どんぴ帳

チョモランマな内容

はくりんちゅ169

2008-04-26 12:41:35 | 剥離人
 『安全』の為に、超高圧ホースを引き直すことにする。

「ちゃあ、木田さん、どうして最初に下のマンホールから入れなかったの!」
「がははは、木田君の読みの甘さが原因だな」
 ハルと小磯は好き勝手なことを言いながら、コンテナに掛けてあるモンキーレンチを二セット持ち出した。
「だって仕方がないでしょう。下のマンホールを使って剥離ガラの回収作業をやるって言うから、上のマンホールからホースを入れたんですよ。だって下のマンホールの方が、遥かに大勢の人間が出入するんですよ」
「確かにね」
「普通の考えなら、自分たちが使用するマンホールからホースを入れるでしょう」
「うーん、君の言っていることは正しい!」
 小磯もようやく納得する。
「で、そこのマンホールから入れなおせばイイの?」
「ええ、お願いします」

 超高圧ホースの引き直しは、意外と時間が掛かる。
 超高圧ホースのジョイントは六角柱形状のステンレスジョイントに、双方からホースを差し込んで行なう。この時、かなりのトルクで締め付けないと、超高圧水がウィープホール(ジョイント確認用の数ミリの穴)から噴出してしまうのだ。
 しかも9/16インチの超高圧ホースは、一本が30キロ以上あり、八層のワイヤーメッシュで補強されているので、狭い空間での取り回しは最悪だ。狭い足場の中でくちゃくちゃになるよりも、一度広い空間にホースを引き出す方が、作業効率は遥かに良かった。
「木田君、リデューサー(絞り)の所で切るからね」
「お願いします」
 小磯が9/16インチ超高圧ホースから、3/8インチ超高圧ホースに絞り込む金具の所で、ジョイントを外した。
「ハル、このまま下まで降ろすぞ」
「はいよー」
 ハルがマンホールの外からホースを引き抜き始めた。
「ノリ、引っ張っれ!」
 地上で佐野の指示に従い、ノリオと荒木がホースを引っ張り始める。
「はい、そのまま」
「小磯さん、早いよぉ」
「がははは、どんどん引けぇ!」
 また小磯とハルがじゃれている。
「がははは、それそれ!」
「小磯さん、ストップ、ストップ!」
 ハルが慌てて歩廊の手摺で超高圧ホースを抱え込む。
「小磯さん、そんな勢いで引っこ抜いたら、下に落ちちゃいますよ」
 私は肩に掛けたロープを降ろすと、ホースの胴体に巻き付け、しっかりと縛った。
「ハルさん、あとはこれで降ろして下さい」
「はいよ!」
 ロープに縛られた超高圧ホースを地上に降ろし、直ぐにもう一本のホースも下に降ろす。
「小磯さん、ハルさん、このまま中の足場に入って下さいね」

 今度は引き抜いたホースを下のマンホールから入れ、ロープにしっかりと縛る。
「じゃあ僕がその辺に上がりますね」
 私は足場をよじ登ると、ロープを握った。
「佐野さん、引きますよぉ!」
「うぉーい」
 今度は糞重いホースを、ロープを使って引き上げる。
「そりゃそりゃぁ!」
 意味不明な気合でガシガシと引き上げる。
「はぁはぁはぁ」
 だんだん呼吸が荒くなる。
「木田さん、もう少しだよ」
 すぐ上段の足場板の上にハルが居る。
「この9/16、こうやって引き上げると、めちゃめちゃ重いですよ」
「本当によ?」
 ハルが笑っている。
 ようやくホースの先端が手元に来た。
「ハルさん、お願いします」
「ほいよぉ」
 ハルはロープの束を受け取ると、足場をよじ登り始める。その間も超高圧ホースの重量が、私の両手に掛かっている。
「木田さん、引くよぉ!」
 ハルが三段上の足場からロープを引き始めた。私は引き続き、超高圧ホースを上に引き続ける。
「小磯さん、頼んだよぉ!」
 ハルから小磯にロープが手渡され、一本目の超高圧ホースが引き直された。それをもう一回繰り返して、さらにエアホースも引き直し、ホースジョイント部の漏れを確認し、剥離作業を再開できたのは、一時間後の事だった。

「はぁ、佐野さん、たったこれだけなのに、結構時間が掛かりますよね」
「そりゃ仕方ないよ、こんなもんだよ。一時間で完了すれば上出来だよ」
「そんなもんですか?」
 佐野は涼しい顔で笑いながら、作業用ハンドソープを手につけて泡立たせた。
「焦らなくても、事故さえ起こさなきゃ現場は終わるよ」
「もしかして僕は気負いすぎですか?」
「うん、少しだけね」
 佐野は供給水タンクに取り付けた水道の蛇口を捻ると、汚れを洗い流した。
「ま、これで後は剥離に専念できるでしょう」
 佐野がこの言葉を言い終わる前に、私の背後から甲高い声がした。
「木田さん、ご苦労さん!」
 振り返ると、TG工業の課長、尾藤が立っていた。
「あ、どうもお疲れ様です。こちらにお見えだったんですか?」
「ええ、昨晩遅くに入りましたんや。今まで打ち合わせをしてましてな」
「そうですか」
「で、どうでっか調子は?」
 尾藤は満面の笑みを浮かべている。
「ええ、ちょこちょこっとはありましたけど、今は順調です」
「そうでっか。ところでたった今、ここの安全担当さんから言われたことがあるんやけど」
「ホースの引き直しの件ですか?」
「いや、ちゃいます」
「・・・」

 私はげっそりとした顔で、佐野を見た。