女性管制官がアメリカで医者になった場合ーアメリカンドリーム

アメリカでアメリカンドリームを達成するには?
マーティンもと子(旧姓多尾もと子)の場合は?

現場14ヶ月目、私は今・・・・・・ その6

2010-03-31 12:43:58 | Weblog

視界が良いと管制塔からのながめは実にすばらしいものです。
台風24号の去った翌朝などは、地上視程がなんと100kmもあって、
富士山がまるで絵に描いたように美しく見えました。
その前夜は、台風の影響でRVRが1200mを切るような
悪天候だったため、夜勤だった私は
数機のMissed approachを経験しましたが、
そのことがまるでウソのことのようでした。
そして、嵐の去ったあとの静けさとは、
まさにこのことを言うのだと思いました。

日が昇ると、眠りから覚めた飛行機たちはいっせいに活動を開始します。
朝日を受けてまぶしく光っている羽田沖の海の中で、
まぐろ(トライスター)や、とびうお(DC-9)、くじら(B-747)、
たいやき(B-747SP)などが泳いでいるように見えます。

ジャンボなどは、地上滑走している時はのろのろしていて
ちっともカッコよくないけれども、いったん空に舞い上がると、
まるで変身したようにたくましくなります。
そんな飛行機魚たちの泳いでいる姿を、
第三者的に、ああきれいだなあ!と見とれていられたら
どんなにいいだろうと、ふと思うことがあります。

でも私は管制官である以上、彼らの安全を支える柱のひとつである、
という現実からどうしても逃れることはできないのです。

私たちの仕事は安全であってあたりまえで、
あとに物として残るものは何ひとつありません。
たとえば、Pilotとの交信は録音されますが、
一ヶ月たてば自動的に消去されてしまうのですから。
そういうふうに考えれば、
何か割の合わないものを感じないでもありませんが、
物としては残らなくても安全であったという事実は残るのですから、
実にやりがいのある仕事だと信じています。

現場に配属されて14ヶ月。
実にさまざまなことがありました。
楽しかったこと、つらかったこと、いろいろなことが思い出されます。
そして何もかもが初めてづくしで、
いつも何かを期待され、誰かに注目されているという圧迫感がありました。
まだまだ厳しい訓練は続きますが、
どこまでやれるか、自分を試すつもりでがんばろうと思っています。

前回、このPILOT誌に投稿させていただいたのは、
ちょうど一年前のことです。
あの時は、まだ管制官の発令を受けていませんでしたから、
また一年たってこのような機会を与えられたことを大変幸せに思っています。
前回の反響は意外に大きく、自分でも驚きました。

Pilotの方々に会うとたいてい
「PILOTに載いたかたですね。」と言われるか
「声の高い方の方ですね。」と言われるかどっちかなのです。

今回、あまり変なことは書けないなあと思いながらも
思いつくままペンをとりました。

未熟なあまりに、いろいろとご迷惑かけることもあると思いますが、
今後ともどうぞ長い目でよろしくご指導ください。

青空にて See you again!!
     Have a nice flight!!

(東京国際空港事務所管制官)

現場14ヶ月目、私は今・・・・・・ その5

2010-03-30 06:55:49 | Weblog

実技試験前の夜勤明けのお話です。

前半の起き番だった私は、いつになく真剣に
マニュアルに取り組んでいました。
そして後半起きの人たちと交代した後、
仮眠室へと降りていきました。
ちょうどその日は、7階以下が停電で仮眠室もまっくら。
手探りで午前五時に目覚ましを合わせると、

「試験前のチャンスだから明朝6時からのトレーニングフライトはがんばるぞ!」

と意気込んで眠りについたのでした。
羽田では、毎朝6時からPilotの審査飛行が行われるのです。

ゴオーッ!!

夢うつつに飛行機の音がするではありませんか。
(おかしいなあ、6時前に緊急機でもあったのかしら) 

ゴオーッ!! 

また一機飛行機が離陸していきます。
もちろん当たりは真っ暗。

(夢かしら)

いよいよおかしいと思った私は、
起き上がって机上のデジタルウォッチにあかりをともしてみたのです。

なんと7時54分ではありませんか!

目覚まし時計が壊れていたなんて。
女子の仮眠室は窓がなく、おまけに昨夜は停電と来ていましたから、
真っ暗な中で熟睡してしまったらしいのです。

(どうしよう!!)

