女性管制官がアメリカで医者になった場合ーアメリカンドリーム

アメリカでアメリカンドリームを達成するには?
マーティンもと子(旧姓多尾もと子)の場合は?

雨に弱いエルパソ

2009-06-29 19:34:28 | Weblog
日本は梅雨なんですってね。

こちらでも、久々に、待望の雨が降りました。
私がERに到着した時は、実にかんかんでりの 相変わらずの天気でしたけれども
雨が降り出したのはそのあとのことだったのでしょう。

雨が降っていると知ったのは、患者さんから。

「今日は、どうされました?」
「実は、床がぬれていてすってんころりん!背中を打って痛くて痛くて・・・」

次の患者さんは、
「実は、歩道を歩いていて、道が濡れているのでころんで足首をやられました」

そして、
「雨のせいで階段を踏み外して、ひざを強く打って歩けない・・・」

という具合。

転んで怪我をした患者さんが立て込むのは、エルパソの人は雨に慣れていない証拠なんです。

きわめつけは、雨の中の夜中の交通事故。5人家族が全員運ばれてきましたよ。
時速40マイル同士のT字型衝突。幸いなことに全員かすり傷ですんだようで、奇跡的でしたけれども、雨が降ると、エルパソのあちこちで事故がおき、そして交通が麻痺することさえあります。

砂漠の町に雨は似合わないのでしょうか。

日本の皆様、無事に梅雨を乗り切ってくださいね。

そうそう、今日の患者さんの中で、3週間前、お父さんが新型インフルエンザで亡くなったという9歳の男の子に出会いました。
とてもお気の毒でした。ご冥福をお祈りします。


バスケットボールのお話 Part2

2009-06-26 07:03:12 | Weblog
先日、息子のバスケットボールの試合のため、エルパソの東の方にある公立の高校まで、行ってきました。
私は西の端に住んでいるので、東の方へ行くのには高速を1時間ほど飛ばさなければいけません。エルパソの町は意外に大きいんですよ。
人口だって、60万人近くですから、日本のたいがいの主要都市よりは多いんです。

一日がかりの遠征となったため、うちのお手伝いさんが午前中行ってくれ、私は夜勤を終えて仮眠してからお昼ごろ出かけました。
試合は午前中午後をまじえると、勝てば勝つほど上位に繰り込めるというトーナメント形式でした。

おかげさまで、午前中の試合は見事に勝ちましたので、午後の部に駒を進めました。バスケきちがいのママにとってこんなにうれしいことはありません。

午前中、バスケの試合のことが気になって、うとうとしかできなかった私はボーっと眠気眼をこすりながら、ベンチにすわって、他のチームの試合を見ながら、息子の出番を待っていました。

すると、なんと私の左横にとてもハンサムな若い男の人がすわり、それも体をぴったりとくっつけてという状態。
耳元で何かささやかれたのですが、私、左耳の聴力が悪くて、よく聞き取れない。

驚いて、体を離して振り向くと、そこにはハンサムな王子様(?)がにっこり微笑んでいる。

「ぼくのこと、覚えてる?」

え~、何この人。ストーカー??それにしてもこんな若いいい男、エルパソにいたっけ??と、一瞬いろいろ思いをめぐらせましたが、さっぱり思い出せない。

 「いいえ、あなた、いったい誰?」

「ぼく、ぼくのこと覚えていないの。ほら、2ヶ月前、ぼくのこと、
 めんどうみてくれたじゃない。」

私が、この王子様を、お世話した???さっぱり思い出せない。

「ほら、僕、喘息の発作起こして死にそうになっていたところ、助けていただいて、
ほんとうにありがとうございました。見て、おかげさまでぴんぴんしていますよ。」

ああ、そういうことね。月に500人以上の患者さんとのコンタクトがあるから、
よっぽどのことがないと思い出せないというのが正直なところ。

その人、実は息子の次の試合の、相手チームのコーチでした。残念ながら負けてしまいましたが・・・くやし~い!!!

