海辺の町から

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海藻が教えてくれるもの

2022-05-20 11:50:58 | 日記

  月明かりに漁り火


  アイリスが咲き始めました


  釣りのお客さんから去年雄のオオクワガタを今年雌を戴きました


  奄美群島の固有種スジブトヒラタクワガタも 孫達は飼育に夢中です


晴天続きで海は凪いでいます。
潮は大潮から中潮へと変わり相変わらず海藻は忙しい。
何年か前当地がそうであったように近隣の地区は磯焼けが進んでいるらしく
海藻が減少しているとか。
海藻を食料としているウニの異常発生が磯焼けの原因の一つになっている。
後継者によるウニの駆除作業が功を奏しを少しずつ復活の兆しが見え始めている。
地球温暖化の影響は海の生物にとって顕著で人工的に手に加わった護岸は魚を寄せ付けにくく
海という小宇宙を見続けて来たが些細なことが大きなウネリの前触れのような気がしている。
冬の高海水温は海藻に大きく影響していると実感しているのです。
目の前にある無人島には波が立つとプラスチックゴミが打ち上がり
長い年月を掛けて砕かれ浮遊して生物に影響を与えています。

静かな海を亀が呼吸のため時折プカリと顔を覗かせ
イノシシは一番小さなうり坊を背中に乗せて母イノシシの周りにもうり坊が3匹
潮の止むのを待って向かいの島に渡っている 誰に教えて貰ったわけでは無く動物の勘でしょうか
悪戯するもののこの様な光景は微笑ましくもあります。

晴れだというのに

2022-05-18 12:57:51 | 日記

  朝の定期船がきました


  朝から蛇に出会いキャーッて。蛙さん隠れるのよ


  浜辺に咲いていた花


昨日一日野暮用で出掛けていました。
緑が濃くなった海岸道路は枝葉を延ばして鬱蒼とし
空と海を隔てた点在する島々を眺めていた 静かだ。

夕刻アゾフスター製鉄所を拠点とし抵抗していたウクライナ部隊の降伏を知った。
時間の問題かと思われていたが一縷の望みを持っていた。
写し出される負傷兵長期にわたる兵糧攻め化学兵器と追い詰められて
士気の高さだけでは戦えなかった。
これから彼らの身に何が起きるのか かの国のすること
人間としての尊厳は保たれるのか居たたまれない
突然侵攻してきたロシア軍に自国防衛のため戦って
国は焦土と化し多くの命が奪われ失うばかりの戦い
憂いを含んだ絶望感捕虜の扱いを見届けねばならない
深く重くるしく心が痛む
過去の戦争においても憎しみと差別を生んできた
戦いはどうして繰り返されるのだろうか
久々の晴天に心が晴れない アゾフ隊は国の捨て石になってしまったのか。

何人の人と話しましたか

2022-05-15 15:21:17 | 日記

  6時過ぎ太陽を期待していたのですが雲が厚いままでした


  多肉植物の一葉から芽が出てきました


  浜辺にはハマボッスの花が咲いていました


今日こそは晴天と思いきや曇天から雨へと 終わりを迎えた野菜達の片付けをしています。
イノシシに掘り返された穴に足を取られ思わず前のめりになって危うくセーフ
空豆は先日の強風で杭ごと倒れ連日の雨とでカメムシに穴をあけられていたり
腐ってしまったりと散々な空豆の収穫となりました。
其れでも綺麗な所は近所にお裾分けし残りを夫の好物の煮豆にしました。

晴れないことには玉葱も乾燥出来なくて 太陽が待ち遠しいところです。
穏やかでよいところですねーと街から野菜作りに通われている方が
めったに来られないのでと言って丁寧に草を刈っておられました。
保育園勤めを長くされていたからでしょうか80には見えずお元気そのもの
雑草で埋もれてしまう海辺の町を案じておられ
この地に家を建てようと思っていたほど気に入ってくれていたのですが
老いていく身を案じて街での生活を選ばれたのです。
以前何度か地方新聞の読者欄に投稿していた私の拙文を
読みましたよって最初に気付いて呉れる方でも有りました。

