ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

都営三田線途中下車(6) 神保町駅

2020年07月20日 00時00分00秒 | まち歩き

 今回は、2005年4月5日から同月11日まで「待合室」の第137回「都営三田線途中下車(6) 神保町駅周辺(とりあえず)」として掲載した記事の再掲載です。題を変更しましたが、文章は修正していません。なお、写真は全て2005年3月22日に撮影したものです。

 

 田園調布からどこへ行こうかと考えていました。東横線の沿線でもよし、目黒線の沿線でもよし、いや、どうせなら目黒線に乗ってそのまま三田線のどこかの駅へ降りようと考え、三田線の中では利用頻度が高い神保町へ出ました。

 ちょうど、日比谷駅付近で大東文化大学の卒業式があり、時間に余裕ができたのと、講義の準備のためには何冊かの本を買わなければならなかったことが重なり、それには神保町が最適であるということです。たまたまデジタルカメラを持っていたので、神保町の今の様子を取り上げたいと思いました。

 都営三田線・新宿線、東京メトロ半蔵門線の神保町駅は、神保町交差点の真下にあります。 そこから一丁目の南側(奇数番地)に出て、靖国通りの裏側がすずらん通りです。そのすずらん通りを撮影してみました。今は古本屋が少なくなりましたが、バブル期が到来するまではこの辺りにも多くの古本屋などがありました。聞いたところでは、中央大学が神田駿河台にあった頃には300軒近くも存在したとのことです。しかし、バブル経済のために多くの古本屋が店をたたみました。九段側の神田神保町三丁目は壊滅状態になったほどで、全体でも100軒を割り込むほどになってしまいました。当時はたしかに好景気でしたが、多くの神保町ファンは嘆きました。民活路線、そしてバブルは東京の良き伝統を破壊しつくしましたが、神田神保町は最も多くの被害を受けた所かもしれません。或る意味では六本木と似たような面もあります。

 私が初めて神保町に行ったのは高校時代でした。当時、まだ半蔵門線が半蔵門までしか開通しておらず、神保町へ行くには面倒なルートを選ばざるをえなかったころです。しかし、大学1年生の時、1989年1月26日に三越前まで延長したので、溝の口駅から乗り換えなしで行けるようになりました。そのため、何かと通うようになりました。大学院生時代には、この神保町に寄って古本探しをするために、定期券の経路を半蔵門線経由にしたほどです(神保町駅を通っていなかったのですが、九段下駅から神保町駅の専修大学前交差点側までは、歩いても5分ほどです)。

 すずらん通りといえば、大学院生時代、よく「皇帝」というクラシック喫茶に行きました。上の写真に写っているパチンコ屋の2階にあった店です。良質の喫茶店が多いのも神田神保町の特徴ですが、ジャズ喫茶の「響」と「皇帝」には何度も行き、買ったばかりの本を読んだりしたものです。「響」はバブル崩壊期になくなり、「皇帝」もほんの数年でなくなりました。とくに「皇帝」のほうには、或る種の思い出があります。

 すずらん通りをまっすぐ進むと、靖国通りに出ます。その地点が駿河台下交差点です。写真の手前は神田神保町1丁目、写真の奥は神田小川町ですが、坂を上っていけば、明治大学、日本大学、そして多くの楽器店が並ぶ神田駿河台です。私は、神田駿河台へ行く時も、神保町駅から歩きます(それほど時間がかからないので)。楽器屋も、私がよく入るところで(その割には買わないことが多いのですが)、エレアコやシンセを見て「今度はこれを買おうかな」などと思ったりします。

 神田小川町も、神保町から続く古本屋街であり、多くの本屋がありました。しかし、バブル期前後からスキー店が多くなり、秋葉原かパチンコ屋と勘違いするほどの大音量によるBGMには立腹したほどです(お断りしておきますが、神田神保町などのパチンコ店では外に大音量のBGMなど流しません)。日本の知的レベルの低下を見たければ神田小川町の変化を見ればよい、と言いたくなるほどでした。

 駿河台下交差点から、今度は神田神保町1丁目側を眺めたところです。ここから神保町交差点までが、私がよく探し回る範囲です。大学院生時代は、両手に古本を抱え、さらに背中にも古本を、という状態で歩いたこともありました。靖国通りの沿いに、そして脇道にも古本屋が並び、昔の本などを探し回っていました。

 三省堂書店は、私が初めて神保町に来た時に入った店で、今も時折利用します。手前に見える「三茶書房」は、池尻の三宿交差点にある店が本店だとのことです(半蔵門線に乗れば、一本で行けるということです)。

 植草甚一氏も書いていますが、古本探しというのは不思議なもので、一軒でいいものが見つかると、次の店でもいいものが見つかるものです。植草氏は、都電やバスの中から店を見て判断できたと記しています。こうした達人の域にたどり着くことはできませんが、最初の一軒が大事だということはわかります。私の場合は、神保町でだめな時には、半蔵門線・新玉川線(現在は田園都市線)を使って池尻大橋か三軒茶屋で降り、三軒茶屋や池尻の古本屋へ行きました。

 神田小川町3丁目にある古本屋です。大学生の頃から何度となく行っています。撮影日には雨が降っていたのでカバーがかけられていますが、晴れた日であれば、棚の本をじっくり見て、時に手にとって買うところです。もっとも、この日は残念ながら収穫がゼロでした。

 先ほどの古本屋の店頭です。ペーパーバッグが多いのですが、それだけではないというところがミソです。時折、社会科学の古典など、驚くようなものが並べられています。

 神田小川町と言えば、この店の近所にある別の本屋で、初めてドイツ行政法学の本を買いました。大学3年生の時で、何故かErnst Forsthoff, Lehrbuch des Verwaltungsrechts, Band 1がありました。当時でも、出版されてから10年以上が経過しています。名前だけは知っていたし、思ったよりも安かったので買いました。そのことが、大学院進学のきっかけになったのかもしれません。

 またすずらん通りへ戻ります。三省堂書店の裏にある文房堂で、時折、文具などを買っています。大学院生時代は二子玉川で購入していましたが、今は田園都市線を使っていないためです。

 神田神保町は、千代田区にありながら、比較的、小さな建築物の多い所です。また、古い建物も多かったのですが、さすがに最近では建て替えが進められてきました。しかし、この建物は御覧の通りで、貫禄があります。

 文房堂の建物に、こんなプレートが付けられていました。撮影日に初めて気づいたのですが、なるほど、と思わせるものです。バブル期の狂乱を通り抜けたことに、或る種の驚きを感じました。

 おそらく、三田線の沿線では神保町駅周辺が最も撮影ポイントの多い所であると思われます。少なくとも私にとっては、途中下車がしやすく、否、しなければならないことが多いとともに、沿線では最も楽しめる所です。これからも、神田神保町周辺を取り上げようと考えています。そして、古本屋街は西神田、三崎町のほうまで続いており、水道橋駅からも歩けますので、その辺りも取り上げたいと思っています。


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