この間の試合でもそのチームに負かされてしまってほんと、困ったもんです。

というわけでいろいろな人との出会い、とても楽しいですよ。

先日、買い物先で、いつもバッガー(買い物したものを、プラスティックのバッグに詰めて、車まで運んでくれる人。お客からもらうチップで生活している)として働いている、あるおじいちゃんとあいさつして、ほっとして帰ってきました。

もう7年前になるけど、指をひどく怪我して、ERにやってきて、お世話をしてあげたもう80歳近いメキシカンのおじいちゃん。
指の骨が、折れていて、かなり深い切り傷を負っていました。
そういう骨折を伴うきり傷は、皮膚や骨の感染症を起こしやすいので重傷とみなされます。
ひどい時には、入院も必要。

このおじいちゃん、縫合して、ちゃんと治療してあげたあと、
「明日、お仕事していい?」
と聞いてきました。
「だめよ!安静にしてなきゃ。」
と言ったのを覚えています。

このおじいちゃん、あれからまだほとんど毎日働いています。
時々、立ち話するけど、ちょっと腰が曲がり気味で、最近少しびっこひいている位でとてもお元気です。
先日、過去に治療済みの前立腺の癌が、再発したと言っていましたが。
でも、まだ毎日明るく働いています。

私にはいつも、「助けてくれて、どうもありがとう。」と言ってくれます。
私だって、こう言いたい。「いえいえ、いつも元気と勇気をありがとう。」と。
ほんと、頭下がりますよ。働くのが生きがいなのよね。

バスケットボールのお話 Part1

2009-06-23 14:17:51 | Weblog


私は、バスケットボールが大好きで、息子の試合には、暇があればついていきます。
息子にバスケットをやってもらえると助かるのは、エルパソの炎天下、応援をしなくてもいいということもあります。体育館ではちゃんと冷房が効いていますからね。アメリカンフットボールやベースボールだったら、応援行かないよ。

今夜もシティーリーグの試合がありましたが、応援の甲斐なくちょっとの差で負けてしまいました。くやし~い!

過去に、親が子供の試合の勝ち負けでもめて、殺人が起きたことがあり、バスケットに限らず、年に1回エルパソ市の、スポーツリクリエーション課で、親のための教室を開いています。どんなことがあっても、子供の試合を通じて変に興奮しないことを教える親のエチケットのクラスです。担当の人の講義を少し聞いて、ビデオをみんなで見て、そのクラスのあと、証明書をもらいます。そうしないと、子供は、試合に出られない。なんかアメリカらしいと言うか、すごいでしょう。

先日、31アイスクリーム(こちらでは、Baskin-Robbinsと言う名前です)のお店で、子供たちとアイスクリームを買おうと並んでいたら、なんと、すぐ横にそれはそれは超背の高い人が、私たちを見下ろしているではありませんか。

息子の健君が、

「Greg Foster! 元 Uta Jazzのプロバスケットボール
 選手のGreg Fosterだ!!」

私は、

「え~、ほんとう? 握手、握手してもらいなさいよ!」

私のミーハーぶりは、未だに誰にも負けません。

そこで、私たちはこれはチャンスとばかりに、握手をしてもらって、少しお話をしました。健君が、弟子入りできるといいなと、とっさに思いつき、

「うちの息子、バスケ、うまいんですけど、どこかで教えたりしてます?」
と聞きました。

ところが、Mr.Fosterは、バスケからは完全に足を洗ったそうで、
今はなんと不動産屋をやっているとか。

なるほどね。有名人だから、不動産屋、もうかるかもね。

その帰り道、高速を通ったら、エルパソにそびえるかの有名な禿山、フランクリン山の中腹にそびえたつとても背の高い、まるで、中国の宮殿のような青いおうちが目に入りました。


Greg Foster、あれだけ背が高かったら、ちょっとやそっとのふつうのおうちには住めませんよね。なぜか私は、その青い宮殿が、彼のものに違いないと確信したのでした。

