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近況報告。

・・・のつもりではじめたのですが・・・。
ゼミについては、学科公式ブログで報告しています。

「告白」。

2010-06-30 18:55:39 | 芝居とか映画とか。
社会現象となり、学生がハイテンションに語っていたので、
ほうっておくわけにはいかなくなり、本を読み映画に行きました。
※辛口です。

本。

自意識による少年犯罪、少年司法の問題、モンスターペアレント、いじめ、復讐、
といったテーマをキッチュに配置して、それなりに面白く話をまとめたよね、
と読めたのは1話目だけで、
後にいけばいくほど、「典型的すぎる設定」を書き込みすぎて、
読んでいて気恥ずかしくなりました。
(重要人物の中学生がみんな「問題」ある家庭背景を持ち
「中二病」的思考をし、大人も自己愛に満ち溢れた人ばかり。)
書き込みすぎているので、ミステリーとしての構成美みたいなものが
あるわけでもありませんでした。

一気読みする程度にはおもしろかったけれど、正直今一つ。

先が知りたくて一気に読んでおもしろかった~というのが大半かもしれませんが、
ネットの感想を見ると、
しばしば「これはフィクションである」という留保を伴いながらも、
そこに「リアル」とか「社会問題を描いている」と何らかのリアリティを
感じて(そこで思考停止して)いると思われるものも散見されました。
粗雑な像に脊髄反射的に反応して消費する態度が瀰漫しているとしたら、
「社会問題」像や「子ども」「教育」像の構築・流通のありようとして、
それ自体が考察の対象とされるべきなのかなと思いました。

学生が「リアル」とか「考えさせられた」というときも、
(「おもしろかった~」で終わっているときも)
子どもや教育を語るときに典型的な前提があるような気もして、
それをもう一段反省してもらうために、
私は何をどう働きかけていかないといけないんだろう?と考えさせられました。

映画。

原作で書き込みすぎだったところを全カットし、
どこの昼ドラ?というベタすぎる設定はぼかすか変えるかで処理。
(HIVをそういう描き方して大丈夫?と思ったところも無難に修正されてました。)
そんな中島監督のセンスが光り、本より面白かったです。

映像を細切れにしたり、加工したり、わざとらしいカットを入れたりすることで、
現実をリアルに再現した映画ではないという距離感をかもしだし、
だからこそ虚構の中の一片のリアリティを観客に残すとでもいいましょうか。
「松子」や「下妻」ほどあざとくもなく、その距離感は原作よりは洗練されてました。

しかし、それでも、なぜメガヒットになっているのかは未だなぞ。

ちなみに、昼ごろ夕方の回をとりにいったら満席で、
結局21時の回にしてしまったのですが(それも満席に)、
その回の年齢層高めの客の反応としては「ふーん、まあ面白かったね」
というドライな感じでした。
昼の段階で、「満席」の表示に呆然としたり険悪なムードになっていたりする
女子大生集団が複数いましたが、そういう学生が多い回が
どういう反応だったのか知りたかったかも。



ご近所にて。

2010-06-19 01:01:15 | 考えごととか。
行って来ました。
東京朝鮮中高級学校文化祭

一応、ゼミ生にも声をかけたのですが、直前になってしまったため、
行きたいけどバイトがずらせない・・・という人も多くて、結局1人で
(今時の大学生はとても忙しいんですよね・・・。)

結果、1人で行って、写真をとりまくる怪しい人に・・・。
でも、めげない
来年は早めに告知して2,3人でいいから学生と来てみたいです。


さて、文化祭といっても、「知ってもらう」ということを主眼にした、
朝鮮文化と朝鮮学校についての発表会なのですね。
10年くらいやっているのだとか。

そういう政治的な負荷がかかっているということ自体がこの場の難しいところ。
私もつい色々聞こうとするけれど、熱心に語ってくる生徒がいても、
類型化された問いと類型化された答えがひたすらかみ合わないという
もどかしさとともに終わる場面が多数。

にもちらりと書きましたが、無償化問題などをめぐって、
 外交問題と見て他の学校と区別(差別!)する政治の動きに対して、
 「人権」「子どもの学習権」を盾に「同じ学校」だと批判するという
 二者択一の状況なっています。
 しかし、後者に立つだけでは、(国連などの上位機関の権力を持ち出さない限り)
 前者を説得することは難しいのではないでしょうか。
 中からも、「日本のに近い学校です」「学習権を保証してください」というメッセージと共に、
 「日本社会で差別されてきて、また今差別されている」「同胞の援助への感謝」
 というメッセージがだされているので、そこに「ほらやっぱり問題ある学校だ!」と
 反応されてしまうわけです。
 「同じ学校ですね」「同じ10代の若者ですね」で連帯できている裏に、
 異文化を発見してしまうというマジョリティと「差別されている」と感ずるマイノリティ
 という構図が否応なくついてきてしまうというか。
 (じゃあどうしたら?という答えが出たら民族問題は解決するわけですが。)


☆ここは紛れもなく学校。
  

☆でもそれでは済まない瞬間を象徴する画。
  

一方、聞いてもあんまり文化などについて答えられない子もいました。
例えば、チョゴリは買ってもらうの?とか、どんな模様がいいとかあるの?
と聞いても「えっと・・・へへ」という感じでした。
でも、中学生など自我もはっきりしていないわけで、
単なる人見知りかもしれず、全員がぺらぺら答えられると想定するのも
おかしなことなもかもしれません。。

そこで私が色々聞いてしまうということ自体、場に誘導されたものでもあるけど、
中にいる人にとっては幼少期からかけられ続ける負荷の1つなわけで・・・。
日本社会で「在日」として育つ以上、早いうちから慣れておくべきことなのかも
しれませんが(聞かれて答えられるようになるというのが今回のイベントの
教育的目標なのかもしれませんし)、でもやはり、何にも考えずに育つ
マジョリティの子どもたちに比べて負担が大きいのは事実・・・。


