今年度アカデミー賞の作品賞などにノミネートされている「クラッシュ」を観て来ました。
監督は、「ミリオンダラー・ベイビー」の脚本家ポール・ハギス。この作品が監督としての第1作だそうです。
と言っても、私は「ミリオンダラー・ベイビー」(クリント・イーストウッド監督作品)を未だ観てないですが…。
どうも、クリント・イーストウッドのバイオレンス的描写が苦手なんです。
最初にアカデミー作品賞を受賞した「許されざる者」(1992年)も、私には合わなかったですね。
…おっと、イーストウッドの話じゃなかった。
そんなわけで、私にとってはポール・ハギス作品の初鑑賞となるわけです。
この作品は、ストーリーについてあまり書く必要は無いかもしれません。
人種差別をきっかけとした幾つかの事柄を、それぞれ少しずつだけ関連付けて同時進行で見せています。
ですから、ただ一つのエピソードの起承転結を丹念に追っていくという作りではありません。
大雑把な言い方をしてしまえば、人の運命を左右する決定的場面の前後のみに焦点を当てて描き出している感じです。
決定的場面を、この映画では様々な〝クラッシュ〟という形で見せます。
車の衝突だけではなく、人種の衝突であったり、価値観の衝突であったり…。
…そんな訳で、全編を通して決定的場面に密接してるので、ストーリーをちょっと書いてもネタバレになってしまいそうなので、敢えて抽象的表現だけにして置きます。(つまり全編見せ場だらけということです)
決定的場面から希望が生まれるのか絶望の底に落ちるのか? それを運命付けるのは何なのでしょう?
〝神〟と答えるのは容易いです。
が、この映画はそうは答えません。
運命を決めるのは、〝人の繋がり〟だと言っています。(たぶん)
自分が想定しているよりも確かに、あるいは自分は気付きさえもしないのに、運命とは〝自分と繋がる誰か〟によって確実に齎されいるのだと。
とても良く構成された作品だと思います。
ポール・ハギス作品初鑑賞はとても満足なものでした。
ですが、監督第1作であるならば、構成のテクニックに頼らない、正攻法の起承転結を見せて欲しかったと思います。
まぁ、欲を言えばですが。
それより思うのは、我々観る側自身の事です。
あまりに良く出来た映画を観たので、その満足感に酔うだけで終わってしまわないだろうかと言う事です。
映画の中のセリフに、こういうのが有りました。
〝みんな本当は触れ合いたいのさ。ぶつかって何かを実感したいんだ〟
そう、観た事で終わるのではなく、実際に行動を起こして人と触れ合う事。
バーチャルではない手応えを得る事。
そしてその先にようやく、差別や銃から開放された世界が見えてくるのかも知れません。
それが出来てこそ、初めてこの映画の存在する意味があるのだと思います。
せっかくの傑作との出会いを〝絵に描いた餅〟で終わらせない為に、さあ、今から誰に会いに行く?
監督は、「ミリオンダラー・ベイビー」の脚本家ポール・ハギス。この作品が監督としての第1作だそうです。
と言っても、私は「ミリオンダラー・ベイビー」(クリント・イーストウッド監督作品)を未だ観てないですが…。
どうも、クリント・イーストウッドのバイオレンス的描写が苦手なんです。
最初にアカデミー作品賞を受賞した「許されざる者」(1992年)も、私には合わなかったですね。
…おっと、イーストウッドの話じゃなかった。
そんなわけで、私にとってはポール・ハギス作品の初鑑賞となるわけです。
この作品は、ストーリーについてあまり書く必要は無いかもしれません。
人種差別をきっかけとした幾つかの事柄を、それぞれ少しずつだけ関連付けて同時進行で見せています。
ですから、ただ一つのエピソードの起承転結を丹念に追っていくという作りではありません。
大雑把な言い方をしてしまえば、人の運命を左右する決定的場面の前後のみに焦点を当てて描き出している感じです。
決定的場面を、この映画では様々な〝クラッシュ〟という形で見せます。
車の衝突だけではなく、人種の衝突であったり、価値観の衝突であったり…。
…そんな訳で、全編を通して決定的場面に密接してるので、ストーリーをちょっと書いてもネタバレになってしまいそうなので、敢えて抽象的表現だけにして置きます。(つまり全編見せ場だらけということです)
決定的場面から希望が生まれるのか絶望の底に落ちるのか? それを運命付けるのは何なのでしょう?
