近況報告。

・・・のつもりではじめたのですが・・・。
ゼミについては、学科公式ブログで報告しています。

ビリー・エリオット ミュージカルライブ。

2014-12-06 14:07:12 | 芝居とか映画とか。

映画Billy Elliot(邦題:リトルダンサー)のミュージカルバージョンのシネマライブ!!
http://littledancer-m.com/info/

見てきました!子役主役故にツアーが難しいこれを、日本で字幕付きで見られる日が来ようとは!

旅のたびについビクトリアパレスシアターに通うこと3回。
→2回目のときの感想がこちら

結論としては労働者階級の英語は聞き取り無理!という状況なので、字幕ありで見られるなんて幸せでした。
(どうにも意訳するしかないところも多いようだったので、文脈依存度の高い断片的な会話が多いのでせう。)

さて、レミゼにはまったときとは違う感じでこのミュージカルに通いたくなってしまうのは、文句なしに感動するからというより、何かざわつくというか、なにか腑に落ち切らないものに心が動かされてしまった感じが残るからかなあと改めて思いました。

階級の時代の黄昏を描いたストーリーは重厚で、マッチョな炭鉱夫たちのリアルな芝居に泣かされます(それは映画と同じなのだけど、みんなおなか出てても踊れて歌える不思議)。これがまさに階級のハビトゥス的な話!と面白いこと請け合いです。

ただ、ビリーにバレエもタップもヒップホップもアクロバットもやらせるというtoo muchなあざとさがどうかなあとも思うのです。うまいと言っても「子役としてうまい」レベルのショーを詰め込まれて、サーカスに送るような拍手を送っていいのだろうかという気持ちになります。死んだママとの話も映画に比べてtoo much。

そんな「子ども」をダシにしたショーとしてのあざとさと、ミュージカルにしてはかなり本格的に芝居を見たという気分になる大人たちの演技とのアンバランスさこそが、私にとってのこの作品の魅力なのかもしれません。


映画だとせっかくの群舞が全部見られなかったりしたので、やはり早く行きたい!



War Horse(来日公演)。

2014-09-10 17:23:48 | 芝居とか映画とか。
オープンキャンパスで戸塚に1日いた日、ふと思い立ってそのままシアターオーブでWar Horse(戦火の馬)の来日公演を見に行きました。(当日券ラッキーで超良席をいただきました!)

たいへんよかったです。

馬と人と戦争の話。

馬のパペットを3人がかりで動かして、本当の馬のように見せるというのが最大のポイントの芝居ですが、そこに感動していたのは最初だけ。来日カンパニーの熱演で、途中からパペットであることを忘れて馬と人の物語に没入させられます。

話の焦点は第一次世界大戦。軍馬として徴用されてしまった馬ジョーイの話と、年齢を偽って従軍してジョーイを探す少年アルバートの話が並行して展開されるのですが、その中で、フランスを舞台にイギリス軍とドイツ軍を行き来する形で第一次世界大戦というものがしっかり描かれます。

機関銃、有刺鉄線、塹壕戦、タンク(戦車)、毒ガス――。すべてが舞台上で表現されます。

機関銃の登場で騎兵の時代ではなくなり、大砲を引かされる馬たちの受難。長期化する塹壕戦で疲弊する兵士たち。戦場となった地の人々の悲劇。続々ともたらせる戦死の報におびえる銃後。そして、馬の救出に一時的に協力し合う敵たち。

馬と人のふれあいを通した、ヒューマニズムを超えた反戦ドラマを堪能しました。


実はNYで一度見ているのですが、パペットがすごいという話以外はいまひとつ集中できませんでした。軍事用語とデボンなまりとドイツ語・フランス語(という設定の)なまりとが続くので、聞き取りに難があったということはいうまでもありませんが、個別のパフォーマンスの高さと笑いでつなぎがちのブロードウェイという場所もよくなかった気がします。

今回のカンパニーは、小さな笑いに流されず、ストーリーを真剣に見る日本の観客の中で、真摯な芝居を見せてくれました。馬の目を通して戦争というものを考えさせられる良質な芝居でした。

もちろん、席がよかったこともあって、パペットに感動したことはいうまでもありません。日本でこの作品が見られてよかったです。(字幕でよくわかったし。)

本家イギリスでまた見てみたいです!