と、あいかわらず最も身近な多文化問題のこの場は語るのが
難しくためらわれる場なのでした。

でも、そこから始めるために開かれたわけで、そこから始めるしかないのですよね。

あ、でも、舞踊公演とかテコンドー演舞とかあって、単純にエンターテイメントとしても
面白いですよ。(ただし、韓流ムードは漂っていません。)

※※やっちゃいました (中学生に勧められるがまま1人でw)
   

2009の模様(公式)はこちら↓
http://www.t-korean.ed.jp/bunkasai%20syasin.html#bunkasai
2010の写真は、沿革を示す展示なども含めて、かなりまじめにとってきたので、
もし興味がある方がいたらご連絡ください。

一応、60周年のときの感想はこちら↓
http://blog.goo.ne.jp/e-com77/e/06b72d901955583aecafe2fe9239d80e



「アリス・イン・ワンダーランド」。

2010-06-14 00:29:24 | 芝居とか映画とか。
5月はばててたので、今頃やっと見ました。

ティム・バートン&ジョニー・デップの作品は、
一見したエキセントリックさのわりに
(いやこれも案外泥臭くて頭で考えたエキセントリックさなのだけど)、
オチは家族愛だったり成長だったりととてもモダンでナイーブで、
もう絶対微妙な気分になることはわかっていたのですが、
でも見たかったんですよね(苦笑)。
(だってひたすら子ども/大人問題を描いている人たちだから。)

で、今回、「チャーリーとチョコレート工場」のような奇抜さはなく、
ディズニーのアリスファンとしても映像を楽しめました。
(3Dは細かく切り替わるこの作品には不要かも、見づらかったです。)

が、話はやっぱり微妙な気分になりました。

原作は、荒唐無稽なところに子ども心に妙なリアリティを覚えたものですが、
後で考えてみるに、あれは正統派「少女もの」だったなあと思います。
自我がはっきりしていなくて流されたり急に自己主張したりと
体の大きさとともにころころ人格が変わり、自分が誰かわからなくなって
「不思議の国」にふわふわ浮遊するアリス。
そして、そんな「不思議の国」は夢でした、ちゃんちゃんというお話。

夢から覚めた先は書いてはいないけれど、
ウェンディーがネバーランドから帰ってきて、結婚して子どもを産んで
いつのまにかピーターパンが来てもその存在に気づけなくなるように、
夢の世界から戻ってきた少女は、母になるのでしょう。
母になることを猶予された少女時代の夢のような物語なのです。

さて、それに対し、バートンは、アリスを親が決めた結婚を迫られている
19歳にすることで、「少女から母へ」とは違う物語にしようとしています。
「アンダーランド」で、アリスは自分で決めて自分の道を歩んで行き、
最後には自分の意志で現実世界に戻り、求婚を拒絶します。

でも、それって「少女→母」路線を否定しただけで、
ひどく古典的な自立の物語では??と思うのです。
(もちろん「少女」は自立する代わりに妻=母になるというのを古典的と
すれば斬新なのかもしれませんが、でもやっぱり予定調和すぎかなと。)

自分で決めたといってもなんだかんだで預言書の通りの行動をしているし、
そもそも不思議の国をそんな道具的に使ってほしくないかなあ。
(不思議の国に不思議さがあまりなかったし。)
現実世界に戻って急に事業に乗り出すというのも、
時代設定を考えるとそっちのほうがよっぽど荒唐無稽で不思議かも。

「チャーリーとチョコレート工場」のチョコまみれシーンとか、
「スウィーニー・トッド」の切り裂きシーンとか(←トラウマぎみ)みたいに、
やりたかったんだねえ・・・というパワーもあまり感じられず、
なんか煮え切らない気分で映画館を後にしましたとさ。

いっそあの映像でベタにディズニーの実写版としてつくってくれたほうが(笑)。
なんだかんだで「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」が未だ一番好きです。
(ミュージカルだし、吹き替え版が二度おいしいし。)



リアぺのマナー。

2010-06-11 16:11:23 | 授業とか。
先日の教育社会学のリアクションペーパーにて、
「近くでみたら案外若くてきれいでした」というものがありました。

こういう授業に関係ない、教員の外見へのコメントのをもらうのは久しぶりです。
非常勤で大学で教え始めた当初は、この手のがもっとありました。
お世辞もあれば、「某芸人に似ている」など、その方には悪いけど、
やっぱほめてるわけじゃないよね?みたいなのも。

なぜこの手のリアぺが減ったのか?

1)そういうコメントが多発した大学よりもMGは偏差値が高いので、
 よ~く社会化されていて、リアぺに書くべきことと書いてはいけないことが、
 なんとなく身についている(隠れたカリキュラム?)。
 (実際、全体的に書いてくれる量も多く質も高いです。)

2)私が慣れた&歳をとって先生くさくなった。
 (裏ルールを見せていい先生と認定されなくなった。)

どっちだと思います?



文脈に関係ない写真のように見せて、歳をとったのです。また。ふぅ。




偏った前提。

2010-06-02 20:38:20 | 近況とか。
たまったDMの中に、ゼミ合宿向けの旅行案内が。

「先着99組様限定!!」
「百貨店等で利用可能な商品券2000円分プレゼント!!」
だそうですが。

問題はその先。
「奥様へのプレゼントに御利用ください」

つっこみどころ満載すぎる。。。
大学教員=男性&ヘテロ&既婚(離死別不可)!
って、それいつどこのイメージですか?