松本典子のどこでもヨガ

きほん、ヨガの先生です。
おシゴト前の朝ヨガ、おでかけいらず出前ヨガします。
たまに、劇団プロデューサーです。

(再掲載)2012年2月22日に釈先生のイベントに行った時に書いたブログ

2012-09-23 21:35:04 | Weblog
釈徹宗さんが大好きです。
 ↓
ウキペディアより
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来歴・人物 [編集]

大阪府出身。大阪府立大学大学院人間文化研究科比較文化専攻博士課程修了。
その後、如来寺住職の傍ら、兵庫大学生涯福祉学部教授を経て、2010年現在、相愛大学人文学部教授
、NPO法人リライフ代表も務める。内田樹と親しく、共著を多く出している。


ちなみに、
ワタシは内田樹さんよりも先に釈徹宗さんを好きになっておりました!


ある日
お風呂にはいりつつ新聞を読んでいたら、
「教育、医療、介護などの分野に「消費する」という
「等価交換」のげんりはあわない。」
という記事をみつけて。

「きゃー!」
と(お風呂で)、
歓声をあげそうになったのがそのはじまりです。
(その後、新聞はふやふやに)

(そういえば、
○間女史はすべてを消費の理論で説明するから「ん?」ってなるんだわ!とやっと気づきましたわ~)


著書読みまくり、
つぶやきもフォローしまくりです。

そんな釈先生がお話をされると発見して聞きに行ってきました。

内容は、大阪の歴史のコト、
宗教のコトなんやらかんやらで、
いま、ワタシが関わっているシゴト全般にも関係していて、
「これは、シゴトにも役立つ!」とホクホク

そのなかでも面白かったのは、
高齢者が「消費」という概念で、「介護」をとらえるから、
「お金を溜め込む」という行為にいきやすい。
よいうコト。
あと、
「なんでも自分でする」
っていう心構えが「お世話しにくい」状態をまねいてしまうというコト。

「消費」という考えは、
「シェアする」「寄付する」になかなか結びつかず、
さらに
「消費」をとりもつ「貨幣」が「溜め込む」という「貯蔵機能」としてばかり活用され、
「交換手段」として機能しにくくなってしまってるんだな~。(←コレはワタシの推論)


「高齢者の「お世話しにくい体質」はかわるのですか?」
とたずねたところ、
「実は、ボクも「お世話しにくい体質」なんでそこは課題なんです。」
とのお答え。

自称「お世話されやすい体質」なワタシとしては、
「ヨガのおかげで「お世話されやすく」なりました。」
とよくわからないアピールをしてしまいました~。

ははははは~


でもさー、
「なんでも受け入れる」のがヨガの教え。
「なんでもうけいれるための柔らかいココロをつくるためのモノ」なんです。

ヨガはスポーツでは、ない!

釈先生もヨガしてくれへんかな~


前々から、
「宗教性はコミュニティーの維持にとても有力で、
それなしではコミュティーなんて維持できないのに
なんで、
「宗教性」ってタブー視されるんやろう?
とギモンだったのですが、
それは、
「宗教性」のもつ「排他性」からくるというコトもあるようです。。。

内に向かうコト=外を排斥するコト?

「排他性」でないケド「宗教的」
コレの両立もヨガじゃあないのんか~???


すべてをヨガで解決できるというほどお気楽ではないのですが、
「身体」をともなうものってなかなか狂信的になりにくいよな~

おっと!
オウムを忘れていた!

オウムってもともとヨガやん!


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