その日の夜、私は、ミーハーの私は、ERで、Greg Fosterに出会ったことを、みんなに自慢げに話していました。そして、彼があの青い宮殿に住んでいるんじゃないかなんて話も・・・

そうしたら、トランスポーターの仕事をしている若い男の子がこう言いました。

「Dr.Martin、知らなかったんですか?
 あの青いうち、実は1950年代に中で血みどろの殺人事件があって、老婆が
 中で殺されて以来、のろわれた館なんですよ。」

え~!知らなかった。あの憧れの宮殿が・・・

そういえば、こんなこともありました。

おうちを購入しようと、不動産を見て回っていたころのお話。
エルパソの西の方に、破格のお値段で、とてもいい物件があるから、と言われて・・・
お値段は確かに超バーゲンで、物件も新しい。


それで、それで、と話をもっと聞いたら、
なんと、ボーダーパトロール(国境警察)にお勤めのだんなさんが、男女関係のもつれから、奥さんを殺し、自分も自殺して血まみれのドラマが展開されたおうちでした。

  安いはずですよね。



運命のいたずら その6 エピローグ

2009-06-21 17:30:58 | Weblog

うちのERには、いろいろな職種の人が働いていますが、実際の患者さんのケアにはあたらないけれど、患者さんの保険の有無や、医療費の請求に必要な事項をケアするレジストレーションという職種があります。

5月の新型インフルエンザ騒ぎで、ERがパニック状態だった頃、大人の患者の9割以上が、保険に入っていないなどという話をレジストレーションの人から聞いて、驚いたことがあります。こちらの保険事情はかなり悪いですからね。

そのレジストレーションの係りの中で、ひとり、50代の女性で、きわだって上品な笑顔で、とても姿勢よく素敵な黒のハイヒールでかつかつと小気味よい音をさせながら歩く人がいます。


ある時、ひょんなことから、彼女が最近再婚したと言う話を耳にし、「おめでとう」と言ってあげたときに、彼女がおのろけ話のついでにこんな話をしてくれました。


1982年のこと。ただただ、暴力を振るう夫から逃げたくて、私は、子供を連れて、アトランタのうちを出たんです。

昔から、飛行機が好きなわけでも、空が好きなわけでもなかったんですが、
仕事を見つける必要に迫られて、たまたま募集していたキャビンアテンダントに応募しました。


デルタ航空から採用通知が来たのは、おばを頼って行ったニューヨークに落ち着いて、まもなくのことでした。おばに、小さな子供を預けて、私はアメリカの空を飛びました。

時給14ドル、最低月に70時間は保障されていたとはいえ、ユニフォーム代、食事代、などなど仕事に必要なものをいろいろ引かれると、ほとんど手元には残らない状態でのスタートでした。

それでも、がんばって、18年後の2000年には、時給も27ドルに上がり、子どもも、すっかり私の手から離れていました。

2000年9月9日

同僚のキャシーが、スケジュールを交換してくれないかと言って来たんです。彼女は、ERJ-145のような、50席しかないような小型ジェットに乗るのが、大嫌いでした。その一方、私は、小型機のほうが、サービスの仕事が少ないので、かえって好んでいました。それで私は、「かまわないわよ」と返事をしたのです。その時の美しい青い目をした小柄なキャシーの笑顔は、なぜかとても印象的でした。

9月11日、運命の日

デッドヘッド(仕事の目的地に行くために乗客として搭乗すること。デルタでなくてもどの航空会社でも利用できる)でサンフランシスコに向かうはずのキャシーは、ユナイテッド 93便の37人の乗客のひとりでした。彼女は、なんとあの911の犠牲者となったのです。
実は私がその飛行機に乗るはずだったのに。私はその日、キャシーが乗るはずだった便に乗って、やはり同じニューアーク空港を発っていました。

