ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2010年12月7日、青葉台駅

2020年01月14日 00時00分00秒 | まち歩き

 最初にお断りです。今回は、私の「川崎高津公法研究室」に掲載していた「待合室」の、次の記事の再掲載です。

 第483回:「東急田園都市線途中下車(23) 青葉台駅(その1)」(2012年6月20日〜27日掲載)

 第484回:「東急田園都市線途中下車(23) 青葉台駅(その2)」(2012年6月27日〜7月5日掲載)

 いずれも、写真撮影日は2010年12月7日です。誤字脱字を除き、内容を修正しておりません。したがいまして、後の事情変更なども一切反映しておりません。御注意ください。

 

 私が結婚して東急田園都市線沿線に住み始めたことにより、「東急田園都市線途中下車シリーズ」が始まりました。それ以前から同線をよく利用しておりましたし、沿線にもよく足を運びました。

 よく利用するのは渋谷~溝の口であり、溝の口~中央林間は、大学院時代の通学ルートでもなければ、現在の通勤ルートでもありません。その中で、とくによく行ったのが青葉台でした。初めて行ったのがいつなのか、よく覚えていないのですが、おそらく小学校高学年時代ではなかったかと思います。今はヤマダ電機New青葉店となっている場所にドイト青葉台店があり、そこから少し離れたしらとり台かつつじが丘にはビッグサム青葉台店もありましたので、父に連れられてよく行っていたのです。青葉台に東急百貨店ができてからは、大学院生時代にフィリアホールへ行くようになりましたし、大分大学時代から現在に至るまで、青葉台東急スクエアの中にあるブックファーストや伊東屋などによく行きます。実は自動車で行くことのほうが多いのですが、最近は電車で行くことのほうが多くなりました。

 今回は、その青葉台駅(DT20)を取り上げます。第23弾となります。

 横浜市内にある東急田園都市線の駅の中で最も利用機会の多い駅である割には、写真を撮る機会が少ないのですが、探してみたら何枚か見つかりました。また、以前にこのコーナーに掲載した写真も何枚かあります。まずは、2010年12月7日の午前中に撮影した写真を掲載しておくこととします。

 田園都市線の下りの急行に乗り、青葉台駅で降りました。私が乗った急行が、次の長津田に向けて発車していきます。

 この駅の開業は、溝の口~長津田の開業と同日です。田園都市線に快速電車が走り始めた時からの快速停車駅であり、急行停車駅です。たまプラーザが多摩田園都市の北部の中心であるとすると、青葉台は南部の中心で、開発の拠点ともされていました。

 東京急行電鉄が自社のサイトで発表しているところによると、2010年度の乗降客数は一日平均で10万8857人で、これは田園都市線で第6位(1位:渋谷、2位:溝の口、3位:あざみ野、4位:三軒茶屋、5位:長津田)であり、他の鉄道路線との乗り換えがない駅としては第1位となります(これは田園都市線のみならず、東急線全体を通しても同じ結果となります)。

 開業当初の青葉台駅は開放的な構造の高架駅でしたが、現在は全体が厚い屋根に覆われたようになっています。青葉台東急スクエアのビルの中にこの駅があるためです。1990年代に青葉台リクレ、青葉台東急百貨店がオープンして、現在の構造になりました。青葉台東急百貨店はいったん閉店しますが、青葉台リクレなどと統合され、青葉台東急スクエアに変わりました。ブックファーストができたのもその頃で、私は大分大学在職中に初めて入っています。今でこそ、この阪急系の書店は首都圏でも支店数が多くなっていますが、青葉台店は古いほうに属します。

 いつの頃からかわかりませんが、青葉台駅1番線にはスクエア口という改札口があります。ここからですとS2の2階はすぐそばで(カフェ・アントニオという喫茶店があります)、S1新館の2階(ここに伊東屋があります)も橋を渡ればすぐそばで、さらにS1本館にもつながっています。フィリアホールは、青葉台東急百貨店の時代から一貫してS1本館の5階にありますので、この出口から橋を使ってS1本館へ行けばよいこととなります。

 青葉台駅の北口に公団住宅があります。日本住宅公団の時代から建っていますので、築年数としてはかなりのものになるはずです。現在は都市再生機構という名称ですが、1950年代に設立された当時は日本住宅公団でして、田園都市線の開通時も日本住宅公団でした。1980年代に住宅・都市整備公団(略称は住都公団)、20世紀の終わり頃に都市基盤整備公団、そして2004年から都市再生機構となっています。

 北口にはバスターミナルもあります。青葉区では、北のターミナルがたまプラーザ駅とあざみ野駅であり、南のターミナルが青葉台駅です。ここには東急バスの他、横浜市営バス、神奈中バスも乗り入れており、青葉区、緑区、町田市のほうに路線が伸びています。

 バス通りにして商店街となっているこの通りは環状4号で、鴨志田、鉄町に向かいます。神奈川県道18号線でもあります。横浜市随一の田園風景を残していることでも有名な寺家町へ行くには、この道路を北へ進み(上の写真で言えば、左側のバスと同じ方向に走ることとなります)、常盤橋交差点を左折するのが早いでしょう。寺家町へ行く路線バスもあります。

