ポーランドからの報告

政治、経済からテレビのネタまで、詳細現地レポをお届けしています!

クラクフのユダヤ人 I クラクフのユダヤ人墓地

2007年01月28日 | 歴史

クラクフ・カジミエジュ地区、ミオドーヴァ通り(ul.Miodowa)を東へ進み、スタロヴィシルナ通り(ul.Starowiślna)を渡ってさらにいくと、ユダヤ人墓地があります。「地球の歩き方」などのガイドブックにも記載がないため、観光客の姿はほとんど見かけることは無い場所です。

このユダヤ人共同墓地の入り口の一角に、第二次世界大戦で犠牲になったユダヤ人の合同慰霊塔があります。クラクフには、第二次世界大戦開始前に、およそ6万5千人のユダヤ人が住んでいました。当時のクラクフの人口がおよそ24万人ですから、約4人に1人がユダヤ人であった計算です。しかしそのほとんどが、第二次世界大戦にて、ベウジェツ(Bełżec)、マイダネク(Majdanek)、アウシュビッツ(Auschwitz)などの絶滅収容所へ送られ、ガス室の露と消えました。

  

この慰霊塔をよく見ると、様々な形に切り取られた別々の墓石からできているのがわかります。周囲の壁も、同様にモザイク状に切り取られた墓石が敷き詰められているのが認められます。これは、ポーランドを占領したナチス軍が、ユダヤ人墓地から墓石を切り取り、こともあろうに、強制収容所の周辺の道路の舗装に使ったためです。戦後になって、道路にされていた墓石を回収し、このような慰霊塔としたのです。ナチス軍の残虐さは、ユダヤ人の生者を殺害するにとどまらず、このようにユダヤ人墓地を徹底的に破壊することで、死者への冒涜も行ったのでした。
つづく


ポーランドからの報告


最新の画像もっと見る