女性管制官がアメリカで医者になった場合ーアメリカンドリーム

アメリカでアメリカンドリームを達成するには?
マーティンもと子(旧姓多尾もと子)の場合は?

子育ての工夫 その1

2011-06-29 16:50:56 | Weblog
子供がたくさんいると、子育てにはひとひねりもふたひねりも工夫が必要になります。
夏休みが日本に比べて長いのもあって、私たちにも日頃見えないような問題が表面化してきます。

まずは19歳のお姉ちゃん。

大学のサマースクールもファーストセッションが今週で終わります。
今のところ化学もAが取れそうで、数学も。
海外の大学でもう大学卒の学位のある若者たちに囲まれて、その中で先日は一番の成績を取ってきました。
イラクの留学生はもう自国でバイオケミストリーの学位を持っているとか。
USAで、メディカルスクールにでも行くのかな?
サウジアラビアからの留学生はもうすでにバイオエンジニアの学位があるそうで、サウジアラビアで一番人気のエレクトロニクスエンジニアのディグリーを取りにUSAに上陸!
そうすれば卒業後はサウジアラビアで最高の職を得ることができるとか。
USAに留学できるなんて、きっとオイルの王様の息子じゃないの?仲良くしておきなさい、なんて私は冗談を言っておきました。

分からないところがあるときは、チューターリングセッションに出向いて大学に雇われてチューターをしてくれる学生に教えてもらってテストに臨んでいます。
それにしても一生懸命、お弁当を作った甲斐がありました。

次は17歳のお兄ちゃん。
自閉症なのですが、やはり高校のサマースクールに参加しています。
6週間コースがまだまだ続きます。
朝、7時にうちの前に到着するスクールバスに乗って喜んで出かけています。

次は13歳の次男。
この夏はバスケットの練習。
ピアノとバイオリンのレッスンも続けます。

そして三男。
同じくバスケとピアノ、そしてチェロのレッスンを続けます。

一番下のベービーは、おなじみの雪ちゃん。
彼女はこの夏YMCAのスイミングレッスンを週二で取っていますが、その他はこれと言って活動なし。

夏休みの問題は下の三人の子供たちの兄弟げんかが絶えないこと。
しょっちゅう、あの子が物を投げつけたとか、変なことを言ったとか、ほんとうにたいへん!

そこで、今朝は三人を目の前に座らせてパパとママはお説教?です・・・
バスケットにとても夢中な子供たちにとって、こんな工夫をしましたよ。

まずは、最近大きな話題になった双子の兄弟が大学バスケから、NBAのドラフトでそれぞれヒューストンとフィニックスのチームに行ったニュースから始めます。

http://www.kansascity.com/2011/06/23/2971425/the-morris-twins-always-close.html


この双子、実は小さい時からいっしょに育ちいっしょに同じ大学までバスケットをやり、NBAのドラフトで生まれて初めて別々のチームへ行くことになり、そのことで離れ離れになって寂しくなると涙を流したというふたり。
この感動的なお話を使わないわけにはいきませんねぇ。



さて、どのようにこのお話を使って子供たちの兄弟げんかの仲裁をしたか、

??? でしょう?

明日に続けます。

水の事故 その7 最終回

2011-06-28 16:54:35 | Weblog
意識のある人間に気管挿管するのには、こつがあります。
その場の状況に応じてうまくドラッグを使うことです。

それを、Rapid Sequence Intubation(RSI)と呼んでいましたが最近名称が変り、Drug-assisted Intubation(DAI)と言います。

ふつうの子供の気管挿管には、5歳以下ならアトロピンをまず使ってその後スクシニルコリンで、筋肉を完全に弛緩させて挿管を行いますが、この子の場合、カリウムのレベルが高い可能性が否定できない(カリウムが高いとスクシニルコリンが使えない)ので、マイケルジャクソンですっかりおなじみになったプロポフォールを使用することに。



挿管はうまくいきました。
が、まもなくこの子、激しい嘔吐が・・・

気管はもうすでにチューブが挿入されていて誤嚥から守られていますからよかったよかった。
ところが、まもなく患者がCPR時に誤嚥したかと思われる茶色い汚物がチューブの中に上がったきたではありませんか。
吸引しても吸引しても追いつかない・・・
そして100%近かったサチュレーションが、見る見る間に60%台に。
こうなったらしかたがありません。
チューブを新しいものに取り替えないと。

そしてこういう誤嚥があったのなら、抗生物質でたたいておきましょう。
クリンダマイシンでいいでしょう。



2回目の挿管も成功。

ところが、この子、無意識のうちにこのチューブを噛み始めました。

そこで、オーラルエアウェイの登場です!





ところが、うちのER、おとなばっかりであんまり小さいお子さんの外傷を取り扱わないので、ぴったりくるサイズのものが見つからなくて、結局は舌圧子を何枚かテープで止めてそれを上下の歯の間に差し込みましたよ。
そうすれば、チューブを噛めなくなりますからね。

ああ、これで一安心。
やっと搬送準備が整いました。
どうか、早く、一日も早くよくなってくださいね!!

水の事故、皆さん気をつけましょう。



戦いのあと、きれいにお掃除されたあとのTrauma room。
もう次の外傷患者の受け入れ準備が整っています。


嵐の前の静けさ?

2011-06-27 17:04:33 | Weblog
昨夜、仕事中にフィジシャンオーダーエントリーのCPOEのプログラムを私のiPad2から間違って消去してしまい、大あわて!
さっそく病院のITスペシャリストが助けてくれることになりました。
それで、今日は午後6時からの勤務なのですが、午後3時に病院で待ち合わせをし、プログラムを復活させてもらいました。
ほんと、コンピューターにたよるのはいいけど、データの消去、恐ろしいですね。
今後はこういうことにならないように気をつけます。

というわけで、2時間ほど仕事前に時間ができてしまい、ナーシングスタッフのラウンジで早弁。
今、美味しい緑茶をすすりながらこれを書いています。

先ほど、まだ働いていないのに看護師長がこの患者、診てくれないかとカルテを持ってきましたが、丁寧にお断りをしました。

月曜日というのはどの病院もとても忙しいです。
今もけっこう忙しそうですが、あと少し嵐の前の静けさ?を楽しみたいと思います。

ERにはあるジンクスがあります。

とってもERが静かな時に、

「ああ、暇だなあ~」

と誰かが言うと必ずものすごく忙しくなってコードブルーがボンボン入ったりする・・・

これ、ジンクスなんですよねぇ。

おとといも、夜中の12時前にとても静かになって、看護師をフレックス(スタッフを早く帰らせること)しはじめた直後、な、なんと7件もの交通事故等の傷害のケースがほぼ同時に入りました。

内臓が破裂していると思われ、すぐにORに搬送した若者。

歩道を歩いていて車にひっかけられたおばあさん、頭を強く打って脳内出血がひどい・・・

バーで飲んでいた若者、ナイフで刺されて心臓に近い部分を刺されて、これもORへ。

という具合です。

ナイフで刺された患者さんの胸、ほんとうに解剖の勉強さてもらいましたよ。
私も血まみれになってたいへんでした。

Wrong place , Wrong time

てやつですね。
これに懲りて、この若者もバーには行かなかくなればいいと思います。

Learn a good lesson!!

さあ、これからお仕事です。どんな出会いがあるかな?

