な人は自分のコミュニケーションのバロメーターと思うようにしていました。
苦手な人が多いということは私のコミュニケーション力が足らないだけかもしれないと思うようにしました。
神さまが私のコミュニケーション力を高めるために遣わされたんだとも思うようにしました。

コミュニケーションが苦手だと意識したのは、大学に入ってなかなか友だちができなかったからです。
高校時代は気になりませんでした。
それでコミュニケーションを高めるために、合同ハイキングなどの幹事や高校のクラスの同窓会の幹事を、声をかけてやりました。
また本を多く読みだしたのもこの頃でした。
その結果、何とか最低限のコミュニケーションは取れるようになりました。

ビジネスの場では、シナリオ書いて、演じて、それを見ている監督がいると考え、演じることでだいたいの仕事上のコミュニケーションをとることはできました。

例えば、メールが来たら、確認してすぐに返事する。受け取っただけでも返す。
相手から頼まれたらできるだけ早くやる。決して無視はしない。
お願いしてやってもらったら、「ありがとうございました」のお礼の気持ちを伝える。
これらはコミュニケーション以前の基本だと思ってやっていました。
いろいろ周りを見渡すと、この基本が出来ていない人がかなりいました。
それでも会社で組織でやっていけるのですから、自分はかなり良い方だと思ったりしました。
肩書の下の人からのメールは見ない、返信しない組織長がいて、その人は上の人からのメールはすぐに返信していました。
私はこれは嫌だったので、肩書の下の人からのメールは必ずすぐに返すようにしていました。
肩書の上の人からのメールは意識しなくても返します。
それをやっていたら、コミュニケーション苦手と思っていたけど、案外できているのかもしれないと思うようになりました。
これができている自分は「ええところ」あるのではということになります。
それをずーっとやってきたので、私からレスポンスないと、「うっかり見逃している」と思って催促してくださる人もいました。
また、工場(私は本社)の会議で、私がやるべきことをやっていないと議論になったそうです。そのとき、ある人が「あの人は、そんなことはない。必ずやってくれる人ですから」と発言してくださったそうです。
私がやるとなっていたことは、初めて聞くことで頼まれてもいないことでした。
誤解されていたようです。
でもその人が発言してくださらないと、「本社の私(組織長)は工場の依頼を無視する人」となっていました。
工場からは私に確認は来ませんでした。
発言した人も周りの人も、勘違いだと、その発言で気付かれたようでした。
普段からのコミュニケーションをわかってくださっていたのだと思うと嬉しかったです。

自分がメールして相手からレスポンスないのを怒って、でもご自分はレスポンスしない人が時々いますが、幸せな人だなと思います。
それで自分の心が傷つかないのですから。
私は小心者なので、無視することはできません。
きっとその人の周りの人は苦労されているのだろうなあと想像しています。
そしてその人もひょっとしたら困っていて、なぜ自分が困るのかがわからないのだろうなと思います。
言ってくれる人もいないのかもしれません。