War Horse in the West End - Trailer


http://warhorse.jp/index.html


アナと雪の女王。

2014-09-07 14:18:58 | 芝居とか映画とか。
多忙で行けなかったアナ雪。
やっとオリジナル&吹き替えバージョンを鑑賞しました!

変だから隠しなさいと言われる自分を受け入れ、それを人のために使いたいーー。
白馬の王子様に愛されたいじゃなくて主体的に動いて周囲に愛を注げるようになったら、無骨だけどやさしい男が身近で報われぬ献身してくれてるかもーー。

これ・・・。
前半はエルサ目線で、後半はどちらかといえばアナ目線で見ると、現代の「女子」としてはたぶん完璧。

というか少なくとも私はそう見てました(* ̄σー ̄)


王子様と会ってその日に婚約することにツッコミが入れられているので、当然突然現れたハイスペックな王子がキスしてハッピーエンド的なストーリーの自己反省話であることは間違いないのですが、「ディズニープリンセス」の中で『美女と野獣』の系譜だなと思いました。

『美女と野獣』は、お子ちゃまひきこもり男子と、世間標準だと「変人」と言われるけれど自分を貫く知的&母性的美女ベルとが結ばれる話。ただ、この話は男子はちょっと救われるけれど、彼もともと王子だし…。女子にとっては、一応最後に野獣が王子になってくれるからいいけど…ちょっとベルがハイパーすぎるし…という話でもあります。

アナ雪の、クリストフは実はけっこうスペック高い包容力のある男性なのに、「野獣」みたいに魔法が解けて王子になったりはしないし、すぐプリンセスと結婚できるわけでもない。尽くしてるのに報われない「やや理想寄り等身大」の男性。(だからこの話は、男性にとってはファンタジー性ないでしょうね。)

エルサもアナも属性こそ王女だけど、あの王国の統治機構と経済体制がなぞであるように、それはたぶんどうでもいい。むしろ、ベルほど特にすごい女性ではなく、等身大の悩みを持った女性であるところが、「女子」に自分を重ねやすくしていると思います。

そして、ここでおそらく、主体的な女子「ベル」の役回りが、エルサとアナという形で、自己受容される女子と献身をささげられる女子の2人に分かれているところがミソではないかと思います。

現実の「女子」が、エルサのハッピーエンドとアナのハッピーエンドを全部どりするのはすごく大変だと思うのです。つまり、エルサ的に突き抜けた人が将来的にクリストフ的な人を手に入れるのはけっこう難しいし(出会えない)、アナはすごく前向きのいい子だけど、エルサ的才能はないわけです。
(世間には、エルサ的自己実現とクリストフ的献身をするハイスペック王子をすべてゲットするハイパーな女子がまれにいることも存じていますが。)

だからこそ、「ありのーままでー」って突き抜けて自己実現するのと、献身的な「やさしい男性」をゲットするのの両方の視点を同時に体験できるのが、現代の「女子」にとって、そこそこリアルに自分に重ねつつとても幸せな気分になれるポイントなのではないでしょうか。そういう意味で、現代の「プリンセスストーリー」、すなわち、「女子の願望」をがっつり受け止めたストーリーとなっているのかなと思います。

一応反省させても「プリンセスストーリー」という枠は残すディズニーあざとい。
(マレフィセントはディズニーが抱えてしまったもう1つの問題系、魔女=人種差別問題への自己反省問題だと思うので、一応そのうち見たいです。)

いずれにしても、ストーリーも歌も楽しむフックが多く、色々考えさせられたりするフックも多いということで、ヒットしているのは納得です。

***

ミュージカルファンしては、吹き替えバージョンが、これこのままの配役で舞台にしてくれたら1週間に1回通える!って感じでした。

とくに、原慎一郎クリストフは、英語版よりかなり素敵で(自分比)ツボでした(* ̄∇ ̄*)


「ヘアー」。

2013-09-13 21:40:21 | 芝居とか映画とか。
今更ですが、6月に見た、ミュージカル「ヘアー」来日公演について。

曲(「アクエリアス」等)は有名だが見たことないミュージカルの代表として、60年代のカウンターカルチャーの話らしいというだけで観劇しました。性の解放とかドラッグとかはちょっと…という程度に都市中産階級的モラルから自由になれないワタクシとしては、苦手な系統なんじゃないかという不安を感じながら着席。