スケジュールチェンジをうっかり言い忘れていたので、私の母は、てっきり私が死んだと思い込み、半狂乱になりました。

その後、間違いだということがわかったのにも拘らず、私の母は、精神科を行ったり来たりするようになり、翌年の1月に私は、その母のために18年勤めたデルタを退職しました。



FOLKORICO メキシコのフォークダンスー夏のエルパソへのご招待

2009-06-15 05:49:51 | Weblog
今日は、FOLKORICO、メキシコのフォークダンスをご紹介します。

モデルは、娘の雪ちゃん、6歳。
FOLKORICOを習い出して、1年が経ちました。

これは、本番のリハーサルのあとに撮ったものです。
クリックすれば、写真は大きくなりますよ。

美しいメキシコの色を取り入れたフォークダンスの衣装に注目!!
足には、見えませんがタップダンスのような音のでる特別な革靴を履いています。

将来は、VIVA EL PASOという、毎年、夏場だけエルパソの北西にある山に設置された大掛かりな野外ステージで 踊るすばらしいダンスチームの一員にでもなってくれれば、なんてひそかに親ばかをしております。

私の夢は、雪ちゃんの踊る、フラメンコを見ること。
フラメンコ、わたし大好きなんです。



うちの玄関で。









本番前、応接間で。









本番のリサイタルのあと、先生のバービーさんといっしょに。
エルパソのEL PASO CENTER STAGEというところで、6月7日にリサイタルがありました。
すばらしかったですよ。

以下は、あの有名なVIVA EL PASOのリンクです。
夏にみえたら、これは絶対見逃せませんよ。
大掛かりな野外ステージ一杯に繰り広げられるエルパソの歴史を、踊りまくるすばらしいイベントです。

夏のエルパソ、皆様ぜひいらしてくださいね!!

VIVA EL PASO

運命のいたずら その6 本題 まだ続くよ

2009-06-14 05:17:53 | Weblog
VERIZONの、特約店のマネージャーは、

「あんなに女の子にもてたトムのこと、内心うらやましかったんですよ。」

と言いました。

「トムにはね、ちょっとしたすごいことが起きて、彼、もうERにはいないのよ。」

「へ~、そうなんだ。きっと女の子がらみでしょうね。言われなくても想像できる。」

「ねえ、ところで なんでレントゲン技師辞めちゃったの? もっと勉強すれば、CT技師になれるし、最終的にはMRI技師にだってなれる可能性もあるし。
医療関係は食いっぱぐれないでしょう。」

「まあ、それはそうなんですけどね。実は考えるところあって、というかERは、僕には向かないと思ったのと、なんか他の世界を覗いてみたくなってね。実はそのあと4年間ほどサウスウェストエアラインのキャビンアテンダント、やってたんですよ。」

「キャビンアテンダント?!まあずいぶんおもしろいわね。」


私の思いは、スチュワーデスにあこがれたそのむかしむかしに飛びました。

高校の2年生の時、私の父は盲腸をこじらせて、3回にわたる開腹手術を受け、約一年にわたり、入退院を繰り返しました。ちょうどその時、一緒に暮らしていた父方の祖父が、胃がんにかかり、やはり同じような時期に開腹手術を受けました。

今は癌の告知を日本でもするようですが、その当時は祖父には、ひどい胃潰瘍というふうに、最後まで隠し通したのを記憶にしています。それで、一時期は、親戚の病院の特別室に二人並んで、入院という有様。

その一年間の父の闘病生活は、かなりたいへんなもので、その後、父は職場には戻ったものの、仕事に浮いてしまってそのまま辞めてしまいました。

大黒柱が急に傾いたその当時、私なりに考えて、これは高校卒業後、家計を助けるために就職した方がいいのでは、と思ったのがスチュワーデスになろうと思った最初でした。

そして二度目は、大学時代の初恋の人が、パイロットだったのでふたりで大空への夢を膨らませていた頃、航空関係に就職しようと思っていたときです。ANAには、受かったのですが、管制官への道を選びましたので、未だに経験できなかった憧れの世界に少しは未練があるというのが正直なところでしょうか。


こちらでは、2000年の初めごろ、メサ航空が、70歳の女性をキャビンアテンダントとして採用して、話題になりました。
年齢を気にしないアメリカらしいと思いませんか?