水の事故 その6

2011-06-26 15:00:16 | Weblog
自分でまだ呼吸できてしかも目の前でおしゃべりのできる子供に気管挿管しようというのですから、まずは子供にも納得のいくような説明をする必要があります。

こういう時には、ベテランのママさん看護師さんが一番。
あれやこれやとなだめすかして、ご機嫌を取っている間に着々と挿管の準備を進めます。

まずは、道具の確認をします。



これは、挿管用のブレードで、この歯の部分が口の奥深くに挿入されます。
大き目のものを選びましょう。
何しろこの子、年のわりに体格がよすぎます。
短いブレードだと、奥まで届かず困りますが、長めのものだと調節がつきますからね。



ブレードはストレートとカーブのものがありますが私はこのようなカーブのものを選び、本体につなぎちゃんとランプがつくかどうか確認しました。



ところが、電池切れ。
先っちょのランプがつきません。
先っちょのランプが明るくないと、口の奥は暗いですから気管の入り口がよく見えませんから。
確かめてみてよかったです。

次は挿入するチューブを選びます。



これは、カフのついていないタイプのチューブ。
赤ちゃんなどの小さい子供に使います。
おおよその目安は上限8歳くらいでしょうか。



これはカフのついているタイプのもの。
チューブの先にご注目あれ。
空気を注射器で入れた状態でバルーンができているでしょう。

看護師長が、部屋に入ってきて、

「カフ付きのチューブで挿管してほしいと、大学病院が言っていますのでよろしく!」

それでは、患者さんの小指を目安にチューブの大きさを選びました。
小指の大きさと同じくらいの大きさのチューブを選ぶとちょうどいいです。
ふつう5歳なら5.0mm(チューブの直径)くらいかな。
でもこの体格の大きな子、結局は6.0mmを使うことにしましたよ。

さて、挿管用に使用するドラッグですが・・・

水の事故 その5

2011-06-25 01:06:25 | Weblog
「おかあさん、息子さん、助かってよかったですね。
ほんとうにほんとうによかった。
でも、呼吸を助けるために気管に管を通さなければいけない状態なんです。
どうか、私たちに任せてくださいね。」

このまま、放っておけば肺のダメージがさらに広がってARDS(急性呼吸促迫症候群)なんかになってしまうかもしれません。
ARDSというのは、重篤な急性呼吸不全のこと。

ARDSになると、レントゲンに写る肺は真っ白な状態になります。



受け入れ先の大学病院からは気管挿管の催促が・・・

言われんでもわかっとるわい!とふんばったわたくし。

必要なスタッフや、道具をまずは掻き集めました。
特に一番必要なスタッフは、呼吸療法士です。



挿管用の道具一式が入っています。



これはクラッシュカート。
コードブルーに対応するために必要な道具や、電気除細動のショックを与える機械がついています。
そして車がついているのでどこにでも移動させられます。


水の事故 その4

2011-06-24 00:57:11 | Weblog
目の前にいる5歳の男の子は、名前もしっかりいえるし、スタッフの問いかけにもしっかり答えられます。

ところが、呼吸は速く、そして荒いです。
一分間の呼吸数は45回を超えます。
そして、呼吸するたびに胸の筋肉を使って呼吸しているのがよくわかります。

聴診器をあてると、ラ音が肺のあちこちに聞こえます。

これはやばいわ。

水をかなり飲んだことでしょうし、水が肺に入った状態であることも確かです。

ふつう人間の身体はよくできていて、溺れた時に反射的に喉頭痙攣が起き、水が肺に入らないようになるそうで、水がこのように肺に入っているということは浸水していた時間がかなり長かったことととらえなければなりません。
こういう状態を、WET DROWNINGと呼んでいます。

うちでは、ダメ。これはレベル1の大学病院に一刻も早く搬送しないと。。。


私はすぐに胸部レントゲンを撮る指示を出し、CBCやエレクトライトや血液ガスもオーダーしました。

大学病院からはすぐに受け入れOKの了解が出た模様。

血液ガスはやはり思ったように7.1(7.4が正常)でかなりアシドーシス(酸性)ですし、胸部レントゲンも異常を示していました。



心配そうにベッドサイドで我が子をながめるおかあさん。

私は、

「おかあさん、ちょっとこちらへ来ていただけますか。」

おかあさんを連れて私は少しはなれた個室へ向かいました。

水の事故 その3

2011-06-22 23:48:17 | Weblog
運び込まれてきた子供は、5歳の男の子。
酸素マスクもつけておらず、自力で呼吸していました。

プールで溺れたケースはNear drowningという診断名の元、Trauma=傷害のケースとして処理されます。
実際に外傷があるわけではないのでちょっととまどいますが。

