goo blog サービス終了のお知らせ 

近況報告。

・・・のつもりではじめたのですが・・・。
ゼミについては、学科公式ブログで報告しています。

モースと今和次郎。

2013-11-04 21:07:42 | 近況とか。
 連休、学園祭にはいかず、江戸東京博物館の「明治の心:モースが見た庶民のくらし展」へ行きました。

 大森貝塚を発見した人として教科書に名を刻むモースですが、私にとっては、その著書『日本その日その日』で「日本は子供の天国」という言葉を残したお雇い外国人という印象が強いです※。(そこから、じゃあ日本は近代以前も「小さな大人」じゃなくて子どもをかわいがっていた!という議論が出てくるわけです。)そんなわけで、何か得るものがあるかもしれないと行ってみました。
※似た感想をもれなく外国人が残しているという話は、渡辺京二2005『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)参照。

 子どもコーナーはわずかでしたが、とにかくモースの視線がおもしろかったです。彼が来日したのは、明治10年年代前半。日用品ゆえに誰もとっておかなかったようなものを、譲り受けたりして収集していたため、江戸から明治へ移りゆく中で失われたものが多く保存されているのです。

 その収集保存活動自体が、単なるオリエンタリズムに加えて、「近代化の中で西洋では失われてしまった生活が、今まさに日本でも失われつつあるから、保存せねば」という(本人または周りの)問題意識に支えられていたらしいというのは興味深かったです。その近代化済みの西洋人のメガネで切り取った近代化以前の日本を、現代の日本人も同様に、時に物珍しげに、時になつかしげに眺めるという構図自体が、不思議でした。

 展示上、忘れられ江戸から明治の心をというストーリーがそこまで強くなかったのは、後の時代の考現学★にも通じそうな分析的目線で集められた物自体のインパクトの強さも関係あるかもしれません。

 あと、モースは、学校をドロップアウトした貝マニアだったとか、なんとかっていう貝が豊富だと聞いて日本に来たら帝大教授にさせられたとか、来日3日で汽車の窓から貝塚発見したとか、貝型陶器を集めたら「骨董品でもない」とバカにされて権威に弟子入りして陶器の目利きになったとか…。「偏見の煤けたメガネより共感のバラ色のメガネをかけて異文化を見よ」(大意)といったのもうなづける魅力的な人物であることはよくわかりました。


★ちなみに、考現学については、昨年の春にやっていた「今 和次郎 採集講義 展」に行きましたが、時代の屈折点を記録したいという点、一見地べたをはいずりまわる系に見えながら、実は完全に外から視点で対象に肉薄はしないというのを改めて感じました。それに、お雇い外国人の「採集」の視点が近いなあと思ったのです。