見てよかったです。

若者が反発する家庭、学校、社会が、アメリカとベトナム戦争という背景とともにがっちり描かれており、それら「軍産学共同体」への反発と退廃が熱を帯びて結び付いている様子が、理屈ではなくて伝わりました。

若者たち( 「トライブ」)のある種退廃的な世界に、客席おりなどして客を巻き込んだところで、召集令状draft cardが届き始めるというストーリー展開にゾクゾク。60年代の熱気とベトナム戦争の結び付きは頭ではわかっていましたが、アメリカの場合、徴兵という強烈なリアリティに支えられた運動だったのだと、恥ずかしながら今更実感しました。

後半は、線の細いポーランド系の若者の、第二次世界大戦に従軍して「アメリカ人」であることを示した親と、draft cardを焼き捨てる仲間との間での葛藤が軸となるのですが、葛藤を歌いあげるのではなく、マリファナの恍惚の中で、アメリカの侵略と戦争の歴史と殺される自分の悪夢を見るという形で見せてしまう構成が秀逸。

「共感」に回収されないショックだから、みぞおちあたりにズーンとくる展開に、何度も泣きそうになりながら、そのざわめいた気持ちは安易なカタルシスには向かわず持ち帰らねばならない。そんなお芝居でした。

あの時代のアメリカ、ああいう若者が何だったかが、少し感じられました。

なお、暗いまま終わるのではなく、最後はお客さんも舞台に上がってお祭り騒ぎという展開で、そういう形で感情の開放の場をつくっているのかも。それも含めて、ショーとしてもよくできていました。

パンフによれば、元は67年当時に初演という同時代性を帯びた話を、リバイバルに際して40年後の観客に向けて修正しているそう。当時はもっと混沌とした芝居だったのかもしれませんが、今回の演出は、事実として中立的に伝えたいという距離感が感じられました。性と人種の解放のモチーフも、政治運動と共に、こういった歴史のうねりの流れの中にきちんと事実として位置づけられていましたし。

当時を知る由もない若いキャストが誠実に熱を以て演じていることも含めて、非常に良いものを見ました。

http://www.hairmusical.jp/




「ニュージーズ」&「ブック・オブ・モルモン」。

2013-09-05 22:01:03 | 芝居とか映画とか。
ついでに観劇記録。

まず、アメリカものは人種や宗教やセクシュアリティにかかわる話が多い中、
ご当地歴史子ども物?ということで、NEWSIESにトライ。

1899年NYの新聞配達少年newsiesのストライキを題材とした話で、
孤児や家計補助としての児童労働と搾取、感化院の問題等にも触れ、
最後は少年たちが自分たちで印刷機をのっとって
新聞を出してストに勝利するという話。

92年に、時のディズニーミュージカルアニメを手掛けた
アラン・メンケン作曲で映画化したら大こけした作品が、
2012年にミュージカルにしたら大ヒットしたというものらしいです。

振り付けがショーアップされていて話題を呼びやすいのに加えて、
さすがアラン・メンケンというか、曲が耳に残る残る。
92年はミュージカル映画というジャンルが微妙だった時代なのと、
動画で見る限りオールドファッションなつくりだったのでこけたけれども、
今回の舞台の振付は、21世紀対応舞台ミュージカルとしての勘所は
きちんと押さえているという感じです。

女性が数名しか出てこない、「かわいい」男の子の元気あふれるステージ
という需要がアメリカにあったことが驚きだったのと、
子どもの力を児童労働という文脈で話題にするのは、
イギリス児童文学系とはちょっと違う流れだなあ
というまとまらない感想をもったのでした。



http://www.newsiesthemusical.com/



もう1つ、サウスパークのクリエーターがお送りする「問題作」としてヒット中の
The Book of Mormon(2011年トニー賞受賞策)へ。

モルモン教(「異端」とされてきたアメリカ発のキリスト教の流派)の布教に
ウガンダに飛ばされた若い宣教師が、現実におののき、適当な布教をし、
教会に怒られるが、それでハッピーならいいじゃんと新しい宗教ができた、
みたいな、とことんバカバカしい話。

どこかで聞いたことがあるような音楽を引用しまくりながら、
名曲に載せて、ゲイレズビアン、宗教、アメリカ、ヒトラー、人種…と
タブーというタブーをあえて侵しまくるきわどいストーリーライン…。

キャストの層の厚さを感じさせる、すばらしいショーでした。
すばらしいショーだったのですが…。

同じ系統でもAvenue Qは、きれいごとどおりにいかない大人の人生を
パペットを使って反省するというところに留まっていたので、
すごく好きだったのですが、これはあきらかに一線超えていて、
露骨すぎて途中で周りのように笑えなくなりました。
(私の英語力とキリスト教の知識が微妙なため、
単純に話についていけなかったところもありましたが。)

10年くらい前に話題になった「プロデューサーズ」もナチスだしてきたり
際どかったけど、アメリカって、際どい一線を越えて笑わせないと、
自己反省できないのでしょうか??

