2021年5月24日に8617Fが営業運転を終え、廃車回送されたとのことです。これにより、東急では最大の400両が製造された8500系も残り80両となりました。
8500系は10両編成で運用されていますから、残るは8編成となります。こうなると、沿線住民でも見る機会がかなり減ってきます。まして、乗車する機会となると一層少なくなります。
私が田園都市線をよく利用するようになったのは、1989年、半蔵門線の半蔵門〜三越前が開業してからのことで、神保町へ行くのが楽になったためです。大学院生時代には、神保町に行きやすいということ、国会図書館に寄りやすいということで、溝の口駅から九段下まで田園都市線・新玉川線・半蔵門線を利用していました。その当時は8500系と2000系、そして東京メトロ8000系が走っていましたが、やはり8500系に乗る機会が圧倒的に多く、それだけに思い入れもあります。そして、この11年ほどは通勤でも乗車していました。
平凡と言えるデザインかもしれませんが、この系列がデビューした1975年以来、私はこの、いかにも通勤列車然とした、実直なデザインを好んでいました。何せ、1990年代後半まで、大手私鉄では唯一、特急が走っていなかった東急です(それが輸送密度世界一とも評される理由の一つでしょう)。特急用電車と言えば、これ見よがしの派手なデザインであることも少なくないのですが、そういうものは粋ではないという感覚が、幼い頃から私にはありました。本当の御洒落は裏地に凝る、ではないのですが、1975年には、この8500系の中身は凄いものだったのです。もとより、日本で最初に本格的なワンハンドルマスコンを採用した8000系(これがローレル賞を逃したということは、私が鉄道友の会に入らず、むしろ小学生ながらこの会の意義を疑った理由でもあります。たしか、中学生くらいの年齢であれば入会できたはずです)という下地があったから、8500系が発展したということは否定できません。それにしても、8000系よりも長く活躍できたという事実は、設計の基礎的な部分などが非常に適切であったということ、設計と運用とが適切に合致していたということでしょう。
まだ私が大分大学に勤務していた頃、東急のサイトであったと記憶していますが、8500系のデザインに関するページを読んだことがあります。それによると、8500系の前面デザインは小田急9000形のようなものになる可能性もあったようです。モックアップの写真が載せられていたのです。仮に小田急9000形のようなデザインで登場したならば、それまでの東急のイメージを変えることになって面白かったかもしれません。
しかし、私は、小田急9000形のようなデザインにならなくてよかったと考えています。理由は方向幕です。小田急9000形は方向幕が小さく、行先が見えづらいのです。同じことは京王にも言えます。小田急や京王は「小田急多摩センター」、「京王多摩センター」など、比較的長い駅名を方向幕に表示することがあるのですが、枠が小さすぎるために字も小さく、高齢者などには見にくいと思われますし、京浜急行や阪急のような工夫もありません。それなら方向幕よりも方向板のほうが、行き先案内としては親切です。LEDの表示になってもあまり変わりはありません。学部生時代に京王6000系などに乗車しましたが、何のために側面の方向幕を利用しているのかと疑問に思ったことは何度もあります。
8500系に話を戻しましょう。東急で前面の方向幕を最初に採用したのは初代7000系ですが、側面の方向幕を最初に採用したのは8500系です(8000系は種別表示を採用したに過ぎません。行先も表示されるようになったのはかなり後のことです)。また、前面、側面とも自動化した方向幕、そして、東急以外でも採用するようになった黒地の白抜き文字の表示も、8500系が最初です。それが、いつしかLED表示になりました。時代の流れを感じます。
通勤者という私の身分、そしてコロナ渦という情勢で、どこまで8500系を追えるかわかりません。実際、YouTubeを見ていると「よくそこまで追うことができるな」という動画もたくさんあります。しかし、最後まで追っていきたいと思っています。
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