DonkeyMの部屋

Donkeyはロバ。格好良くなく、足も遅い。「のろま」とか「馬鹿」といった意味。日々の感動、怒り、愚痴等を記事にしたい。

ふるさと納税の高額返礼に意義あり!

2016-01-14 10:53:08 | 雑感

 ふるさと納税の返礼が異常に高額になっているようだ。今日のNHK「あさいち」で、ある地方の自治体で、100万円のふるさと納税に対して、焼酎365本が返礼としていると報じた。感謝状を発送するくらいは良いとして、果たして、こんなに高額の返礼は、本末転倒もはなはだしいと思うのだ。

 ふるさと納税された額は、本来、住居のある自治体に収められるべきもので、ふるさと納税された分は減額されているわけだ。その貴重な税金を返礼に使われるのはいかがなものだろうか?実際の住民は税金を納めたからといって返礼を受けることなんてできない。だいたいそんな金があるのならば、住民税を安くしろという声が上がるだろう。

 まあ、謝礼として、地域の特産物を少々贈るとか、感謝状を贈るとかくらいは許されるかも知れないが、それが何十万にも及ぶと言うのは、言語道断だ。

 税金の使い方としては、まず、予算案を検討し、予算に従って執行していくものであり、住民税を納めている一般住民がこのことを知ったら、どう思うのだろうか?ふるさと納税で住民税が増えるのだから、賛成という人もいるかも知れないが、逆に、ふるさと納税によって収入が減り、住民税が上がる自治体の住民はどう思うのだろうか?なかなか実感が伴なわらないことなので、ピンとは来ないかも知れないが、考えてみる必要があると思うのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍総理はどこをどう変えたいのか?(憲法改正)

2016-01-13 10:55:28 | 雑感

 安倍総理は、憲法改正に必要な3分の2の議席を取りたいと年頭の記者会見で語ったという。しかし、現憲法のどこに不都合があり、どう変えたいかは一切語っていない。朝日新聞の今日の社説で、そのことを指摘している。確かに、朝日新聞の言うとおり、変えたいところをきちんと指摘し、改正案を示した上で、選挙に臨み、国民の判断を請うのが筋だろう。

 こうしたことは安倍総理は重々承知していると思う。しかし、変えたいところを明確化すると、国民の支持を得られないということも、十分感じ取っているのだろう。だから、内容は伏せて、憲法改正とだけ言っているように思えてならない。

 想像するに、憲法9条、戦争放棄の条項だろう。こんな条項は、世界中のどこを見ても、存在するのは日本だけで、敗戦、占領下にあって、理想主義者と日本の再軍備を恐れた米国が日本に迫り、出来上がった条項なのだろう。こんな条項を押し付けられた当時の日本の指導者の悔しさは想像に難くない。

 しかし、米国も、この条項のために日本を守るために、多大な出費が要ること、自己矛盾を感じ、日本も応分の負担をするべきだという声を無視できなくなってきたのだろう。米国は日本に、何かと負担を強いるようになってきている。当然と言えば当然の話なのだ。

 安倍総理は、集団的自衛権という文言を持ち出し、米国を支援するために自衛隊の海外派遣を安保法案で可能にした。大方の憲法学者が違憲を叫ぶ中、強行採決で成立させた。本当に、集団的自衛権が合憲だとするならば、現憲法で何ら不便はないはずで、憲法改正の必要はないのではないのか?政府はずっと自衛隊は合憲と主張してきたのだから、侵略者に対しては防衛できるわけだ。残るは先制攻撃、侵略戦争を合法化することなのではないだろうか?それとも、集団的自衛権について確信が持てないため、今のうちに、憲法を変えてしまって、自らの憲法違反を無にしてしまおうというのだろうか?

 結論として、回りくどいことは一切やめて、憲法のどこを変えたいのか、明言し、国民に示すのが一番良いのではないでしょうか?

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年金事務なぜ遅いのか!

2016-01-12 11:34:48 | 雑感

 昨年11月に65歳になる前に、基礎年金部分の申請をしたのに、まだ、支給通知が届かない。規定では65歳になったその月から支給が開始になることになっている。それなのに、2ヶ月くらい経つのに、まだ、支給が始まらないというのは、どうかと思う。その間に、生活に要する資金をどう確保するのか?利用者の不便にはどうも関心がないようだ。誕生日というのは予め分かっていること、それに向けて準備していても良いだろう。日本年金機構の対応のお粗末さは分かっていることだが、腹の立つことばかりだ。社会保険庁がそのまま日本年金機構に名前が変わっただけで、実態は全く変わっていない。

 情報漏えいの問題も、こうした組織の怠慢さ、認識の甘さが招いたものということができるだろう。まじめに働いても、生活ぎりぎりで一向に生活が安定しない人たちが大勢いるというのに、日本年金機構で働く人たちは、親方日の丸で、のうのうと、平々凡々と、怠慢な仕事をしているという罪の意識を持たないまま、仕事をしていることに腹が立つ。いっそのこと、全員を解雇し、新たに、適性のある、意欲のある若者を雇い入れたら、どうなのだろうかと思う。

 安倍総理は、花火を上げることには関心があるが、その内容については、全く人任せ、部下任せデ、実際にどうなっているか、全く分かっていないのではないだろうか?いったい何を見て政治をやっているのでしょうかね!