考えてみれば、2000年代に入ってからのトニー賞の傾向をみるに、
ブロードウェーは、人種や性、セクシュアリティ、宗教などの
タブーに挑んだ「問題作」がもてはやされる傾向にあるようです。
そういう方向に再帰性を昂進させたショーしか流行らないのだとしたら、
それもちょっとむなしい気もします。

ウェストエンドのほうが、Singin' in the RainとかTop Hatとか、
ハリウッドの往年のミュージカル映画の舞台化に挑んでいるのが不思議です。
(児童文学は、英国の推しコンテンツなので、
ミュージカル化の動きがでるのはわからなくないですが。)

http://www.bookofmormonbroadway.com/




「マチルダ」と「チャーリーとチョコレート工場」、あるいは児童文学ミュージカルと子役。

2013-08-29 21:13:12 | 芝居とか映画とか。
タイトルは「あるいは」って使ってみたかっただけ

趣味と本業の接点として、ロイヤルシェークスピアカンパニーがしかけている
ロアルド・ダール原作の児童文学ミュージカルへ。

まずは、評判のマチルダへ。絶賛されていて、BWでも開幕したというので、
すごく楽しみにしていたんですが、睡魔との戦いでした。65ポンド返せ!



ダールの原作(『マチルダは小さな大天才』)は、典型的な80年代的児童文学です。
指導的意味合いが強かったそれまでの児童文学と違って、
子どもの視点に立ち、その世界を礼賛し、抑圧する大人をぶっとばせ!みたいな。
時代的意義は認めますが、極端すぎるし、結局従来のひっくり返しでしかなくて、
私には退屈です。

ショーはその原作をただ繰り返しているだけでした。
お!と思うステージングや振付もあったけれど、
スタッフの顔ぶれから期待したような新鮮さはなく、
ここ数年のありがち演出の順列組み合わせでした。

オリジナルカンパニーでないことを差し引いても、
子役が下手で(いわゆるきちんとやれるだけというレベル)、
言われたのを卒なくこなす子って、悪い意味で内容を裏切ってるじやん!
みたいな感じでした。
つらかったのが、マチルダの子が滔々としゃべるシーンで甲高い棒読みだったこと。
(イギリス英語で抑揚なし子ども声というのは、私の英語力では厳しかった…。)
ダンスもうまかったけど、これならたぶん紅白の後ろで踊ってる日本の子にもできる。

総じていうと、アニーみたいな子ども向けの無難なミュージカルで
(階級問題がメインのビリー・エリオットは内容的にも子役に要求される技術的にも
日本では無理だなと思うけれど、これはできると思います)、
それが今また賞賛されてることの意味のほうに興味が湧きました。
(ブロードウェーがどういう反応かも知りたい…。)



http://uk.matildathemusical.com/


ついで、マチルダの2匹めのどじょうをねらってるとしか思えない
チャーリーとチョコレート工場(5月開幕)へ。



ビジュアルがティムバートンの映画とかぶってる気もするものの、
甘やかす親や消費社会のガジェットでダメになっている現代っ子が懲らしめられる
というダークな展開(マチルダよりこちらのが古いからか、
手段はシュールだけど筋立ては大変道徳的)をコミカルに表現。

装置と映像を駆使した2010年代ならではの演出に、
ウンパルンパたちを二人羽織や膝立ちやら衣装が肩車になってるやらでいろいろ表現して、
それで色々な趣向で踊らせるのでて 飽きなかったです。演出は見もの!