 商店街は青葉台一丁目を通り、桜台のほうまで伸びています。もっとも、それほど通ることがないので、詳しいことはよくわかりません。ただ、洒落た飲食店が多いことは記しておいてもよいでしょう。そのうちの一軒だけを取り上げると、2011年6月、妻とKeel's Bar Houseに入り、厚木のサンクトガーレンが製造しているインペリアルチョコレートスタウトを飲みました。これはチョコレート麦芽を使用しており、ビターチョコレートのような味がします。すぐに気に入り、溝口や青葉台で見つけては買っていましたが、今年は日本経済新聞と朝日新聞で大々的に取り上げられ、爆発的な人気を得たようで、ヴァレンタインデーの前後から購入が非常に難しくなりました。

 〔インペリアルチョコレートスタウトについては、私のブログでも「サンクトガーレン(厚木)のチョコレートスタウト3種」として取り上げております。〕

 青葉台駅前交差点から西のほうへ歩いてみることとしました。交差点のすぐそばにある三井住友銀行青葉台支店、野村證券青葉台支店など、金融機関が多く並び、明治屋青葉台ストアー、成城石井青葉台店もあります。このため、土曜日や休日ともなると人通りも車の通りも多くなります。しかし、今は平日の午前中で、朝のラッシュ時も終わっているためか、人通りはあまり多くありません。

 現在の区名の由来ともなっている青葉台ですが、元からある地名ではありません。市町村合併が繰り返されてきたのでかなり複雑な歴史をたどらなければなりませんが、現在の地名である青葉台は、都筑郡恩田村の一部分でした。都筑郡内にある恩田、奈良、長津田の各村が合併することによって田奈村が誕生すると、大字恩田の一部となります。田奈村が横浜市に編入されたのは1939(昭和14)年のことであり、同時に港北区の一部となります。恩田町から青葉台一丁目および二丁目が分離されて誕生したのは1967(昭和42)年のことで、その前年に青葉台駅が開業していました。つまり、青葉台駅は当初、港北区の駅であったこととなります(田園都市線のたまプラーザ~長津田は、開業時、全て港北区の駅でした)。

 1969(昭和44)年、港北区から緑区が分区します。これにより、田園都市線のたまプラーザ~長津田、JR横浜線の鴨居~長津田は緑区となります(当時は、あざみ野と十日市場の両駅が未開業でした)。緑区から青葉区が分かれたのは1994(平成6)年のことです。

 

 青葉台駅前交差点から西のほうに歩き、榎が丘交差点からさらに西に歩くこととしました。町名も青葉台から榎が丘になっています。青葉台駅からこどもの国へ向かうルートの一つを歩くこととなります。東急バスの青51系統、青52系統および青55系統も通ります。但し、どの系統もこどもの国には行きません。こどもの国を経由する青118は、榎が丘交差点を右折して青葉台小学校バス停を経由します。

 榎が丘交差点を過ぎると、駅前から一気に住宅地に雰囲気を変えます。

 榎が丘交差点から青葉台駅の方向を振り返って見ます。右側にあるのが成城石井青葉台店です。すぐ近くに明治屋ストアもあります。右へ進むと青葉台東急スクエアの立体駐車場(A駐車場)があり、私はよくその駐車場を利用しています。S1本館の地下、駅の真上などにも駐車場があるのですが、A駐車場は最も長い時間で利用することができるためです。真向かいが香港亭青葉台店で、一度だけ入ったことがあります。安い割には美味い店である、と言えます。

 さらに歩いていきます。榎が丘小学校入口交差点の付近には東京工業大学の留学生会館があります。キャンパスが大岡山とすずかけ台(所在地は横浜市緑区)とに分かれていますので、すずかけ台のほうが近いでしょうか。

 榎が丘交差点の北西は榎が丘ではなく、松風台です。この辺りは「●●台」という地名が多く、青葉台、松風台の他に桂台、みたけ台、桜台、若草台、しらとり台があります。しばらく、このような住宅地が続きます。地図を見ると、松風台、桂台と進みに従ってこどもの国に近くなり、松風台交差点を左折してしばらく進むと中恩田橋でこどもの国通りと交差します。そこにある大きな工場が東急の長津田車両工場です。

 榎が丘を歩いている途中で進路を変え、田園都市線のそばに着きました。青葉台を発車した下り電車は、すぐに緩やかなカーブを通って南西に向かい、トンネルを経由して田奈駅に着くことになりますが、そのカーブの地点です。下りの線路を東京急行電鉄の8500系が通過していきます。1975年、新玉川線(現在の田園都市線渋谷~二子玉川)用として登場した車両で、まさに田園都市線用であり、長らく同線の主力として活躍してきました。

 現在の田園都市線は全て10両編成です。時折、大井町線急行の6両編成、各停の5両編成が通りますが、それ以外は東急、東京メトロ、そして東武の車両が10両編成で運用されています。

