いちご畑よ永遠に(旧アメーバブログ)

アメーバブログ「いちご畑よ永遠に(旧ヤフーブログ)」は2023年7月に全件削除されましたが一部復活

秋田県横手市 国史跡・大鳥井山遺跡 出羽清原氏の本拠地 山城の原点

2023年09月13日 15時55分54秒 | 秋田県

国史跡・大鳥井山遺跡。駐車場から北方向。秋田県横手市新坂町3−1。

2023年6月2日(金)。

横手城跡の見学を終え、北近くの高台にある大鳥井山遺跡の駐車場に15時40分ごろ着いた。

大鳥井山下駐車場から南方向。中央奥の山頂に横手城が見える。

管理棟から駐車場へ帰る途中から南方向。

横手市歴史的風致維持向上計画 2018年・2023年 抜粋

◆大鳥井山遺跡と金沢柵

大鳥井山遺跡(横手地域)は、発掘調査によって、寺院の可能性が高い四面廂建物跡巨大な土塁と堀、櫓、柵列などの遺構、大量の「かわらけ」と呼ばれる素焼きの器が出土したことから、前九年合戦(1051-1062)や後三年合戦(1083-1087)にその名がみられる清原氏に係る遺跡として、平成 22 年(2010)に国の史跡に指定された。

また、大鳥井山遺跡は、日本列島史における武士の居館及び山城の最も早い事例の遺跡としても高く評価されている。前九年合戦では、大鳥井山に居を構える清原光頼が源頼義の懇願を受けて1万もの軍勢を派遣し、陸奥国の豪族・安倍氏一族を滅亡に導いている。後三年合戦は、沼柵(雄物川地域〔推定地〕)と金沢柵(横手地域〔推定地〕)を主な戦場とする戦いで、各地に伝わる伝承も多く市民にとってもなじみが深い。

金沢柵を源義家と共に攻め落とした清原清衡は、のちに姓を藤原に戻し、現在の世界遺産平泉の基礎を築いたことで知られる。清衡が平泉に造った館である柳之御所遺跡は、大鳥井山遺跡と立地や構造が類似しており、本市域と世界遺産平泉には深い繋がりがあると考えられている。

従来、武士によって築かれた山城の出現は14世紀を遡らないと考えられてきたが、それを200年以上も遡ることが明らかとなった。城郭史専門の千田嘉博は、戦国時代の城郭に匹敵する規模であることを指摘し、さらに、その防御施設は「土でつくる城の最高レベル」と評している。

遺跡の広がりは南北方向に680m、東西方向に200mである。

川に面していない三方向を土塁と堀で囲んだ構造である。土塁は、幅10m、高さ2m、堀は幅8m内外、深さ約3.5mと、いずれもきわめて巨大である。

外側から内側に向って土塁 - 空堀 - 土塁 - 空堀の順で、最大の空堀は幅10m、深さ3mにも達する。千田嘉博は、東側斜面の竪堀を「うね状空堀群」と呼び、従来、15世紀から16世紀にかけての時期にようやく出現する構造であると考えられてきたとしている。

空堀の内側には柵列が見られ、この柵に沿って物見櫓と思われる建物跡が確認されている。また外側の堀に土橋が架かっていた場所が特定されたほか、掘立柱建物跡や竪穴建物跡等が検出されている。

大鳥井遺跡は、市役所本庁舎から北東約2㎞の横手市大鳥町にあり、小吉山、大鳥井山、台処館と称される三つの丘陵の上にある。

この遺跡は「陸奥話記」により、清原氏の一族(嫡宗家)大鳥太郎頼遠の本拠地と考えられ、安倍氏の鳥海柵とともに確実性が高い城柵のひとつである。

昭和52年から7年にわたる発掘調査が行われ、小吉山東部(標高約75m)での調査により、土塁・空堀が二重に巡る防御性の極めて高い城柵であることが明らかになっている。

土塁・空堀の内側、すなわち居住域の外縁には柵列も作られている。また、柵に沿って物見櫓と考えられる建物も存在し、外側の堀には土橋が架かる場所も検出された。

これらの施設で区画された内部には掘立柱建物跡や、竪穴住居跡などが作られており、掘立柱建物跡は、1間×1間または1間×2間と比較的小規模である。竪穴住居跡にはカマドはなかった。

大鳥井柵の遺跡の特徴は、「後三年合戦絵詞」の金沢柵の様子からイメージできる当時の柵と大鳥井柵跡が類似している。また、平泉の国史跡柳之御所跡(藤原氏の政庁跡と推定される遺跡)の空堀との類似性が指摘されており、藤原氏が清原氏の技術を引き継いでいる可能性があることも注目される。

遺物は、椀と小皿のセットとなった「かわらけ」が300点近く出土しており、全国的にもこの時代のものがまとまって見つかった例はほとんどない。その他に、中国製の白磁器・硯などが出土している。硯はほぼ完全な形で出土しており、柳之御所跡でも同様のものが発見されている。その精巧な作りから、藤原氏の存在も見え隠れしている

遺跡の時期は10世紀後半から12世紀代とやや幅があるが、この間断絶することなく遺物を確認できることから、200年近く継続して使用されていた柵ということが分かる。大鳥井柵跡は、文献と考古資料の整合性のある遺跡であり、その解明が、金沢柵と沼柵にもつながるものと期待されている。

 

後三年合戦金沢資料館の入館は16時30分までなので、雨天でもあり短時間の見学となった。

秋田県横手市 横手城跡 戦国大名・小野寺氏