でも、各所のレビューで散々書かれてますが、曲の印象が…。
ウィキッドなんて話は破綻してるけど、とにかく曲が絶妙で、
子どもたちが歌いながら帰っていたのに。

あと、子ども5人はマチルダの子ほどは気にならず、ふつうに「巧い子役」でした。



http://www.charlieandthechocolatefactory.com/

ロンドンオリンピック開会式でも、児童文学コーナーがあったように、
児童文学は英国が誇るコンテンツ。
それをミュージカルというメディアで売るという試みと、
それが評価されていることとが、何を意味しているのかは
ちょっと気になっています。

当然、作品の出来を、現実の子役の技能が左右するわけで、
大人顔負けの子役/子役の域を出ない子役ということと、
描かれている子ども像とが一致したりずれたりしながら
作品が出来ているのが面白いです。



Billy Elliot the musical~サッチャー政権下を描いた英国ミュージカル。

2013-04-08 23:58:27 | 芝居とか映画とか。
 新学期ですが、書こうかなと思いつつ、時間がとれないままになっていた英国ミュージカルの話が、タイムリーになったようななってないようななので、殴り書きです。日本語よれよれですがご勘弁を。

 映画 Billy Elliot (2000)。邦題「リトルダンサー」といえば伝わる方も多いと思います。
 サッチャー政権下の1984年。北部イングランドのスト中の炭鉱町。ダンスが好きな少年ビリーは、男の子のボクシングのクラスになじめずにいたところ、次の時間の女子のバレエに魅せられて…、というお話。冒頭はサッチャー政権下の出来事のクリップですし、クリスマスパーティーでサッチャーのお面をかぶって揶揄するシーンあり。

 最初は、男がバレエだと!?と怒り狂うお父さんが、やがて自分の息子に才能があるかもしれないとロイヤルバレエを受験させるお金のために、ストに反して鉱山に入ろうとして、それを止める兄と殴り合ったりと、『ハマータウンの野郎ども』みたいな労働者階級のマッチョなハビトゥスの世界と、階級対立の時代の黄昏を描いた作品というべきでしょうか。ちなみに、親友マイケルはクィアな嗜好に目覚め始めたところ。(ミュージカルでは、映画のラストに明かされるマイケルのその後がカットされていて残念です。)

 映画はまちがいなく名作ですが、ミュージカル(2005~)はちょっと独特です。

 一言でいうと、ビリー役の芸が「半端ない」。声変わり前で、北部イングランドの労働者階級の英語をしゃべり、バレエはもちろん、怒りのタップ、椅子を角で回しながらバレエをして、空を飛ぶのです(なんのこっちゃと思うと思うので、Trailerを見てください)。

 すごいなあと思うのですが、見ているうちに、子どもなのにすごいのか、子どもだからすごいのか、子どもでなくてもすごいのか、子どもだからやらせるのか…と訳が分からなくなってくるのです。イギリスのミュージカルが22時半すぎまでやることも含めて、「子役」ってなんだ?と考えさせられてしまいます。

 先月見たときは、ナチュラルな演技のビリーだったので、さほど感じなかったのですが、昔見たときは、ビリー役が優等生タイプ(つまり、ある意味典型的な「できる子」)だったので、すごく強く感じました。新しい世界に旅立つビリー(「子ども」)と、ストに敗れ再び地中に潜る父、兄、男たちというラストが際立ってしまっていました。(今回は、階級の時代の終わりという感じが強かったかな?)

 映画にできたのが、2000年、ミュージカルにしたのが2005年。そろそろ「歴史」なのか、現代を延長線上と見るかは、見るものにゆだねられている?

 スト中の炭鉱夫と警官隊の衝突を背景に、女子にまじってバレエにめざめていくビリーの様子を時間経過とともに描く、名ナンバー"Solidarity"だけでも必見です。

Billy Elliot The Musical - exclusive London trailer


http://billyelliotthemusical.com/home/



映画「レ・ミゼラブル」。

2013-01-28 23:59:59 | 芝居とか映画とか。
(殴り書き駄文注意。)

 ミュージカル映画「レミゼラブル」がヒットしている。二十年来のレミゼファンとしてはうれしい一方、今度日本で初上演される新演出版のチケットがとりにくくなるのではないかと気が気ではない。

 封切早々に見たが、個人的な感想は、「非常によかった」というなんとも凡庸なものだ。どこがよかったかというと、ミュージカルの魅力の部分を残しつつ、映画作品として昇華されていたというところに尽きる。

