ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

士幌線のタウシュベツ川橋梁

2020年09月13日 14時25分50秒 | 社会・経済

 今日(2020年9月13日)の7時付で、朝日新聞社のサイトに「劣化進む旧国鉄士幌線の『幻の橋』 いよいよ見納めか」という記事が掲載されています(https://digital.asahi.com/articles/ASN9C46SVN98IIPE01N.html)。

 記事の見出しからおわかりと思いますが、現在刊行されている時刻表や地図を見ても、士幌線はありません。1980年代の国鉄改革の一環として、1987年3月、国鉄の分割民営化を目の前にして廃止されたためです。根室本線の帯広駅から北へ、十勝三股駅まで伸びていた約78キロメートルの路線で、第二次特定地方交通線に指定されていました。

 ちなみに、帯広駅からはもう一本の第二次特定地方交通線である広尾線が南へ伸びていました。こちらは幸福駅、愛国駅で有名で、名称の通り広尾までの84キロメートルの路線でしたが、士幌線より少し早く、1987年2月に廃止されています。両路線が帯広で接続するということで、士幌線と広尾線とを直通運転する急行列車もあったとか。

 さて、今回の主題である士幌線のタウシュベツ川橋梁です。これは上士幌町にあり、名前の通りタウシュベツ川にかかる橋梁でした。もっとも、鉄道用の橋梁として利用されたのは1955年までのことです。糠平ダムが建設されたことにより、鉄道線路は移設されたのですが(同時に糠平駅も移転しています)、橋梁はそのまま残されました。そのため、タウシュベツ側橋梁は人工湖である糠平湖に沈むことになったのですが、季節による水位の変動で橋梁が姿を見せることがあるそうです。上記記事に掲載されている写真は今月8日の朝に撮影されたものです。今年は雨量が少ないために、9月でも完全な姿を見ることができるとのことでした。

 この橋梁は1937年に建設されました。日中戦争が始まった年です。コンクリートで造られていますが、既に資材がなくなり始めていたのか、鉄骨は用いられているものの、砂利が多用されているようです。全長はおよそ130メートル、高さはおよそ10メートルですが、何箇所も崩れており、完全崩壊は時間の問題と言われていました。そもそも、橋梁が水没すれば水圧の影響を受けますし、凍結と融解を繰り返せばコンクリートも激しく劣化します。コンクリートが全く水を通さないはずはなく、コンクリートにしみた水が凍結して膨張し、それが解け、再び凍結して、ということが繰り返されるので、コンクリートの劣化はかなり速いということが想定されます。上記記事にも「特に冬季は、橋に染み込んだ水が凍結して膨張するため、他の橋とは比べものにならないスピードでコンクリートの劣化が進んでいるという。劣化は『1年で50年分に相当する』という説もあるという」と書かれています。

 勿論、劣化には他の原因もあります。例えば地震です。2003年9月に発生した十勝沖地震などで何箇所かが崩落したそうです。写真や動画で見ると、えぐれたような崩れ方をしている箇所がいくつもあります。

 上記記事には、劣化を憂う声も書かれていますが、元々保存が難しいことから、崩壊しつつある姿を見届けるという意見も書かれています。形ある物はいつか壊れます。そう考えるならば、タウシュベツ川橋梁を無理に保存する必要はないとも思うのです。

 士幌線というとこのタウシュベツ川橋梁が有名なので、今回も記事になったのでした。しかし、歴史を少し振り返ると、他にも興味深い点がいくつかあります。

 第一に、士幌線の末端区間である糠平駅から十勝三股駅までの区間です。

 この部分の営業係数は22500でした。おそらく、日本でこれを超えた路線・区間は他にないでしょう。十勝三股駅付近の急激な過疎化が原因です。そこで、糠平駅から十勝三股駅までは1978年に休止され、バス代行運転となりました。しかし、廃止されてはいません。これは、士幌線の上士幌駅から十勝三股駅までの区間が鉄道敷設法別表第141号にいう「十勝國上士幌ヨリ石狩國『ルベシベ』ニ至ル鐵道」の一部であったためです。鉄道敷設法が廃止されていない以上、糠平駅から十勝三股駅までの区間を廃止する訳にはいかなかったのでした。そのため、幌加駅および十勝三股駅も休止とされました。但し、この区間はバス代行運転であるとはいえ鉄道路線と同じ扱いを受けています(運賃計算などの面においてです)。

 結局、前述のように1987年3月に士幌線全線が廃止されました。1986年に制定され、1987年4月1日に施行された日本国有鉄道改革法等施行法第110条第2号によって鉄道敷設法が廃止され、上士幌駅から「ルベシベ」駅(現在の石北本線上川駅)までの区間についても法的根拠がなくなりました。しかし、糠平駅から十勝三股駅までの区間は、休止とされたとはいえ、廃止までの間に点検も整備も行わず、放置状態であったため、帯広から糠平までの区間と異なって線路などの撤去が容易でなかったとのことで、廃線跡として長く残ることとなりました。

 第二に、糠平駅の手前にあった黒石平駅です。この駅には下り列車(帯広→糠平・十勝三股)しか停まらず、上り列車(十勝三股・糠平→帯広)は全て通過していました。しかも、全国版の時刻表にはそのように書かれていなかったのです。

 実は、上り列車は黒石平駅と糠平駅との間にあった電力所前仮乗降場に停車していました。下り列車はこの仮乗降場を通過していたのです。

 仮乗降場と記しても「何それ?」という声が聞こえてきそうです。これは、正規の駅ではなく、国鉄の下部組織として存在した鉄道管理局が独自に設置した停車場であり、原則として全国版の時刻表には登場しません(小松島港仮乗降場のような例外はありますが)。仮乗降場はとくに北海道に多く、全国版の時刻表には登場しないが北海道版であれば登場することが多いのでした。

 〈仮乗降場については、「不思議な小駅 仮乗降場」という詳細にして良質のサイトがあったのですが、今年の3月に閉鎖されてしまいました。〉

 電力所前仮乗降場も北海道版の時刻表であれば掲載されており、下り列車は全て電力所前仮乗降場を通過し、上り列車は全て黒石平駅を通過するように書かれていたとのことです。

 仮乗降場は正規の駅ではないので、営業キロは設定されていません。これは運賃計算において重要な意味を持ちます。電力所前仮乗降場を例としますと、帯広から電力所前仮乗降場まで列車に乗った場合には帯広から(一つ先の)糠平までの運賃を支払わなければならず、電力所前仮乗降場から帯広まで列車に乗った場合には(一つ前の)糠平から帯広までの運賃の運賃を支払わなければならないのです。

 第三に、中士幌駅と士幌駅との間にあった新士幌仮乗降場です。既に「仮乗降場はとくに北海道に多く、全国版の時刻表には登場しないが北海道版であれば登場することが多い」と記しました。言い換えれば、全国版の時刻表はもとより北海道版の時刻表にも掲載されない仮乗降場があった、ということです。新士幌仮乗降場はその一つ、つまり北海道版の時刻表にも掲載されない仮乗降場でした。北海道には他にもいくつか存在しており(白糠線の共栄仮乗降場、根室本線にあった稲士別駅など)、大抵は通過する列車が多いところであったようです。


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