今回のコロナ禍で、感染症がどれだけ恐ろしいことか、たくさんの国民の命が失われ、後遺症に悩む人をどれだけ生み出してしまったことか、また、国にどれだけの損害を与えてしまったか、改めて考えてほしいものだ。これは、代々の政権が防疫ということを軽視し、感染病を扱う国立病院を減らし、保健所の予算を削る一方で、戦闘機等の防衛予算を年々増大させてきた政策の愚かさを明らかにしたものだ。政治家は自ら犯した誤りに、真摯に向き合い、その責任を自覚するとともに、ウィズ・コロナに見合った防疫体制を整備し、二度と感染症を日本に蔓延させない対策をしっかりと構築することの大切さを自覚するべきだろう。
また、いつも政府が口にする「安心・安全」とは一体何なのか?だれの「安心・安全」なのかをはっきりさせる必要がありそうだ。今、政権側が「安心・安全」と言いながら、やっていることは、「隠蔽と責任放棄」の繰り返しだ。最近、ニュースに流れる言葉に、コロナの感染拡大を「災害級の」という表現があるが、「災害」という言葉を聴くと、多くの人が「自然災害」をイメージすることだろう!すなわち、「災害」だから仕方ないことだ、誰にも責任はないことだ。という「責任放棄」のメッセージを発しているように思えてならない。
日本は島国だ、港や空港での検疫をしっかりして、防疫体制を整えておけば、デルタ株の日本への侵入は防げたし、被害を最小限に抑えることが出来たはずだと思う。
まあ、こんな一大事の時に、自民党議員は、総裁選挙でいったい誰を応援すれば、自分の将来に有利に働くかということに最大の関心を注いでいるように思えてならない。これこそ、言語道断な話だ!