 実は、冒頭は「微妙だなあ」と思った。しばらく、どういう見方をすべき映画なのか迷いながら見るのはどの映画にも言えることだが、何せミュージカルのほうのファンなので、「ここがこうなったか…」「これじゃあこのシーンの魅力が出ない!」などと、どうしても比べながら見てしまうのだ。

 とりわけこのミュージカルは全編歌で、小さなセリフまですべて歌われる。いきなり「夢と希望のミュージカル」像を裏切る囚人たちの低音ハミングから始まり、有名な燭台のくだりまでは舞台の盆がぐるぐる回ってどんどん話が進んで行く。抽象度の高い舞台装置と相まって、それが初見の人を混乱の渦に叩き込むが、私はこれが他の作品とはまた違う形の「ミュージカルの世界へようこそ!」といういざないの役割を果たしていると思っており、非常に好きだ。ところが、映画では、さすがにこの展開の速い冒頭を全部歌にすることは回避されていた上、バルジャンの歌もかなりセリフ調だった。となると、舞台ではありえないリアルすぎる映像がすばらしいのと相まって、ミュージカルのよさをそぎ落としてしまったなら、単にリアルな映像でミュージカルとは違うレミゼをつくればよかったのではないか、という気分になったのだ。

 しかし、バルジャンの回心を経て、モントルイユシュルメールの貧民街や工場のシーンに入って、だいぶ見方がわかってきた。細かい街の描写から、抽象度の高い舞台ではオブラートに包まれていた身も蓋もない「ミゼラブルな人々」の世界が見えてくる。舞台では明示されない細かい心理や行動の理由が、原作小説に由来する映像で埋められていく。歌の順番も入れ替わっている。そして、なるほど映画としてのまとまりや見やすさを優先したのかと納得してきたところで、アン・ハサウェイのファンテーヌの“I dreamed a dream”の絶唱。謳われる個所が後ろ倒しされていたこともあって、落ちるところまで落ちた若い女性の「夢見た人生こんなじゃなかった」という叫びとその表情は、舞台とは違う形で私を揺さぶった。

 そこから先は見方もわかったし、ビックナンバーが続くので、演技と歌と細部を補った映像が完全に調和していった。歌がもたらす感動は舞台そのままに、しかし、舞台とは違うディティールによってもたらされる感動が加わる。そして、ラスト、バルジャンの昇天のときに、司教様(舞台版オリジナルバルジャンが演じている)が出てきたうえで、幻想の革命のシーンに到達するという映画ならではの演出で感動は最高潮に達する。ハンカチを手にエンドクレジットを見終えたら自然と拍手が起きた。


 ロマン主義に分類される原作だが、68年世代が作り上げた舞台版は、さらにロマンチックに、原作の身も蓋もないところ、人間の哀れさを描く部分をかなり感動的に書き換える形でつくられている。

 たとえば、原作のマリウスは、祖父が王党派、父がボナパルティストで、当人は学生時代に共和派にかぶれて家でするものの、コゼットと恋して革命などどうでもよくなってしまうという、ある意味「痛い」若者だ。さらに、革命前夜にコゼットが(バルジャンの勘違いによって)旅立ってしまうとわかった途端、ふらふらとバリケードに到着し、命が助かったら仲間のことはすっかり忘れてコゼットと結婚した挙句、素性を告白したバルジャンを冷遇する。それが、ミュージカルでは「仲間と行くか、彼女と行くか…私は戦おう」と歌い、「空のいすとテーブル、友はもういない」と激唱する。

 バルジャンも、原作では、いきなりバリケードでマリウスを見つけて「まるでわが子です」「彼を返して」などと、ロングトーンで歌うようなことはしない。もっと娘を奪う若者への憎しみを露骨に表出し、ぐちゃぐちゃになった感情を抱えたままマリウスを担ぎ出す。

 映画は、こういった舞台が加えた大衆受けする改変と音楽の力はそのままに、しかし、映像が書き込んだ景色や心情のディティールが身も蓋もなさを幾分戻す役割を果たしている。つまり、身も蓋もなさと感動が、映画という媒体の特性を生かした形でいい意味で調和している。

