海辺の町から

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「週刊朝日」

2023-05-30 10:45:32 | 日記

  昨日梅雨入りした四国 濃霧のため定期船は欠航


  あちこちに蔓延る朝顔 放っておくと大変になる でも夏の訪れを感じる


四国も梅雨入りとなった。
北上していた梅雨前線が南下してきてこの先一週間は雨の予報が出ている。
久し振りに音楽が聴きたくなった フォーク世代を生きて。
京都四条通にあった音楽喫茶は無くなったと聞く 北大路通のカントリーウエスタンの店の
バンジョーの音が好きで通った。
最後には河原町界隈の地下にドイツビールのビヤホールを訪ねた。
あれから半世紀がとうに過ぎ街並みも変ってしまった。
数年前野暮用で出掛けたがすっかりお上りさんになって京都タワーは懐かしく迎えてくれた。

今朝のニュースで最後の「週刊朝日」を報じていた。薄々情報は知っていたが今日30日が最後だと。
姉が読んでいた「週刊朝日」引き続私も嫁ぐ前まで読んでいた。
「街道を行く」もサトウサンペイも山藤章二も懐かしく思い出される。
紙の時代を生きてきた人間にとっては一抹の寂しさがある。
デジタル化の中から人間の機微を感じられるのだろうか。否もう不要なのだろうか。

そう言えば海辺の町にやって来て一度手にしただけで 青春を共に歩んだ「週刊朝日」。
有り難うを込めて手に入れようと思う併せて6月9日発売の休刊特別増大号も。


お義母さん

2023-05-25 10:29:24 | 日記

  ドンヨリとした曇り空の朝


  母の日のプレゼントです


臨済宗妙心寺派禅僧の「渇!」の館内に響き渡る読経がこの世との別れを告げていた。
両親よりも兄姉よりも長く暮らしてきた46年の歳月が コマ送りで甦る。
余命宣告をうけてひと月と少し過ぎた5月17日の夕刻静かに永久の眠りについた。
数えの98歳 大往生だった。
悲しみに浸る間もなく葬儀までの4日間が慌ただしく過ぎた。

思えば瀬戸の花嫁ならぬ海辺の町の花嫁として親族と共に海辺の町を船で一周する
風習に則った最後の嫁入りだった。
化粧が落ちると心配されるくらい泣いていた。
少なからず京都に未練を残し 時代遅れの生活が待っていた。

結婚式の一週間前まで山の中に居た。
春未だ浅い3月 腰まで雪の残る京都の最高峰皆子山の山頂で多くの友人が結婚を
祝ってくれた 雪焼けした顔での嫁入りであった。

気丈な義母に翻弄されながらよくぞ此所までやって来たものだと今は自分を褒めている。
何時か分かり合えるときが来ると信じて 口まで出かかった言葉をいつも飲み込んで来た。
60半ばで義父を見送った義母 老いと共に性格も円くなり私を頼ってきた。
会えば感謝を口にするようになって 飲み込んだ言葉は沢山有ったけれどもう吐き出すことは無い。

多くの子や孫やひ孫達に見送られて。
親と呼べる人が遠くへ逝ってしまった。

積年の思い

2023-05-17 11:45:19 | 日記

  浜辺にヒッソリと逞しく咲く そんな花に憧れる


  天日乾燥のテングサ よく乾きます


  幼なじみからの贈り物
 

長年の自堕落な生活のツケが回ってきた 左膝の痛み。
原因が知りたくて整形外科に行く。
筋力の衰えから膝の軟骨がすり減って炎症を起こし水が溜まって居るという。

冬に寒いと言って炬燵の守をして自身を甘えさせ
結果膝の周りを支えていた筋肉が減少し膝痛を起してしまった。
痛み止めの注射も薬も水を抜くことも断ってただ湿布を頂いて帰ってきた。
結果を知って後は自身が出来る筋力を付けていくことだと自覚できたのが良かった。
甘やかすことは老化の近道であると遅まきながら悟っている。

帰路お遍路さんに出会う 炎天下の国道をつげ笠に金剛杖の高齢男性
心なしか足を引きずって居るように思える。
今日の宿にたどり着けますようにと願わずには居られなかった。

どの様な思いから遍路を選んだのか知る由も無いが
積年の思い母の写真をリックに忍ばせて歩きたいと思っていたが決断は遠のく。


覚悟を決めた

2023-05-12 20:53:01 | 日記

  海辺の町への帰り道通り過ぎてきた集落が見える


  可憐な花に思わず車を止めた


  ブロガーさんが上手にバナナを育てておられた 南国といえど積雪のある当地
  鉢植えで試そうと 一週間遅れで届いたバナナの苗


余命宣告を受けてひと月余り その日が近づいて落ち着かない。
乾燥したヒジキを携えて義母を見舞った。

ヒジキご飯の好きだった義母 ヒジキの煮物を多めに作って酢飯に煮物を混ぜた
ヒジキご飯を作っていた 去年の今頃ヒジキが食べたいと言っていた義母に
具だくさんの煮物を作り食べて貰っていたけれど一年という月日が義母を弱らせてしまった。

施設長さんから「もう覚悟されていた方が良いかと」と告げられ
施設からの携帯番号を教えられた。
「お義母さん私***よ目を開けて頂戴」って耳元で言葉を掛けるけれど反応が無い。
其れでも此の儘立ち去るのが忍びなく「聞こえたら手をギュッと握って頂戴」
なんと手を強く握り返してくれた 言葉を発する事は出来なかったけれど今は此でもう充分。
頭を撫でて頬を撫でて 細くなってしまった義母の手をさすっていた。

義母と過ごした45年の歳月 義父は無く私の両親も既に無くたった一人残った義母も今彷徨っている。
胆管ガンステージ4と言うのに痛みも無く静かに眠っている 其れだけは救いである。

夫の妹たちに電話を入れる 皆が覚悟を決めていた。

凪いだ海と太陽

2023-05-10 20:12:44 | 日記

  べた凪の朝 潮目が見えます


  大きな岩牡蠣を戴きました


ヒジキ解禁後雨が続いていた 漸く昨日から太陽が顔を覗かせ
週末までの晴れ間を有効に使おうと頑張っている。
昨日は嫁も街から加勢にやって来た。
待ちわびていた晴れの日 海藻を天日乾燥している。
生のヒジキに布海苔湯がいたヒジキと一度に浜一杯に広げ太陽の恵みを得ながら・・。

黒い絨毯と呼ばれたヒジキも年々収穫量は減少し自家消費量を採取するのみとなって来た。
自家消費で残った分を生のまま乾燥し出荷することにした。
この時季晴れの日は貴重で丸一日晴れて少しの風があれば綺麗に乾燥出来る。
週末頃まで晴れそうなので布海苔の採取に乾燥と大忙しである。
おかげで冬仕様から夏仕様の顔になり秋が深まるまで少しずつ色を増していく。

穏やかな夜の海とも成れば 漁り火が目の前に現われ夜の網が始まる。
サバナゴ漁なそう 東の空がすく頃まで何度も網を入れているようだ。
海に生きる者にとって凪いだ海と太陽は生活に潤いをもたらせてくれる場でもある。