あわてた私は、すぐに内線電話をかけて寝過ごしたことを誤り、
すぐに着替えてタワーに上がりました。
寝ぼけ眼で小さくなっている私を見て、某先輩が一言。

「遅刻するようになったら一人前だよ。試験、がんばれよ。」

実際、このような失敗談は数え切れないほどあります。


現場14ヶ月目、私は今・・・・・・ その4

2010-03-28 20:09:36 | Weblog

ジンクスというものが存在するのかどうかわかりませんけれど、
私にとって天気の良い日で、しかも交通量の多い日は要注意です。

そんな日、飛行場管制についていると、
必ずと言っていいほどVFRの小型機が私を悩ませるからです。

まだ資格のなかった当時の私にとって、
IFR機に混じってVFRで飛んでくる小型機は
どう処理していいかわからず、本当に悩みの種でした。
なぜかその小型機が飛んでくるときは、いつも混雑していて、
次から次へと進入してくるIFRの到着機を降ろす傍ら、
どんどんたまってくる出発機を出さなくてはならないし、
その合間に、VFR機を降ろさねばならず、
ほんとうに気が狂いそうになります。

実際、VFR機との奮闘物語は語りつくせないほどあります。

その日は、南風の強い夏の午後でした。
Runway22 landing 
Ruway15L departureで、
風は最大30ノットは吹いていたように記憶しています。
到着機も、出発機も、非常に混雑していました。
例によってFinalの一番機は、VFRのJA8700でした。
苦労して、やっとのことで Cleared to land.

その一番機が降りたら2番機のDC-9を降ろすまでに 
Runway15LからB-747を出す予定で、
もうすでに滑走路内に待機させていました。

無事着陸したVFR機にホッと一息ついた私は、

“JA8700 Turn right at A runway.”
と地上滑走の指示を出しました。

“Roger,A runway.”

と答えたJA8700でしたが、何を勘違いしたのか、
その手前のRunway15Lで、右に曲がってしまったのです。

当然のことながら、
Runway15Lには出発機のジャンボが待機していたのですから、
文字通り向かい合って「コンチワ!」です。

あわてた私は、とっさに、

"JA8700,Make 360turn."と言っていました。

JA8700は、強い南風にあおられてひっくり返りそうになりながら、
360度、いや180度Turnしました。

その関係で、FinalのDC-9は Go around!!

いやあ、まいりました。
その時ほど、自分の出した指示が、必ずしも正確には伝わらないこともある
ということを身にしみて感じたことはありませんでした。

また、常に冷静でいなければならないということもです。


現場14ヶ月目、私は今・・・・・・ その3

2010-03-27 19:53:49 | Weblog

地上管制席から渡された運航票には、赤で「<22」と書かれてありました。
東京管制部からつけられた出発解除時刻が22分以降という意味です。
時刻は現在17分。飛行場管制席についていた私は、
地上交通の流れを考慮して、もうすでにB runwayの手前で待機している
JD789便を呼び出しました。

私;"JD789,Taxi into position and
   hold runway04.“

P;”Taxi into position and hold?
   Confirm release time after 22?“

私;"Affirmative,release time after
  22.“

(22分に離陸させるためには、20分50秒ぐらいに離陸許可を出し始めればよい。
ゆっくり離陸許可を出して約10秒。
Rollingして車輪が浮くまで約30秒、
21分30秒(すなわち22分)以降に離陸させられる)と考えた私は、
計算どおりに離陸許可を与えました。

私;“JD789 Wind 360 at 15 cleared 
  for take off runway04.” 

P;“Confirm cleared for take off?”

私;“Affirmative,cleared for 
   take off.” 

P;“Timeは、今21分ですがよろしいのでしょうか?”
  (日本語で確認してきた)

私;“Airborneが22分になりますからけっこうです。”

結局、彼は22分を回るまでしばらく待ってRollingを開始しました。
どうやら両者に出発解除時刻というものに対する解釈の違いが
あったようでした。これは、飛行場管制主席の資格を取って、
初めてひとり立ちした夜勤明けのできごとです。

こういうことがあるといつも思うのですが、
私たちとPilotの方々との交流の機会がもっとあってもいいはずです。
お互いにどんな小さいことであっても、疑問に思っていることや、
不都合に感じる点を出し合えばより理解は深まると思うからです。
私など、航空機の運航性能や、操縦面のことを
もっともっと知りたいですし、
Pilotの方々には、私たちが常に総合的な流れを考えて
管制していることを知ってもらいたいと思うことがよくあります。