 以前に書いたが、レミゼラブルというミュージカルは、様々な時代や地域、役者や観客の様々な思いとシンクロし、見るたびに感動ポイントが変わるようなフォーマットであるところが最大の魅力だと思っている。映画は、そういう感動の「フック」は残しつつ、原作に随所で立ち返ることで、舞台の持っていた抽象度をいったん歴史化・個別化しつつ、同時に、心情の奥行と社会的広がりを視覚化した。それによって、多様な観客を舞台とは一味違った形で、しかし相変わらず多様な形で巻き込むものとなっているように思う。見終わって、舞台も見たくなり、映画ももう1度見たくなり、小説も読み直したくなった。



 なお、このように映画としての独立した可能性を追求しているという点は、個人的には、「ミュージカル映画」の1つのあり方としても興味深いと思う。

 21世紀に入って、シカゴ(2002)以降、舞台のヒット作を元にした「ミュージカル映画」(つまり、正確には「ミュージカルの映画化」)が花盛りだが、舞台を見る一ミュージカルファンとして、私は舞台の再現は期待していない。

 「シカゴ」自体は、歌のシーンはすべて主人公の妄想だとして、「突然歌って踊るのはちょっと」という人にも受け入れられ、ヒットした。さらに、この映画は、舞台のフォッシーの振付をリスペクトするからこそあえてそれを使わず、演出・振付はまったく舞台版を踏襲していない。むしろ、舞台とは別物の「映画として」どう魅せるかを追求している。

 それに対して、「オペラ座の怪人」(2004)などは、舞台版にあえて忠実に作られている。舞台どおりで素晴らしいと見る向きもあろうが、私は退屈だった。元々劇場シーンがほとんどなので、映画独特の「リアルな映像」といっても舞台から劇的に変わった感じもしない。舞台であれをやるから感動するのであって、映画だと当たり前すぎる。「映画として」何をやりたいのかがない作品だという印象ばかりが残った。

 その点、「レミゼラブル」は、ミュージカルの感動のエッセンスを残しつつ、映画としての可能性を最大限追及したという点で、「ミュージカル映画」としていい作品だと思った。

(参考)シネマトゥデイ「近代ミュージカル映画特集 映画化は成功?失敗?


http://www.lesmiserables-movie.jp/



「アリスインワンダーランド」。

2012-12-18 20:18:51 | 芝居とか映画とか。
 アリスインワンダーランドというミュージカルに行きました。当然のことながらアリスがワンダーランドに行っちゃう話ですが、この話のアリスは少女ではなく、少女のお母さんのお年頃。仕事に行き詰まり、家庭生活も破たん寸前のアリスが、突然ワンダーランドに迷い込んで…。というお話し。

 最初、ハイテンションでワンダーランドに迎えられ、うさぎ、芋虫、猫、ジャック、帽子屋と出てきて、ほどよいうさんくささとすさまじいテンションで、ショータイムが続きました。キャーポップでキッチュでかわいい!!と楽しみつつも、これ…このまま続く…のかな?と不安になったところに、帽子屋が娘をさらっていって2幕へ。

 2幕では、徐々にワンダーランドの種明かしが進みます。ワンダーランドはアリスの中の世界。他人の意志をうばって思い通りにしようとするとするエゴが帽子屋。世界のバランスをとるのがクイーン。じっくり考えたり、とにかく楽しんだりするのが、その他の登場人物。(ただし、口ばっかりで頼りにならないけど憎めないおっさんジャックは夫のジャック。)

 そうか自分がエゴを通して、仕事相手や家族とうまくいかなくなっていたのだ…とわかったところで、ワンダーランドでは帽子屋がみんなを殺しまくって…。さらに、夢から醒めても現実の困難はは何一つ解決していない…。けれど、アリスの中では何かが変わった。

 ざっとあらすじを示せば、こんなお話でした。でも心のワンダーランドを殺して、余裕がなくなっているのは自分なのに周りが見えなくなって…というのは、「少女」「若い」とはお世辞にも言えない年代に入った「女子」ならそれなりに痛いところを突かれたと思うはずです。

 翻って、本家アリスも、基本構造は同じで、「おまえは誰だ?」という質問が繰り返され、少女がサイズも定まらず、時に自分に話しかけたりしながら彷徨します。いわば、思春期前の少女の世界(この手の精神分析に引き付けたような分析はたくさんあるはずです)。元少女になると、肥大化した自我が猛威をふるうというのがなるほどなと思いました。

 物語の枠組みを台詞で説明しすぎなところとか、最後の心理主義的な結末とか、どうかなと思わなくもありませんが、アリスのもう1つの魅力であるキッチュでおしゃれな世界を堪能しているといろいろ考えさせられるというつくりは好みでした。