ちなみに英語では、キャビンアテンダントのこと、Flight Attendant といいます。キャビンアテンダントとはいいませんね。

今も、私の知り合いの人で、50歳をとっくに超えていますが、某航空会社に仮採用が決まり、現在訓練待ちで、訓練を無事に終了すれば正式に全米を飛びまわれると、とてもはりきっている女性がいます。と言うことは、私もパートタイムで、キャビンアテンダント、しようかな、なんちゃって。

この話、まだ続くよ!

新型インフルエンザ エルパソ最新情報 Part10

2009-06-12 19:23:04 | Weblog
いよいよ、パンデミックが宣言されましたね。

WHOが、6月11日、フェーズ5から、フェーズ6に、引き上げました。

もはや70国以上の国に、新型インフルエンザは広がっています。けれども、このウイルスが、さらに強くなって、より警戒が必要であるという意味ではありません。

6月10日現在、エルパソでは、179人の新型インフルエンザの患者が確認され、72人以上の患者が、確認待ちだということです。

犠牲者も3人に増え、まだまだ予断を許せないというところでしょうか。

今、ERから帰ってきたばかりなのですが、最後の患者のレントゲン待ちをしている間に、何気なく、今週のインフルエンザA 陽性患者のPCR結果の入っているボックスを覗いてみました。
5月に比べて、インフルエンザA 陽性の患者数こそ少なくなったように思いますけれども、今週、私の担当した患者で陽性だった患者は、なんと100%近くが、新型インフルエンザと確認されていて、驚きました。


みなさん、このパンデミック宣言、厳正に受け止めましょう。
まだまだ、予防に心がけましょう、という注意の喚起と、受け止めてはいかがなものでしょうか。

運命のいたずら その6 本題 つづきのつづき

2009-06-11 20:21:36 | Weblog
CT技師のトムが去ったあと、私は、すーっとその場で倒れてしまいそうな、
そんな感覚に襲われました。

「先生、どんしたんです。顔色が悪いですよ。」

ナースに促されて、はっと現実に戻った私は、

(いったいこのCTは、誰のものなんだろう。悪い夢でも見ているのだろうか。)

と独り言を言いながら、同じ時間帯に働いているパートナーの医師 Dr.Kに、

こうたずねました。

「Dr.K、80歳くらいの患者の脳のCT撮りませんでした?」

Dr.Kは、こう答えました。

 「うん、撮ったけど、それがなにか?」

悪い予感がしました。

 「その患者、どこです?」と私。

 「彼なら、たった今帰ったよ。CTが、ネガティブだったからね。」

私は、こう叫びました。

「Dr.K、その患者連れ戻さないと。今すぐに。硬膜下血腫を
 起こしているかもしれないの。」

しばらくして、CT技師のトムが、CTの入った袋を抱えて、戻ってきました。
そして、にこにこしながら、いつもの魅力的な声で、

「先生、よく見て。何かの間違いでしょう。」

CTを一枚抜き取り、明かりに透かしてみると、なんとジョナサン スミスの
CTの画像が、くっきりと映し出され、今度は7歳の子供らしいぴちぴちした脳の、それもどこにも出血が見られない正常な画像がです。

このカリスマ的な、DJのようにお調子よく話すCT技師のトムは、自分の致命的なミスに気が付いて、CTの名前を元通りに直してもって帰ってきたわけです。

幸い、80歳の患者は、お迎えの車に乗り込むところを、連れ戻し、事なきを得ました。


トムは、致命的なミスを犯したあと、こっそりミスをつくろって、あくる日くびにされる前に辞表を提出して、二度とERには戻ってきませんでした。

運命のいたずら その6 本題 つづき

2009-06-10 15:10:49 | Weblog
明かりに透かされてくっきり映っているCTの画像を見て、

「これは、いったいどうしたの?!」

と叫んだ私でした。

「Dr.S、ごめんなさい。どうやら、何か大変なことが起きているみたいなので、
 コールバックさせてください。」

私はそそくさと電話を切ると、CTの画像により顔を近づけて、食い入るように見つめました。確かに、ジョナサン スミスと書いてある。で、生年月日はえーっと

 3/21/1920???