現場14ヶ月目、私は今・・・・・・ その2

2010-03-26 20:44:10 | Weblog
「最初の頃はよく、後ろで言われた通りのことをしゃべっていましたね。
なるほど、ああやって訓練されるのか、と思いましたよ。
それから途中で突然男の人の声がはいるでしょう。
あれカン狂いますね。」

とは某Pilotの弁。

初めの頃はSupervisorの言うとおりのことを
Read backするだけでもうまくできませんでした。
なぜそう言うのかを考える余裕もなく、
緊張のあまりコチコチになって、よく冷や汗をかいたものです。
まちがえると、すぐにSupervisorのCorrectionが
送信されてしまいます。

当時、私たち(現在、羽田には2人の女性管制官がいます)の声を
スチュワーデスの声や、Company radioと間違えた人が多かったそうで、
こちらから指示を出してもすぐに返事が返ってこないことがよくありました。
今となってはもうなつかしい思い出です。

一般に女性の声はToneが高く、電波によくのるので聞き取りやすいと
言われます。搭乗訓練で那覇へ行った帰り、コックピットで、ATCをモニターしていると、
突然女性の声が流れてきました。

“JL1234 Okinawa departure,radar contact.”

私は、ヘッドホンから流れてくるその女性管制官の声に聞き入りました。
発音がきれいなせいかもしれませんが、
(アメリカ人だからあたりまえですけれど)
とても聞き取りやすく、私もこういうふうになれればなあと思いました。

現場14ヶ月目、私は今・・・・・・ その1

2010-03-25 11:33:57 | Weblog

1982年1月号のPILOT誌より、抜粋。


「どこにお勤めですか?」とよくたずねられます。

「羽田空港です。」と答えると、まず

「売店かなんかですか?」という返事が返ってきます。

で、「お仕事はなんですか?」と聞かれた場合は、

「管制官です。」と答えることになるのですが、

そんな時はたいてい 「日本航空ですか、それとも全日空?」と言われ、

挙句の果てには 「航空券、安く手に入るんでしょう。」

などと言われてガックリくることもあります。

一般的には管制官が国家公務員であることすら知られていないようです。
事実、この私ですら航空保安大学校で研修を受けるまで、
航空路管制の存在を知りませんでしたし、
管制官といえば、空港の一番高いところで、
制服を着ていかめしく働いている男性の姿しか
想像していなかったのですから。

 そんな男性ばかりの世界に殴り込みをかけて、はや14ヶ月が過ぎました。
管制官の発令を受けたのが、今年の4月、
なかなか素直に女性を受け入れてくれない男性諸氏もいましたが、
11月1日付けで飛行場管制主席の資格も取れました。

いよいよ今月からTerminal radarの研修に入ります。
栄光(?)のFull-rated controllerまで最低あと一年。ARTS-Jを駆使してApproachやDepartureの
コントロールをするようになるんだと思うと、
本当にやっていけるのだろうかという不安もありますが、
夢はますます大きくふくらんでいきます。


明日に向かって離陸支障なし   その2

2010-03-24 09:54:09 | Weblog

そしてある日のこと、いつものように歩いていると、
空港近くの交差点で、婦人警官が交通整理をしていた。

きびきびと働く姿に、さすがだなあと思いながら
青信号に変るのを待っていた。
横の信号が黄色になって、もうそろそろ渡れるなあ、
と思った瞬間、なんと目の前で、5台の自動車が
次々と玉突き衝突をした。

彼女はすぐに最良の判断を下し、
5台の車を道路の左側に寄せる指示を出した。
てきぱきと処理する彼女を見ていて、
私は彼女との職業上の共通点を見つけたような気がした。

彼女は地上の、そして私は空の交通整理。
働く場所もSituationもぜんぜん違うけれど、
人命を預かる点において責任重大な仕事であり、
常に、迅速かつ最良の判断を要求されるのである。
ミスは許されない。99.9%でもダメ。
常に100%の状態でなければばらない。

現在は、主に調整席と管制承認伝達席で 研修中である。
徐々に、総合的なだけでなく瞬間的な判断の必要な
Positionへとうつっていく。

実際勤務していて、Pilot sideの反応はさまざまである。
女性の声に驚いてなかなか応答してこないPilotあり、
Companyの周波数だと思ったのか「
こちら~ですが~のWeatherを送ってください」
と言ってきたPilotあり。
やたらとRadio checkがあったり、
“Good day sir!”と言われたこともあった。

