文教地区ラッセルスクエアの近く、Foundlig Hospital(棄児養育院)であったところの展示です。
→http://foundlingmuseum.org.uk/
ホスピタルとなっているのですが、ここもまた医療と福祉と教育が未分化な収容施設であった感じがひしひしといたします。
子どもの父親に見捨てられた女性が、やむなく子どもを預けて行き、子どもたちは新たなアイデンティティを与えられてここで育てられ、巣立っていくという感じの場所でした。
就労可能年齢、後には義務教育修了年齢までここにいて、その後は男子は軍隊か徒弟修業、女子はメイドといったルートが一般的とのことでした。
20世紀まで機能していたそうです。
ここの隣のBrunswich Squareで、ピーターパンの著者バリーがここの子どもたちを見て、ピーターパンを思いついたというのは有名な話。
ディケンズの家も近く、ディケンズはここの子たちやRagged Schoolsの子たちを見ながら、オリバー・ツイストを書いたそうです。
孤児に関する児童文学の展示が行われていました。
Drowing on Childhood http://foundlingmuseum.org.uk/events/drawing-on-childhood/
『オリバー・ツイスト』、『ピーターパン』(ロストチルドレンが出てくる)、『ハリーポッター』はもちろん、「精神的捨子」である『マチルダ』など、中産階級的子どもへのまなざしがその陰画を見つけ出していく様はちょっとおもしろかったです。
なお、ディケンズの家も博物館になっています。
→http://dickensmuseum.com/
こちらは、子ども部屋は屋根裏にということがわかってよかったです。確かに、本で出てくる子ども部屋は絶対に屋根裏なのです。
ディケンズは、お客様に子どもを会わせたくなかったそうです。子どもに対する優しいまなざしを寄せたディケンズですが、私生活では不仲の妻にたくさん子どもを産ませていてなんだかなーです。
色々な施設を見るに、ビクトリア朝的な子ども観の誕生というときに、日本的な感覚で読み解いてはいけないのだろうということが、よくわかります。
→http://foundlingmuseum.org.uk/
ホスピタルとなっているのですが、ここもまた医療と福祉と教育が未分化な収容施設であった感じがひしひしといたします。
子どもの父親に見捨てられた女性が、やむなく子どもを預けて行き、子どもたちは新たなアイデンティティを与えられてここで育てられ、巣立っていくという感じの場所でした。
就労可能年齢、後には義務教育修了年齢までここにいて、その後は男子は軍隊か徒弟修業、女子はメイドといったルートが一般的とのことでした。
20世紀まで機能していたそうです。
ここの隣のBrunswich Squareで、ピーターパンの著者バリーがここの子どもたちを見て、ピーターパンを思いついたというのは有名な話。
ディケンズの家も近く、ディケンズはここの子たちやRagged Schoolsの子たちを見ながら、オリバー・ツイストを書いたそうです。
孤児に関する児童文学の展示が行われていました。
Drowing on Childhood http://foundlingmuseum.org.uk/events/drawing-on-childhood/
『オリバー・ツイスト』、『ピーターパン』(ロストチルドレンが出てくる)、『ハリーポッター』はもちろん、「精神的捨子」である『マチルダ』など、中産階級的子どもへのまなざしがその陰画を見つけ出していく様はちょっとおもしろかったです。
なお、ディケンズの家も博物館になっています。
→http://dickensmuseum.com/
こちらは、子ども部屋は屋根裏にということがわかってよかったです。確かに、本で出てくる子ども部屋は絶対に屋根裏なのです。
ディケンズは、お客様に子どもを会わせたくなかったそうです。子どもに対する優しいまなざしを寄せたディケンズですが、私生活では不仲の妻にたくさん子どもを産ませていてなんだかなーです。
色々な施設を見るに、ビクトリア朝的な子ども観の誕生というときに、日本的な感覚で読み解いてはいけないのだろうということが、よくわかります。