以下の表をまずご覧ください
1 伊勢新九郎長氏 1456~1519
2 斎藤道三 1494~1556
3 三好之長 1458~1520
4 三好元長 1501~1532
5 三好長慶 1522~1564
6 松永久秀 1508~1577
<細川京兆家>
1 勝元 1430~1473
2 政元 1466~1507
政元が戦国時代に片足を突っ込んだ、うがった言い方をすれば、政元の横死とそれに続く京兆家の混乱が機内における戦国時代を生み出す一因になったとも言えると思います。
※この辺りの事情は以下をご参照 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E6%B0%8F#%E4%BA%AC%E5%85%86%E5%AE%B6
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E6%94%BF%E5%85%83
このてのPeakyと言うかFlamboyantと言うか、見方によって評価が大きく分かれる権力者の系譜としては、足利義教(1394~1441)ー細川政元(1466~1507)-織田信長(1534~1582)と続きます。
時間的にほぼ等間隔であるのは偶然でしょうが、この三人に共通する事蹟として”比叡山焼き討ち”が有るのは偶然ではないと思います。
結果として政元暗殺を行う澄之ではなく、政元が後20年ほど長生きして澄之の甥である九条稙通を養子としていたら、随分と様変わりした歴史となっただろうと妄想して見たくなります。<日本型魔的ルネサンス!(^^)!>
明石散人さんの「二人の天魔王」、この人らしい小品ですが、義教と信長の間の更に魔的な人物、政元が抜けています。売れ行き優先でしょうから致し方ありませんが、間が抜けた話だと思います。!(^^)!
いづれにせよマキャベリストにしてオッカルティスト。最後は部下に襲われて横死。精神・生涯の傾奇ぶり。
それぞれ精神の傾斜方向は異なりますが佐々木道誉、薬師寺公義、楠木正儀など、アンバランスな才人がどうも私の好みのようです。
1 伊勢新九郎長氏 1456~1519
2 斎藤道三 1494~1556
3 三好之長 1458~1520
4 三好元長 1501~1532
5 三好長慶 1522~1564
6 松永久秀 1508~1577
<細川京兆家>
1 勝元 1430~1473
2 政元 1466~1507
政元が戦国時代に片足を突っ込んだ、うがった言い方をすれば、政元の横死とそれに続く京兆家の混乱が機内における戦国時代を生み出す一因になったとも言えると思います。
※この辺りの事情は以下をご参照 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E6%B0%8F#%E4%BA%AC%E5%85%86%E5%AE%B6
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E6%94%BF%E5%85%83
このてのPeakyと言うかFlamboyantと言うか、見方によって評価が大きく分かれる権力者の系譜としては、足利義教(1394~1441)ー細川政元(1466~1507)-織田信長(1534~1582)と続きます。
時間的にほぼ等間隔であるのは偶然でしょうが、この三人に共通する事蹟として”比叡山焼き討ち”が有るのは偶然ではないと思います。
結果として政元暗殺を行う澄之ではなく、政元が後20年ほど長生きして澄之の甥である九条稙通を養子としていたら、随分と様変わりした歴史となっただろうと妄想して見たくなります。<日本型魔的ルネサンス!(^^)!>
明石散人さんの「二人の天魔王」、この人らしい小品ですが、義教と信長の間の更に魔的な人物、政元が抜けています。売れ行き優先でしょうから致し方ありませんが、間が抜けた話だと思います。!(^^)!
いづれにせよマキャベリストにしてオッカルティスト。最後は部下に襲われて横死。精神・生涯の傾奇ぶり。
それぞれ精神の傾斜方向は異なりますが佐々木道誉、薬師寺公義、楠木正儀など、アンバランスな才人がどうも私の好みのようです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます