女性管制官がアメリカで医者になった場合ーアメリカンドリーム

アメリカでアメリカンドリームを達成するには?
マーティンもと子(旧姓多尾もと子)の場合は?

人との出会い その3

2010-11-30 14:58:59 | Weblog
この入院期間中、ほんとうにほんとうに体力がなくていったいどこに入院しているのかさえよくわかっていないくらいで、とにかく頭がぜんぜん働いていませんでした・・・

それで、なんと、この病院のスタッフに10年来の友人がいたことを思い出したのは 信じられないお話なんですけど退院の当日だったんですね。

今からちょうど10年前のことです。

業者の招待で毎週ランチをごちそうになりながら 患者さんの点滴栄養剤の調整をする名目で 私はある胃腸科の医師と町の日本のレストランでおいしい鉄板焼きを楽しんでいました。

するとそのテーブル付きのウエイトレスが、突然私に

「もしかして、もと子さんですか?」

私は、突然日本語でそう聞かれてびっくりぎょうてん!
なぜ私の素性がわかってしまったんでしょうか。

彼女いわく日本人の女医がこの町にいることはうわさで知っていたそうで、すぐピンときたとか・・・悪いことはできませんねぇ。

それ以来私たちがお友達になったことは言うまでもありませんでした。



彼女はその少しあと、人生の大きな転機にあい、幼いお子さんを抱えてシングルマザーに・・・

ウェイトレスの仕事は10ヵ月後にきっぱりやめました。
10年後の自分を考えた時に自分がウェイトレスを続けている姿を想像することができなかったそうです。

彼女は一大決心をして大学の看護学部に入りました。
シングルマザーだったので、政府から授業料を出してもらい、保育園もすべて無料。
こういう援助は、アメリカならではですね。
がんばる人に援助をするアメリカに万歳!

そして今ではばりばりの卒後4年のBSN(大学卒のRN)です!

ほんとうにがんばりましたよね!!

さて、退院当日オフだった彼女に電話したところ、なんと20分以内にうちから飛んで来てくれた彼女。

退院のお祝いをお見送りという形で病院の玄関でしてくれました。
持つべきものはほんと、大切な友人ですね!!

うちの息子と彼女のお子さんとは小中と、同級生でもあり、ほんとうに特別なご縁のある感じがしています。
今では素敵な方と再婚されて、ますますきれいになって、うちも新築で、言うことなし!! でしょう?

彼女、お仕事はひと月のうちに14日間の12時間シフトをするだけ。
アメリカでは看護師の補助をしてくれる人たちがたくさんいて、例えばテックといわれる人、CNAという看護アシスタントなどなど・・・サポートがたくさん得られていいですね。

日本ではほんと、看護師さんは大変だと思います。
やめられる方が多いと聞きますが 労働条件等を考慮すると無理もないのかもしれませんね。




人との出会い その2

2010-11-29 21:37:49 | Weblog
私の入院中、お世話になった看護師さんの中に、そうですね、年のころ40代後半の女性がいました。

メキシコ出身だと彼女はそう言いました。

子供を通じて仲良くしているあるおかあさん友達がお見舞いに来てくださってスペイン語で会話をしている時に 話がどうやったらLVN(準看)になれるかという話題になりました。

私のお友達はやはりメキシコ人で、エルパソの国境向かいにあるメキシコの町、フアレスで中学校のスペイン語教師を20年間してリタイアした人です。
ところが、教師の免許がメキシコのものなので補欠教員ならできそうですがアメリカで正規に教師としてお勤めすることはむずかしそう。
それで、エルパソには大きな病院が二つも建設中だから医療関係ならまだまだこれから需要があるし、準看にチャレンジするのはどう?なんてお話をしていたわけなんですね。

すると、私の点滴用の袋を交換しながらその話を聞いていた担当の看護師がこう言いました。

「私、実はメキシコで歯科医の資格を持っているんですよ。
歯学部に入った時、私は2歳と4歳の子持ちでしたからほんとうに勉強がたいへんだったですよ。マーティン先生が子持ちで医学部へ行かれたのと同じ。なんか、なつかしく思い出しちゃいました。
それでその後主人とアメリカに移住してきた時、私はアメリカで歯科医は続けられないのでテキサス大学の看護学部に行きなおし、RN(正看)の資格を取りました。」

彼女、フアレスの治安が悪くなる前は アメリカで週に3日看護師として働き、2日間はメキシコで歯科医療をしていたそうですよ。
なんか、すごいお話!

とにかくフアレスの町には歩いてでもいける距離にあるわけで・・・
ただ海外で取った医師資格や歯科医資格がアメリカでそのまま通用するのは、確かカナダだけでは?
海外の医学部、歯学部によってはアメリカと同様の、もしくはそれ以上のレベルのところもあるでしょうにね。

10数年前、いっしょに研修をしたメキシコ人の医師、彼はメキシコで神経内科の専門医でしたが メキシコシティーで朝から晩まで一生懸命働いて 1,200ドル(約10万円)にしかならなかったと言っていたのが印象的でした。それで、一生懸命勉強してアメリカ上陸を果たしたそうです。

で、私のお友達もとても励まされて、喜んでうちに帰っていきましたよ。
彼女のことだから、きっとがんばれると私はそう応援しています。

人との出会い その1

2010-11-28 14:40:50 | Weblog
アメリカに来てからこうやって苦労しながらもアメリカンドリームを達成した影には、いろいろな人との出会いがあったことは言うまでもありません。

一度も話したことはありませんでしたが、この私の大好きな救急の世界から無理やり押し出しを喰らいそうになったことが一度だけありました。

あるERで働いていた時のこと・・・そうですね。4、5年前のことですか。

ディレクターが新しい医師ドクターXに代わったときのことです。

私は本来の専門が一般小児科で、フェローシップをしたわけでもなく救急の分野は自学自習で学びました。
それで、もともと小児患者をたくさん診察する時間帯に私の勤務時間が設定されていたこともあって私がいる間は、どうしても小児患者が優先となります。

ドクターXが就任して2、3ヶ月経ったある日のこと。

ドクターXは、詰め所でカルテを書いていた私の横にすわり、大きな声でこう言いました。

「君のいるせいで、何百人ものおとなの患者が診察される前に帰ってしまう!
君をこのまま雇っておけるかどうかは、時間の問題だねぇ。」

また、ある日。

華氏106度(41度)の高熱に苦しみ、ぐったりしている生後5ヶ月の男の子の血液検査と尿検査をセプシスを鑑別に入れてオーダーしましたところ、通りかかったドクターXが、心配そうに赤ん坊を抱えている母親と私の目の前で突然どなりだしました。

「君ねぇ! こんなにたくさんオーダーするからERの患者の流れが滞るんだよ。わからないのかね!!」

こうやってドクターXにはさんざん泣かされましたが、意地悪をされたのは私だけではありませんでした。

何しろ、彼、公共の場でこのようにスタッフをへこませるのですから、はっきりものを言うアメリカ人が黙っていようはずもなく、皆からものすごい非難を浴びて、その後しばらくして病院側からくびになってしまいました。

あれから数年経ちました。

さて、今回私はとある病院のERに、どうしても具合が悪くなって駆け込んだわけだったのですが・・・

な、なんと私を担当したER医はドクターXだったんですよ!!

彼はすっかり変っていました。
ほんとうにびっくりするくらい、私の弱りきった状態にしきりに同情してそれはそれは一生懸命お世話をしてくださいました。

彼は、そしてこう言ったのです。

”I like you, so I would like the best doctor in town to take care of you.”

彼は私の肩に手を置いて、「君のことが好きだから、この町で一番の腕利きのドクターに世話をしてもらえるようにしてあげる」と言いました。
なんという変り方でしょうか。

過去のことはすべて水に流して許してあげようと思ったのは言うまでもありませんでした。

































キムバップ

2010-11-27 14:54:16 | Weblog
今日は娘が私の入院中に差し入れてくれたオリエンタルメニューのご紹介。
確かに、これなら丸ごとステーキディナーより、食が進みますよね。

韓国版のり巻きのことを、キムバップと言います。



ちょっと見は日本ののり巻き寿司と変わりはありませんね。

ところが寿司飯の部分が大きく違います。
味がしっかりついていて、ごま油の風味がたっぷり。ご飯にお酢は入っていません。
おしょうゆにつけて食べる必要はありません。
おいしいですよ~

あと、娘が差し入れに買ってきてくれたのはこれ!



ベトナムのヌードルスープで、必ず新鮮なもやしやシラントロ、ミントなどのサラダといっしょに食べます。
レストランでテークアウトを注文すると、熱いスープと、麺(ラーメンのような黄色い細い麺)をわけてプラスチックの容器に入れてくれますので、食べる前におどんぶりにうつして盛り付けるだけ。これで、伸びきったラーメンを食べることなくおいしくいただけるというわけ。考えましたよね。

皆様も、機会があればベトナム料理、いかがでしょうか。
ここでは紹介していませんが、ベトナム料理のビーフンもとってもおいしいです。

感謝祭ディナー

2010-11-26 14:38:09 | Weblog
「七面鳥、焼くの?」

毎年、感謝祭が近づくとみんなにこう聞かれます。

七面鳥は感謝祭には欠かせないお料理で家庭ごとにそれぞれ特有のレシピがあって 皆さん自慢の七面鳥料理を作るのですが、私は意地でも七面鳥と格闘はしません。

20年もアメリカに住んでいてまだアメリカのこの文化にとけ込めないの?と、おこられそう。

私の毎年のジョークはこれです。

「私のために七面鳥を焼いてくれる素敵なシェフがいるのよ。」

「え~?いいな、いいな。そんな人がいていいな。うらやまし~い!」

「うん、ミスター ルビー。彼ね、凄腕なのよ~ アイアンシェフもびっくり!!」

というわけで、私は毎年、感謝祭の前にルビーというレストランに行き、感謝祭ディナーを予約。
つまり、日本でもよくあるおせち料理の予約みたいなことをするわけです。
ま、早い話が て ぬ き!

きのう、スタッフの人にこう言われました。

「今年も、ミスター ルビーはお元気?」

毎年同じジョークを使っているので、今年は先手をつかれました。







今年の七面鳥は、ディープフライ。
丸ごとの七面鳥を特別な機械に入れて丸ごとフライにするんですよ。
おもしろいでしょう?

家族そろったとてもすばらしい感謝祭ディナーでした。
おいしかったですよ。

病院のスタッフラウンジでもみんないろいろなディナーを持ち寄り感謝祭ディナーを楽しみました。

今日はThanksgiving Day!!感謝祭の由来と、食事

2010-11-25 16:26:42 | Weblog
ウィキペディアより抜粋

感謝祭の由来

感謝祭は、イギリスからマサチューセッツ州のプリマス植民地に移住したピルグリムファーザーズの最初の収穫を記念する行事であると一般的に信じられている。ピルグリムがプリマスに到着した1621年の冬は大変厳しく、大勢の死者を出したが、近隣に居住していたインディアンのワンパノアグ族の助力により生き延びることができた。翌1621年の秋は、とりわけ収穫が多かったため、ピルグリムファーザーズはワンパノアグ族を招待し、神の恵みに感謝して共にご馳走をいただいたことが始まりであるとされる。しかし、イギリス人の入植者もワンパノアグ族も秋の収穫を祝う伝統を持っており、この年のこの出来事は特に感謝祭と位置づけられてはいなかった。プリマス植民地で最初に祝われた1623年の感謝祭は食事会というよりもむしろ教会で礼拝を行い、神に感謝を捧げる宗教的な意味合いが強かった。

アメリカ合衆国の感謝祭

感謝祭はアメリカで全米が祝日となる全米祝祭日(ナショナルホリデーNational Holiday)のひとつ。

現代の感謝祭では、宗教的な意味合いはかなり弱くなっており、現代アメリカ人の意識の中では、たくさんの親族や友人が集まる大規模な食事会であり、大切な家族行事のひとつと位置づけられている。特に感謝祭前日と感謝祭休日最後となる日曜日は、空港、高速道路、鉄道などの交通機関が1年の中でも有数の大混雑・大渋滞となる。

感謝祭の朝には、大統領が二羽の七面鳥をされる運命から恩赦する(Turkey Pardon)という行事がホワイトハウスで行われる。ニューヨーク市の百貨店メイシーズでは、1924年から毎年(第二次世界大戦のために1942年から1944年まで中断されたことを除き)巨大な風船を用いたパレード「Macy's Thanksgiving Day Parade」が恒例行事となっている.また、通常は日曜日と月曜の夜しか行われないNFLの試合が3試合(1970年以降、ダラス・カウボーイズとデトロイト・ライオンズのホームゲーム2試合が行われるのが通例だったが、2006年以降、それ以外のチームのホームゲームが持ち回りで開催)行われる。

ニューヨーク州のように全米祝祭日の感謝祭当日のみを祭日とする所もあるが(学校や商店は休日とするところが多い)、多くの州は感謝祭の翌日の金曜日も祝日扱いとして4連休の感謝祭休日(Day After Thanksgiving)とし、中には感謝祭の前の水曜日から5 連休とする州もある。 感謝祭が過ぎるとクリスマスまで約ひと月となり、クリスマスプレゼントの購入に向けて消費が動くため、各小売店では感謝祭をクリスマス・セールの前哨戦と位置づけ、客足をあてこんで金曜日から特別セールを行う。金曜日のセールで小売店の収支が黒字になることから感謝祭の翌日を「ブラック・フライデー」、週明けの月曜日に職場の高速回線を利用してウェブ通販でプレゼントを購入する人が多いことから感謝祭休み明けの月曜日を「サイバー・マンデー」と呼ぶ場合がある。また、感謝祭からクリスマスまでのひと月は、小売店の年間の総売上で重要な期間となる。


伝統的な正餐のメインディッシュとなるのは、角切りにしたパンを用いた詰め物(「スタッフィング(stuffing)」または「ドレッシング(dressing)」と呼ばれる)をした大きな七面鳥の丸焼きである。そのため、感謝祭の日は「七面鳥の日」(Turkey Day)と口語的に呼ばれることもある。切り分けた七面鳥にグレービーソースとクランベリーソースを添えて供する。ベジタリアン向けには、七面鳥を模し豆腐や麩で作った食品(トーファーキーなど)も市販されている。

副菜には、マッシュポテトとグレービーソース、オレンジ色のサツマイモの料理、さやいんげんのキャセロールなどが一般的である。デザートには、アップルパイやパンプキンパイが供されることが多い。

感謝祭の伝統的な食事をいつ摂るかは、昼食、夕食、午後4時ごろなど、家庭によって異なる。また、ほとんど同じ献立をクリスマスの正餐に用いる家庭が多い。

ありがたい差し入れ

2010-11-25 15:14:59 | Weblog


これは、ある日のディナーのメニューです。
どうやらチキンとお野菜とごはんのようですね。

トレイには、他にこんなものがのっかっていますよ。



ディナーロール、アイスティー、トマトスープ、そしてバニラクリーム。

私はこのトレイのディナーを食べることがどうしてもできませんでした。
好き嫌いのない良い子の私がです。
つまり、どうやっても、どう逆立ちしても、アメリカ料理が食べられそうにないのです。
わかっていただけますか?

それで、トレイの外(写真上方)に見えるロールケーキ、そしてのり巻きのようなものにご注目ください。
娘がわざわざエルパソの東にある韓国スーパーまで行ってくれて差し入れしてくれました。
スーパーではいつもいっしょの私の姿が見えないのでお店のおばさんたちがどうしたのかと聞いてきたそうで、入院していると知るなり、韓国版揚げ餃子をサービスでくれたそうです。

そう、昨日お話しした栄養士さんには 病院のお食事が食べられないので差し入れしてもらっているとお話したところ、納得していただけました。

え~!? こんなもの食べるの???