今日は家族を除いて3人の方と話をしました 普段より多いのです。
仕事が忙しくなると皆時間を惜しむように立ち止まって会話をすることも無く
毎日が日曜日の私 会話をする相手が少なくなりました。
努めて会話をしないと脳軟化症に陥るのではないかと考えてしまいます。
天を仰ぎ全身に細かい雨を受けながら自然の恵みを享受して行くのも悪くはないかと思っています。
















佐々木朗希投手

2022-05-13 11:30:54 | 日記

  降り続く雨 視界が悪くなっています


  石垣の隙間から少しの土があれば咲いてくれます


  先日初めて見掛けた黒い蝶 翌日には道路に横たわっていました


夜中に目が冴えて仕舞うときが間々あります。
そんな時枕元に置いてある月刊誌を読んでいるのですが
先日誌面を賑わせていたロッテの佐々木朗希投手の記事でした。
東日本大震災で野球の素地を作ってくれた父を津波で亡くし
兄弟3人母親によって育てられたという苦労人でもあります。
プロに入って史上最年少で完全試合を達成
記憶に残るのは夏の甲子園出場を懸けた岩手県大会の決勝戦
常勝校花巻東との対戦に何故投げさせないのかと
ひょっとして投げていたら彼の母校大船渡高校が
甲子園出場を決めていたのではと私は思ったものでした。

将来の野球界の宝
無理をして一生棒に振ってしまったコーチの体験や若者を知っているだけに 
将来の大器 連投で彼の身体を案じた監督は専門家の意見を聞き
敢えて回避したと言う事を知ったのでした。
小学校から頭角を現し彼の素質を見抜いた多くの指導者達によって
大切に育てられていると感じたのです。
昨今の指導者の暴力事件を聞くにつけ良い指導者に巡り会った彼は幸運だったと
暴力では何も解決しないし能力も萎縮してしまう気がします。
良き指導者の下に学び 今の彼があるのかと思います。

八甲田山遭難の悲劇

2022-05-10 18:17:23 | 日記

  施設に入所している義母の面会に街まで出かけました 魚の養殖場を横目に眺めて


  昨夜の物音はイノシシでした あちこち酷いことになっていた菜園


半世紀も前 山にのめり込んでいた頃読んだ本の中に
新田次郎の「八甲田山死の彷徨」が有ります。
リーダーの判断の甘さが生と死を分けてしまったのでしたが
昨日Eテレでダークサイト「八甲田山遭難の悲劇」という
見出しが気になって観ていました。

青森第5連隊の雪中行軍の真相に迫ったものでした。
210名中199名を失うという山岳史上希に見る悲劇で中でも生存者が語る事実と
小説の乖離を証言や当時の資料を基に時間を追って検証していた番組でした。
日露戦争を前にして寒冷地での戦いを想定して青森隊と弘前隊が訓練に参加
弘前隊は全員が帰還して青森隊は多くの犠牲者を出す結果と成ったのです。

雪中訓練のため青森駐屯地を出発して100時間の出来事でした。
今と違って綿の下着に綿の服汗をかいたあとの綿は汗が凍って
徐々に体温が奪われ気象条件の悪さも加わりパウダースノーのさらさらとした雪質にカンジキも
埋まってしまい前に進めずおまけにホワイトワンダリング状態に陥り無意識のうちに
円を描くように同じ動作を繰り返して体力を消耗していったのです。
500メートルという狭い範囲の中に50名もの隊員が亡くなり
青森隊と弘前隊 生死の分かれ目はどこに有ったのか
リーダーの危機管理の欠如や準備不足が有ったのか検証して
弘前隊との比較分析をすることから見えてくるものが有るような気がしています。

歴史を振り返ったときロシアのウクライナ侵攻が独裁者の愚かな判断によって
無意味な戦争で尊い命が失われたことが語り継がれていくように。