【追記】ブロードウェー版のクリップ
ブロードウェーではこけたんですよね…。曲も多彩で、話は日本人にはウケると思います。アメリカではドイツ語圏ミュージカルもウケないので、心理主義的なものはダメなのでしょう。




OrientalismとPost-Colonialism、For NowとNo day but Today。

2012-08-23 01:00:00 | 芝居とか映画とか。
7月の観劇記録を中心に書きたいことがあるのですが、
まとまらず、時間もなく、間が空きました。

とりあえず、お盆休みに完全に遊びで旅行に行きました。
この街で私がやることは決まっているので、2つ(4つ)観劇記録をば。




1)Lion KingWicked
Lion Kingは言わずと知れた、アフリカやアジアの芸能の手法をつかって
サバンナを表現しようという趣向で一世を風靡した作品。
使われている技法は日本の文楽やインドネシアの影絵だったりするので、
西洋から見たら全部「オリエンタル」でひとくくりなんだろ?という
気がしてなりませんが…。

当日半額券は絶対出なそうなので日本から予約。
安くならない意味がわかりました。

ただ、おそらくこれだけ見たらアフリカンパワーってすごいのね
と思ったと思うのですが、3年前にイギリスで見たとき、
coloredのキャストのほとんどは演技の基本ができてなくて、
○季の悪名高い母音法が懐かしくなるくらいひどい思いをしたので、
そういうところでブロードウェイは裾野が違うんだなと思いました。
http://www.lionking.com

Wickedはアメリカの国民的物語「オズの魔法使い」を
西の悪い魔女の側から見たら…というポストコロニアルな内容。
(たとえていうなら「桃太郎」を鬼の側から見たらって感じ。)

Lion King(1997)とWicked(2003)の間にちょっと視点が変化?
(前者の元映画は1994、後者の原作は1995で同じ時期だそうですが。)

ただ、日本で見たときも、その着想以上の面白さを感じないというか、
物語は破たんしているのであまり気に入らなかったのですが…。
(↑アリバイ崩しのようにきっちり練り込まれたものが好き。)

でも、これも当日半額券が出ない人気作で、その実力を確かめようと正価で購入。
日本と比べるのもあれですが、とにかく役者のレベルが高かったです。
とにもかくにも曲がいいし、役者のレベルを堪能しました。
でも、観光客主体の観客が話をどう受け止めたのかは結局わかりませんでした。
http://www.wickedthemusical.com/#


2)AvenueQRent
AvenueQについては来日公演のときに感想を書きましたが、私はこの話が好きです。

今回オフブロードウェイでやっていて、普段お芝居なんか観ないのに
ブロードウェイだから来てしまいました…みたいなお客さんが少ないので、
みんなと一緒にゲラゲラ笑って、純粋に芝居を見る楽しさを味わいました。
http://www.avenueq.com/

ところで、このAvenueQはNew World Stagesというシネコンみたいに
複数のステージがある場所でやっており、隣はRentでした。

正直、私はRentが得意ではありません。
HIV+、ゲイ、レズビアン、ボヘミアンと自分から遠い人たちの世界を
見せられて、どうしていいかわからなくなったところに
No day but todayと歌われて、強制的に共感させられる感じがするのです。
(←ほんとはこの手の事柄には「共感」とは違うアプローチが必要だと思うのです。)
でも今回もうご当地でも「歴史」になったんだろうなという距離感がありました。
http://siteforrent.com/

For now(いいことも悪いことも今だけ)と歌うAvenueQと
No day but todayと歌うRentが隣でやってるのが興味深かったです。

For now、Tomorrow is another day、明日があるさ系と
No day but today、カーぺディエム(今を生きる)系とは、
※後者2つは文脈は逆ですが
:No day~は明日も知れぬ人の歌、カーペ~は道具的な学校に縛られた若者への言葉
近代社会を生きる人間の「今」のとらえ方の両輪みたいなものなのだと思います。

私は前者のほうにぐっときます。
まだ人生の終わりは近くはないだろうと思える年齢のマジョリティだからでしょうが。


なお、他にも見ましたが(あほですみません)、
英国ミュージカルはやはり英国で見たほうがよかったです。


↑この国の花の色はおかしい(おしゃれなフローリストは違いますが)

※23日深夜ちょっと修正しました。