〝神〟と答えるのは容易いです。
が、この映画はそうは答えません。
運命を決めるのは、〝人の繋がり〟だと言っています。(たぶん)
自分が想定しているよりも確かに、あるいは自分は気付きさえもしないのに、運命とは〝自分と繋がる誰か〟によって確実に齎されいるのだと。
とても良く構成された作品だと思います。
ポール・ハギス作品初鑑賞はとても満足なものでした。
ですが、監督第1作であるならば、構成のテクニックに頼らない、正攻法の起承転結を見せて欲しかったと思います。
まぁ、欲を言えばですが。
それより思うのは、我々観る側自身の事です。
あまりに良く出来た映画を観たので、その満足感に酔うだけで終わってしまわないだろうかと言う事です。
映画の中のセリフに、こういうのが有りました。
〝みんな本当は触れ合いたいのさ。ぶつかって何かを実感したいんだ〟
そう、観た事で終わるのではなく、実際に行動を起こして人と触れ合う事。
バーチャルではない手応えを得る事。
そしてその先にようやく、差別や銃から開放された世界が見えてくるのかも知れません。
それが出来てこそ、初めてこの映画の存在する意味があるのだと思います。
せっかくの傑作との出会いを〝絵に描いた餅〟で終わらせない為に、さあ、今から誰に会いに行く?
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シキシマ博士の言うとおり
監督初作品としての「らしさ」は無かったですけど
作品として実に完成度が高かったのではないかと
今さらながら感心しています
こんな作品に出会うと
もうどーしようもなく感動しちゃうんです
で、「映画好き」で良かったとも思えてくるんですよね
人と人との心のクラッシュ音が今日もそこかしこで
聞こえてきそうですね
この映画、もう一度観てみたいです。
言葉のちょっとしたアヤとかを見逃していそうで、もう一度じっくり味わいたい気分です。
>あまりに良く出来た映画を観たので
あ、、これは、ワタシも思いました。
第一作目は正攻法で、その後は様々な変化球で魅せた方が良いのでは無いかと・・・でも、これは取り越し苦労かも知れませんね。エヘヘ
人と人との繋がりや触れ合う温かさを改めて感じさせられた映画でした
でも、繋がりに気付けないからこそ、人は触れ合いを求めるんでしょう。
どうせ、繋がりに気付けず誤解するなら、疑いや偏見ではなく好意的に誤解したいものです。
こっちゃん、相当のお気に入りのようですね。
本当に、ベテラン監督から妬まれるんじゃないかと、余計な心配をしてしまうほど見事な監督初作品でした。
でも、酷い人種差別と銃の脅威の無い日本で観てるから感動できたけれど、おそらくアメリカ人にとっては重いテーマなんですよね。
そしてそれは、深刻な差別と銃のない日本人だからこそ、冷静な目で考えるべきテーマでもあるのだと思います。
日本人だと何気なく聞き流している事にも、敏感に反応させてしまう言葉があるのかも知れませんね。
もう1度観て、初めて気付くことが有りそうですね。
脚本家として確かな実績のあるポール・ハギスですから心配ないでしょうけど、次は正攻法で見せて欲しいです。
そうですか、イーストウッドの描き方はお好きではないですか。あの人、本物のハードボイルドですからね。私はそこが好きなんですけど・・おっと、本作ですが、アメリカって本当に大変な国だなぁ、と思います。もちろん日本人である私達の中にも自分勝手な先入観から来るクラッシュは、日々起こっているのでしょうが、やっぱりあちらは激しいですよね。言い表せないもどかしさを、すごくうまく描いていた秀作だと思いました。
\'せっかくの傑作との出会いを〝絵に描いた餅〟で終わらせない為に、さあ、今から誰に会いに行く?’この一文、素敵です!
いや~、最近のイーストウッドは、観てないくせに食わず嫌いになっていますね。反省!
「ミリオンダラー」は、機会あればやはり観てみようかと思っています。
おっしゃるとおり、この映画、日本人だからこそ冷静に作品としての出来に満足しながら観ることができましたが、アメリカ人にはもっと身近で重いテーマなんしょうね。
けっきょく、差別と銃という枠組みは揺るがない中での話でしたから。
酷い差別も銃も無い国に住む私たちと、アメリカ人とでは、おそらく違った感覚で観ているのでしょうね。