2010-11-24 14:26:11 | Weblog
入院中 本来ならお食事を三度三度だまっていても出してくださるのですから 喜ぶべきなのですが・・・

とにかく身体が弱りきっていて食欲ゼロ。

ほんとうに入院前は 普段目がないおみそしるまで味が変ってしまって食べられませんでした。
お弁当を詰めてくれているお手伝いさんに悪いからと、食べられなかったお弁当はER勤務の終わったあと、中身をゴミ箱に ごめんなさい、とすべて捨てていました・・・こんな悪い子は罰が当たって当然ですね、ほんと。

さて、病院の朝ごはん。

これです!!



味のないスクランブルエッグに塩辛いベーコン!
あのう・・・これ、どう考えても病人には辛いんですけど。

極めつけのお昼ご飯(病院普通食)をご紹介します。

じゃ~ん!!



これ、冗談ではありません。
本当のお話です。

ただし、お肉をナイフで切る力もない病人にこれはかなりきついメニューでした。ポテトはフォイルでくるんであったんですけど、これもはっきり言って はがすのさえめんどうくさい・・・

それで、次の日のお昼にはそういう苦情もあったのか、ステーキ肉がちゃんと切ってあり、ジャガイモは小型のもので、しかも皮がちゃんと剥いてあり食べやすかったです。

そんなこんなで、手のつけられない状態が続きまして、ついに栄養士さんが痺れを切らしてベッドサイドにやってきましたよ。

さて、私はなんと言ってごまかしたでしょうか?

やっと退院しました!ありがとうございました。

2010-11-23 22:47:01 | Weblog
まだまだ本調子ではありませんが やっと5日間の病院生活をあとにすることに成功しました。
数々の暖かいお見舞いのお言葉、ほんとうに身に染みました。
ありがとうございました。

アメリカでは正常出産も24時間、盲腸なんかも24時間で追い出されるほど入院期間は短いので有名ですが その中で5日間もステイさせられたのですから よっぽど具合が悪かったようで・・・

たかが肺炎、とバカにしてはいけません。

レントゲンも少しはよくなりましたが まだまだ白い影が消えてはいません。影は4-6週間は残るでしょうね。
でも最低限物が食べられるようになったし、そして咳をしなくてしゃべれるようになったし、トイレに行っても心臓がパクパクしなくなったし、シャワーにも一人では入れたし・・・ということでOKが出ました。

今回はほんとうにやられてしまいました!!

ERの患者様にウィルス(たぶんアデノウィルスか、パラインフルエンザウィルス)をいただいたことから始まってそれが市中肺炎に発展していったのでしょう。

10年分の抗生物質で、バクテリアと格闘したような印象でした。

疲れました・・・

次から次に投入される抗生物質のためにやってくる看護師さん、ネブライザーによる気管支拡張薬の治療が4時間おき、呼吸療法士さんによって起こされます。バイタルのチェックが4時間おきで容赦なく看護アシスタントがやってきて、血圧計のカフが私のやせ細った腕を締め付けます。
合計7人の医師が入れ替わり立ち代り・・・
眠る暇も休む暇もまったくありませんでしたよ。

入院というのは疲れるものであるということを、身を持って体験した次第です。

明日はアメリカ人もびっくり!!
こんなもの食べるの~ というお話です。
お楽しみに!!

I am admited to the hospital.

2010-11-20 18:39:32 | Weblog
情け無いことに 昨夜ERから緊急入院しています.Telemetryというところで外の世界と謝絶状態です.検査の量も半端ではなくHIVや結核まで....レントゲンがかなり醜かったのでCTまで撮りましたが点滴でコントラストを注入した際 体じゅう熱く感じて不覚にも たすけてくれぇ! と叫んでしまいました. トホホ..抗生物質も2種類点滴で おまけにあの1粒千ドル以上もするので有名なZYBOXという抗生物質まで登場!!元来安物でできている丈夫なはずの体がびっくりしまくっています.いったいいつまでここにいるのでしょうか.もし原因がわからないなら気管支鏡の検査をするそうで....肺のスペシャリスト様がそうおっしゃいました.たかが肺炎.されど肺炎.私のような病院関係者のかかる肺炎はふつうの抗生物質では効かない頑固なものなのでしょうね.まあ私もちょうど潮時だったのです.どっしりかまえてがんばります.