 しかし、田園都市線の溝の口~長津田が開業したばかりの頃は、現在のような本線級の路線ではなく、ローカル線並みと評価してよいような路線でした。写真を見ると、青葉台駅を発車する電車は2両編成です。私が小学生の頃の薄い記憶によれば、3450形などの初代3000系という旧性能の緑色の電車が2両か3両で走っていたり、東急で初めて田園都市線用として製造された7200系が4両で運用されていたり、8000系が4両で運行されていたり、という感じで、最も雑然としていました。それだけに見るのは面白かったのですが、本数は少なく、平日の日中ですと溝の口駅で1時間に4本、しかもそのうちの2本は不定期列車で、時刻表にもそのように書かれていました。

 1977年に新玉川線が開通し、その後に田園都市線・新玉川線・半蔵門線の直通運転が始まると、8500系および帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ)8000系に統一されることになります。1992年に2000系が登場しています。

 1980年代には、田園都市線・新玉川線の本数も増え、編成の両数も増えます。1980年代には8両編成、そして10両編成になり、最終的には10両編成に統一されます。小田急、京浜急行、西武、東武などは、現在でも編成の両数が統一されていませんし(東武東上線は別ですが)、8両+2両、6両+4両などの編成も多く見られますが、東急は1980年代から固定編成化が始まりました。最も早かったのが田園都市線・新玉川線です(世田谷線はもっと早かったのですが、軌道線なので除いておきます)。

 また、線区ごとに運行される車両が決まってきたのも1980年代からでした。この点でも、唯一の軌道線である世田谷線を除けば新玉川線が最も早く、続いて田園都市線が続きます。現在、田園都市線・半蔵門線を10両編成で走行するのは、東急の8500系、8590系(2編成のみ)、2000系(3編成のみ)、2代目5000系、東京メトロの8000系、08系、東武の30000系(現在は2編成のみ)、50050系です。

 線路の向こう側も榎が丘です。国道246号線沿い、アップガレージも榎が丘にあります(2010年1月までコジマのNew青葉台店でした)。

 また下りの線路を8500系が通過していきます。最大400両の勢力であった同系も、現在では廃車となるものが出ています。一部は長野電鉄、秩父鉄道、伊豆急行(1両のみ)、そしてインドネシアに譲渡されて活躍を続けています。現在まで東急唯一のローレル賞受賞車ですが、他の鉄道会社ですとローレル賞受賞車でも既に全車廃車とされているものも少なくありませんので、8500系の受賞は特別に意味のあるものと言えるでしょう。

 デビュー当時から、一部が東横線でも運用されていましたが、1980年代後半に田園都市線・新玉川線に集結されました。現在は田園都市線・半蔵門線の運行はもとより、東武伊勢崎線・日光線にも足を伸ばします。また、5両編成が4本製造されており、5+5両編成として田園都市線で運用されたこともありますが、現在は大井町線で運用されています。

 東武50050系が上り線路を走り、青葉台駅に到着しようとしています。東上線にデビューした、東武最初のアルミ車でもある50000系の伊勢崎線・日光線版で、田園都市線・半蔵門線でも運用されます。時には東武線に乗り入れない運用もなされます。全車が日立製作所製で、同社のA-Trainという企画に則っています。そのため、西武20000系などと同じような外観となっています。

 東急田園都市線・東京メトロ半蔵門線・東武伊勢崎線・東武日光線の直通運転が開始されたのは2003年3月19日で、その時の東武の車両は30000系でした。しかし、東武は早くも数年後に50050系を半蔵門線・田園都市線乗り入れ用とします。現在でも2編成だけ30000系が運用されていますが、見る機会はあまりありません。外観だけを取り上げるならば、50050系より30000系のほうが田園都市線に似合います。

 田園都市線に沿って歩き、先程の榎が丘交差点から少し南へ下った場所に出ました。右側に青葉台東急スクエアのA駐車場がある所です。

 この道路は、車でよく通ります。左側にA駐車場があるからで、買い物で来るとこの駐車場を利用することが多いのです。ブックファーストに入って本を買うことが多く、2万円以上も使うことが何度かありました。このところ、大晦日の午後には青葉台東急スクエアに行って買い物をしています。ブックファースト、伊東屋、カルディ、レ・シ・ピ青葉台などに寄り、あれこれ見ては買ったりしています。そして、ブックファーストでもらうドリンクチケットを使い、奥のリビングカフェでコーヒーなどを飲むのです。今年の3月には7回も行きました(もっとも、1月と2月には1回も行っていません)。

 A駐車場から青葉台東急スクエアのS1本館(フィリアホール、ハンズ・ビー、レ・シ・ピ青葉台などがある建物)に向かう路地です。ここは何度も通っており、気になる店がいくつかありました。そのうち、弦楽器専門店のサラサーテにはまだ入ったことがないのですが、右側の奥のほうにあるド・マーレ湘南と鮨くさびやには入りました。どちらも私は気に入っていますが、ド・マーレ湘南は妻も非常に気に入っています。何と言っても、入籍の日の夕食をこの店でとったのです。いつも混んでいる店ですが、混むのには理由があります。また、フィリアホールでのコンサートの後にでも入ろうか、などと考えています。


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