当面の目標は、来年3月に副席の資格をとることである。
一人前になるまでの道のりは実に長い。

これからあとに女性管制官が続くか続かないかは
我々5人(羽田2名、東京管制部1名、福岡管制部2名)
にかかっているとさえ言われる。

TDAの某キャプテンによると、羽田で女性にクリアランスをもらい、
福岡管轄のEnrouteでも女性と交信したそうだ。

みんな全国にばらばらになったが、それぞれにがんばっている様子で
とてもうれしく感じた。

これからも、いろいろな方々のおかげで今日あることを忘れずに、
また決して女性であることに甘えることなくがんばろうと思う。

明日に向かって離陸支障なし   その1

2010-03-22 19:52:46 | Weblog
私が、日本初の女性管制官のひとりとして デビューしたころに
PILOTという月刊誌に投稿したものをご紹介します。
1981年1月号より、抜粋。

”CI003 Wind 360degrees 10knots Cleared for take off”

初めて離陸許可を与えた時の感激は一生忘れないであろう。

OJTとして羽田に勤務して 無我夢中で毎日を過ごしてきたという感じである。
不規則な輪番勤務であり、夜が弱い私にとって、夜勤は辛いこともある。
しかし、私は夜の羽田が好きだ。夜のRunwayは、とても美しい。
深閑とした真夜中のタワーから遠くを見つめながらいろいろなことを考える。

幼い頃初めてセスナに乗せてもらった時のこと、
飛行機が見たくて大阪空港によく通ったこと、等々・・・・・
あこがれが現実となった今、なんて幸せ者なのだろうとつくづく思う。


 通勤時、京浜急行の羽田空港駅からターミナルまで、
約20分歩くのが私の日課である。

ターミナルのガラス越しに、これから旅立とうとして「さよなら」を
交わしている人の流れを見るとき、私はこの人々の命を預かるのだ
という責任を感じる。

また、ゆっくり歩きながら、次々に離陸していく航空機を見るのが
たまらなく好きだ。
透き通った青空に向かってRunway 33Rから
離陸した巨大な金属の塊は、右旋回する時、太陽に照らされまぶしく光る。


MRSA その6

2010-03-21 06:06:02 | Weblog

MRSA(市中MRSA)のまとめ

1. 化膿性の皮膚疾患の患者を診たら、 MRSAの疑え。

2. 問診で、MRSAの危険因子の分析をすること。
  たとえば 同じような感染症にかかったことが以前にあるか
 どうか。

  また、家族は?仕事場では?

 つまり過去に繰り返し 皮膚に膿瘍をわずらっていないかどうか。
 そしてそのような症状を繰り返している家族や仕事場の同僚に
 接触していないかどうか。
 職業上MRSAの保持者と接触するような立場、例えば医師、
 医学生、研修医などは危険度が高いのは言うまでもない。


3. 診察では必ず膿瘍やフルンケルの可能性を探ること。

4. MRSAによる感染症は皮膚にとどまらず、壊死性筋膜炎、
 壊死性肺炎、敗血症ショック、硬膜外膿瘍などに及びうることを
 よく認識していること。

5. 膿瘍は、まずは 切開すること。切開しなければ治らない
 可能性がある。

6. 膿瘍が存在するかどうか確かでない場合は 超音波や、
 CTをとること。

MRSA その5

2010-03-20 04:46:58 | Weblog


ER訪問#2 五日目

救急車で担ぎこまれたこの患者は、今回は39度の発熱とともに、首の痛み、呼吸困難、嚥下困難、四肢の麻痺を訴えた。
緊急MRIが、施行され、なんと、C1-C6にかけて大きな硬膜外膿瘍が見つかった。
緊急手術が行われドレナージされた膿瘍からはMRSAが見つかった。

原因は 最近受けた疼痛専門医による硬膜外ブロック(硬膜外に麻酔薬を注射して痛みを止める)であったことが後ほど判明した。

現在、彼女は呼吸を気管切開に頼り、日常生活のほとんどを、介助を通して行っている。


そして、医療訴訟、現在進行形であるという。


このケースは、患者にすでに首の慢性関節炎による痛みが存在し、一見 その痛みの憎悪とみなされても仕方がない状態にあったこと、激しい痛みのために神経学的な診察が十分できなかったこと、硬膜外ブロックを受けていた事実は ER訪問1日目の問診であきらかにされていなかったことなどなど・・・かなり難しいケースであり、と同時に学ぶことが多いケースであると言える。