カティンの森事件 とは、第二次世界大戦初期に、ソ連のスモレンスクにほど近いカティン(Katyń)の森で、約25,000人ものポーランド人の戦争捕虜・インテリ・軍幹部などが、ソ連のNKVD(ソ連の内務省、秘密警察)によって、銃殺され埋められた事件です。
この衝撃的な事件は、第二次世界大戦終了後も、実質ソ連支配の傀儡政権下では、調査されることもないまま、隠蔽されてきました。しかし1990年代の一連の体制変換を経て、やっと国内でも独自の調査ができるようになり、広く国民一般に知れ渡るようになりました。
もちろん、広く知れ渡るや、多くのポーランド人が、衝撃と激しい怒りを感じることとなりました。ワルシャワの、ロシア大使館の真向かいに「カティン記念館」が設立され、クラクフでは、一番観光客が多く集まる、ヴァヴェル城の入り口付近に、「カティンの森事件犠牲者の碑」(写真)が立てられました。元々ポーランドでは、第二次世界大戦では、ナチス軍よりも、ソ連軍の蛮行が恐ろしかったと証言する人が多数いるのですが、この事件も、それを裏付ける事例の一つと言えるかも知れません。
この「カティンの森事件」に対して、ポーランド政府は、ロシア側に謝罪と補償を求めていますが、ロシア側は一切応じていません。もちろんポーランド側も食い下がらず、現行のカチンスキ双子政権でも、「カティンの森事件の解決(=補償)」を、外交カードとして、事あるごとに持ち出しており、それを嫌悪するロシアとの外交関係が、現在かつてないほど悪化しています。( 関連記事 )
カチンスキ双子政権は、その発足当時こそ、国民からの支持率が、野党「市民プラットフォーム(PO)」と半々でしたが、最近では、対ロシア強硬路線に出る度に、支持率を上げています。その背景の筆頭には、もちろん、この「カティンの森事件」があります。ポーランドでは、第二次世界大戦は、まだ終わっていないのです。
野党も対ロシア強硬姿勢を明確にしたということでしょう。
これで対ロシア強硬路線は与党の得点には直には結びつかなくなりましたね。
ポーランドの政治は、対ロシアということになると、とかく感情的になる傾向があるように思います。我が家の夫も、ブラボーと言っていましたが、私は、そんなにロシアを挑発してしまって大丈夫なのかと心配になってきました。EU・ロシア会議や食肉輸出問題については、また後日記事にしようと思っているところです。
怒号のSE×ムービー!!
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東国原知事に『けしからん!』と言わせた問題映.像!!
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ソ連末期のゴルバチョフ政権で公式に認めたことでかなり進展があったように思ったのですが、貴記事によればまだまだ前途は厳しいようですね。
ソ連のエンタメ戦争映画がたまに日本でもDVD化され、ポーランドの解放軍であると謳っていますし。
戦争加害者・侵略者がとる態度は万国共通ですね。
東側ではソビエトによるカティンの森の虐殺が行われ、西側ではナチスによる強制収容所・収容という悲劇が行われ…
非力な国軍をもって二大強国との開戦を余儀なくされたポーランド将校たちの運命は東西ともに悲惨なものだったのですね。
被害者の方々に謹んで哀悼の意を表します。
ちなみに「食い下がる」は「どこまでも食いついては離れず=粘り強く追及する様」の意味ですので、「~食い下がらず~」ではなく「~食い下がり、~」だと思います。