Traumaのベッドに移されたこの男の子。
5歳の男の子の平均よりは大きく見えます。
Trauma用のベッドは、スケールがついていて患者をベッドにのせたまま体重を測ることができます。ちょっと肥満気味のこの男の子、25キロもあります。

「お母さん、この水着切らせてもらいますね。」

病院はクーラーががんがんきいていますから水から上がったばかりのこの子にはとてもきついです。
さっそく暖かいブランケットが提供され、濡れた水着もはがされ自力で呼吸はしていますが酸素マスクもつけられます。

この子、CPRの最中にどうやらうんちをしたみたい。
海水パンツの中には大きな健康そうなうんちが・・・

「点滴は、暖かいのを使ってね。」

Traumaを扱うERには常に暖かいブランケットや点滴が用意されています。まずは身体を温めましょう。

次々と指示を出す傍ら、ベッドサイドにいた母上から詳細を聞く私。

両親がちょっと目を離した隙に子供の姿は視界から消えていたそうで、父親がプールの底に子供を発見したのが、いったい何分後だったのかわからない・・・
父親がこの子を引き上げた時には、この子は真っ青で、呼吸も止まっていました。
たまたま現場に居合わせた看護師が、CPRを開始。
数分後にげろげろと吐いたかと思うと同時に息を吹き返したというお話でした。

さて・・・  

水の事故 その2

2011-06-21 15:50:48 | Weblog
その写真は、かわいい男の子の写真でした。
年のころもそのホスピスの患者さんと同じくらいで、よく見ると少し似ていました。

「これ、私の息子の写真なんですよ。
今は天国に・・・」

先生の声がつまりました。

あるプールパーティーに呼ばれて家族全員で参加中に大人が話に夢中になったすきに
息子さんが見当たらないのに気がつかず、見つかった時にはもう溺死状態だったそうです。
ほんと、悲しいお話でした。

また、こんな経験もあります。
もうかれこれ7、8年前になるでしょうか。
学校からある競技用プールへ遠足で出かけた小学校のグループがありました。
みんな充分泳いで、さあ、帰ろうということになった時
頭数を数えていた先生の顔が青白くなりました。
ひとり、ええ一人足りない・・・

みんなで手分けしてその男の子を捜しましたが、結局彼は大きな競技用プールの死角に、そうなんです、プールの底に沈んでいました。
うちのERに運ばれてきた時にはもう時遅し。
死後かなりたっているような状態で、救うことはできなかったのでした。

さて、サイレンは鳴らしていませんでしたが、赤いランプを点滅させながらやってきたレスキュー119の到着です。

私たちは救急車専用のエントランスでスタンバイです。
うちのプールで溺れたこの子、だいじょうぶでしょうか。

水の事故 その1

2011-06-20 15:41:24 | Weblog
ER、こちらはレスキュー119。
5歳の男の子が、自宅のプールで溺れ、バイスタンダー(bystander)
によるCPRの末、息を吹き返しました。
現在 Awake,Alert and Oriented times three(意識清明)。
ETA(到着予定時刻)は、5分です。
How do you copy?

緊急の無線が入ります。

ちょうど、手の空いていた私。
救急車の入り口でこの患者をお迎えすることに。

でも、これって、レベル1だよねぇ。
どうして、うちのERへ運んでくるんだろうか。


そう考えたのは、たぶん私だけ。
救急車に乗っているパラメディックにとって、目の前にいる患者はたとえ、溺れてCPRを施された後にも拘らず、元気にみえるからでしょう。
でも、私は水の事故の恐さをよく知っています。

子供さんのこういう重大な事故は、ふつううちの病院に小児のICUがないので、うちのERを素通りして近くの大学病院に運ばれることが多いのです。
もちろん大学病院までもたないようなケースはうちに来ますが。

まだ到着する前で私は詳細を知らないので、過去に遭遇した数々の水の事故のケースが走馬灯のようにかけ巡りました。

もうかれこれ、10数年前のことです。

私は小児ガンの専門家について小児ガン病棟を走り回っていました。
その先生はほんとうに尊敬に値するすばらしい人物でもあり、エルパソの子供たちのために日夜奮闘しておられる医師です。私が一番尊敬する医師であると言っても過言ではありません。

当時研修医だった私は朝早くに小児ガン病棟に行き、先生の受け持ちの患者さんをくまなく回り診察、そして研修医ノートを一人一人書きました。
一夜あけて、新しくオーダーされた血液検査も多々あり、その結果もフォローします。
あ、この子発熱している・・・化学療法中の小児がん患者は、体の抵抗力が弱まっていますから感染症を引き起こしやすく放っておくとたいへんなことになります。
また、抵抗力の弱まっているガン患者にふつうの子供には見られないような水疱瘡なんていうケースも。

そして、先生が現れて延々と、ラウンド(回診)。
午前中いっぱいどころか、午後遅くまで病棟で奮闘したあと、病院の地下に設けられている彼のクリニックへ。
わずか30分あまりのランチの間も、先生の携帯はなり続けていました。

クリニックにはたくさんのフォローアップの患者さんや、新患も。
ふつう、ガンの専門医は、血液の専門医でもあるので、いろいろなケースがあり、たいへん勉強になりました。

ある日のこと、脳腫瘍の3歳の男の子を連れてクリニックへやって来たあるお母さんと、この先生はいろいろな世間話をしておられました。
この子のガンは、その当時の医療技術では不治の病で、腫瘍がある位置も悪く手術もできない、というようなことで自宅でホスピスケアをしていると言うようなお話でとても悲しいケースでした。

先生は、その世間話の間にふと涙を流し、胸のポケットから一枚の写真を出されたのです。

それは。。。


父の日おめでとう!!

2011-06-19 14:18:27 | Weblog
父の日は、母の日の陰に隠れがちで、どうも忘れられてしまうことが多いですよね。
町のデパートなどに行くと、ああ、そういえばなんてもんで強制的に思い出させられる感もあります。

私の父はもう亡くなりましたが、満州生まれの大陸育ちでした。
満州の大連で生まれ、旅順で育ったそうで、満州での思い出話はいろいろ聞かされたものです。
父の祖父が中国皇帝の公認通訳として活躍していたそうで、また父の父は、旅順工科大学を卒業後、満州鉄道の電気課で、鉄道の信号の開発に当たって活躍した人だったとか。

日本がずいぶん羽振りがよかった当時のお話で、満州では贅沢三昧の生活をしていたようですが、敗戦に伴い何もかも失って命からがら引き上げ船で日本へ帰ってきた話はずいぶん印象に残っています。

一度は父の生まれ育った町を父の遺影を持って歩いてみたい、そう思っています。

父はずいぶん堅物な人でしたが、いなくなってみると父のよさがはじめてよくわかるようなそんな感じですね。

父はねじりはちまきをして、毎日毎日勉強するような超まじめ人間でした。
大阪大学の経済学部卒です。
最期はあっけなく、家路を急いでいて、大通りの横断歩道のないところを横切って車にひかれました。
若いママと赤ちゃんの乗った車だったそうです。

皆様のお父様は、あなたにとってどんな方なのでしょうか。

うちは、こんなしゃれた贈り物が子供たちからダディーに届きましたよ。



中身はなんでしょうか。



カードと、



なんじゃこれ???

これは、ROCK=岩ですよね。
実は、こんなことがその岩の上に書かれてあります。

DAD ROCKS


ROCKという単語なんですが、スラングで一番とか、ベストなどという意味で使います。

うちのパパはチャンピョン!!かな。