1920年の3月21日生まれ? この子7歳よ~

目の前に広がっているCTの脳は、アトロフィー(脳萎縮)のすすんだ老人の脳の画像です。確かに硬膜下出血が、前頭葉のあたりに広範囲に広がっている。
これは、私の患者のものとは違う!!

私は、ナースに向かって、

「トム、CT技師のトムを早く呼んでちょうだい。」

まもなくCT技師のトムが、いつものように明るくニコニコと現れました。

事情を察したトムは、

「わかりました。さっそく調査してきますから。」

と、CTの画像を、袋に入れなおして、CTの部屋へと消えていきました。

新型インフルエンザ エルパソ最新情報 Part9

2009-06-08 06:27:29 | Weblog
なんと、なんと、新型インフルエンザ、第二のパンデミックだそうです。

現在使用されているインフルエンザのスクリーニングテストの有病誤診率は、
30-40%にものぼるそうです。つまり、スクリーニングテストで、陰性と出た10人の患者のうち、実際には、4人の患者が陽性だということです。

スクリーニングキットには、2本の綿棒が入っています。
そのうちの一本は、病院のラボで、ただちに検査されますが、もう一本は、PCRテストという詳しいもっと正確なテストに回されます。

そのPCRのテスト結果は、その検体を、公衆衛生局に送らなければならないため、入院患者の場合は、48時間以内に結果がわかりますが、ERの患者さんの場合はどうしても5-6日かかってしまうという厄介なことになっているわけです。

そのため、スクリーニングテストが、陰性と出た段階で、安心して、タミフルを処方しないと、インフルエンザは、知らないうちにあっという間にひろがっているというこですね。そこで、おとといディレクターからおふれが出ました。

ERに来られた患者で、高熱、全身の痛みなどのインフルエンザもどきの患者さんで、特に具合の悪そうな患者さんには、スクリーニングテストの結果がたとえ陰性でも、タミフルを処方しましょう、というおふれです。

その日、私はこんな患者さんを診ました。
20代のとても若い女性なのですが、5月の末まで、10日間も新型インフルエンザのため入院治療を受けておられた方が、残念ながら、呼吸が苦しいとERに戻ってこられたケースです。退院後数日しか経っていません。

サチュレーションが低くて、低酸素でしたので、さっそく酸素を吸入してあげて、E-Pneumonia(肺炎を疑う患者のためのプロトコール)を、オーダーして、レントゲンをとると、大きな肺炎を起こしていました。ネブライザーの治療を施し、点滴をしてあげて、抗生物質を投与。この間すべてが到着から4時間以内になされることになっています。

インフルエンザが、こじれて、ひどい肺炎を起こしたケースで、彼女また、新型インフルエンザ病棟に舞い戻っていきました。
早く良くなられることを、心からお祈り申し上げます。

ところで、みなさん、インフルエンザ、まだ蔓延していますよ。
どうか、インフルエンザの症状が出たら、どうか、早めにプロフェッショナルにかかってくださいね!

ところで、今日は、スペイン語のレッスンをサービスでつけておきます。

メロドラマのこと、英語では Soap Opera といいますが、
スペイン語では、Novela といいます。

CDCでは、新型インフルエンザのことを正式に
Novel H1N1と呼んでいますがご存知ですか。Novelというのは、新しいという意味です。

それでは、私の新しい新型インフルエンザ、スペイン語版。

   Novela H1N1Novela H1N1
 
失礼しました。