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年も麹から甘酒作ったよ!

2016-01-11 06:10:12 | 雑感

 毎年やるのだけれど、麹から甘酒を作った。冬になると、食べたくなり、そして、作る。そうそう、私は甘酒を「食べる」のが好きなのだ。飲む甘酒ならば、幾らでも売っているが、食べる甘酒なんてどこにも売っていない。それはそうだろう。普通の人は甘酒は飲むものと思っている。甘酒を食べるという人はあまり聞いたことがない。

 子どもの頃、我が家ではお櫃一杯に甘酒を作っていた。それをこっそり隠れて、甘酒を食べてみたところ、意外と美味しいことに気が付いた。それからと言うもの、飲むよりも食べることの方が好きになってしまったのだ。特に、少し発酵が進みすぎて、酸味が出始め、舌にピリッとくるときの甘酒の味がなんとも言えず、甘いだけではなく、ピリッとした酸味がなんともたまらない。子どもの頃に、祖母が作るのを見ていて自然に作り方を覚えていた。ただ、電気炊飯器というものが出始め、保温の温度と発酵の適温がほぼ一致していることから、私は、炊飯器で作るようにしている。

 作り方は、簡単。お粥を炊く。そして、麹が死なないような温度まで下げ、そして、麹を加えて少し掻き混ぜ、後は、炊飯器を保温にセットし、そのまま発酵させていくだけで出来上がる。時間が経過するに従って、甘みが増してくる。時々、掻き混ぜ、発酵の具合と甘みを確かめ、自分の好みになったら、後は、冷蔵庫で冷やし、発酵の進み具合を抑制する。非常に簡単ですよ。

 ところで、妻に{甘酒で来たよ!飲む?」と聞いたところ、飲むと言うので、薄めて加熱して出した。妻曰く、「掻き混ぜすぎだよ!麹だけがツブが残っていて、ご飯の形は残っていない。アンバランスだよ!」などと講釈を始める。まあ、この講釈はもう何十年も続いているが、私は私の好みの味に甘酒を作っているのだから、仕方ない。何年作っても、私流の味にしかならないのだ。好みに合わなかったら、飲まなきゃ良いのだと内心思うだけだ。私も、相当頑固者なのかも知れない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孫が離乳食を食べたぞ!

2016-01-10 22:01:03 | 雑感

 息子から動画が送られてきた。孫が離乳食を食べている動画だ。パクパクと、次から次へと平らげ、誇らしげにしている様子が映し出されていて、実に頼もしい。生まれてすぐにICUに入ったときはどうなることやらと心配したが、その後は、すこぶる元気で、日に日にできることが増えていく!この子は、将来、何になることだろう。

 そう言えば、今日は成人の日。年寄りから見れば、若者はいつまでも子どもに見える。しかし、いつまでも子どもとして保護されていて良い筈はない。いつかはひとり立ちし、自分の行動に責任がことを自覚してもらわなくてはならない。成人は、1つの区切りなのだ。できる人もできない人も、それなりに自分の行動に責任を持ってもらう。それは、子どもの方の話だけではない。親も、子どもに任せることを決断するときでもある。

 まあ、高学歴時代になって、仕事を始める時期は遅くなってきている。少し前までは22歳で大学を卒業したら、自活するのが当たり前だったが、今は、大学院(博士前期2年、博士後期3年)に行く人も増えてきて、経済的に自立は大分遅くなってきている。しかし、経済的には多少、親に依存するようなことはあっても、自分の意思で途を選んでのこと、その後の成り行きについては子ともが全面的に責任を負うことには間違いないのだ。

 一方、選挙年齢が18歳に引き下げられ、人としての判断が求められる時期が早まっている。自立が遅くなっているのと逆の傾向が出てきている。この辺は非常に微妙だ。まあ、20歳になれば判断できると言うわけでもないし、18歳では判断できないということでもない。どんな材料を元に何を判断するのかということをしっかりと教えておく必要があるということなのだろう。それは学校任せにしていては何も始まらない。それに、学校が教えるとなると、色々と難しい問題も出てくる。政治の仕組みについて、きちんと親が子どもに教えて行かないといけないということなのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする