ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2012年3月27日、藤が丘駅

2020年01月13日 22時20分45秒 | まち歩き

 最初にお断りです。今回は、私の「川崎高津公法研究室」に掲載していた「待合室」の、次の記事の再掲載です。

 第482回:「東急田園都市線途中下車(22) 藤が丘駅」(2012年3月27日撮影。2012年6月12日〜19日掲載)

 誤字脱字を除き、内容を修正しておりません。したがいまして、後の事情変更なども一切反映しておりません。御注意ください。

 

 2010年5月16日、第363回として三軒茶屋駅を取り上げてから続けている「東急田園都市線途中下車」シリーズも、6駅を残すのみとなり、今回が第22弾となります。つきみ野駅から渋谷側に戻り、今回は横浜市青葉区内の駅を取り上げます。

 渋谷方面から田園都市線に乗り、市が尾駅を出ると、東名高速道路横浜青葉インターチェンジを見ながら橋を渡ります。谷本(やもと)川が流れています。そこまでは下り勾配なのですが、ここで一気にかなり急な勾配を上っていきます。上がり切ったところでDT19の藤が丘駅に着きます。田園都市線の溝の口~長津田の開業と同時に営業を開始した駅の一つで、急行および準急は通過します。

 元々、この辺りは谷本といいました。現在も下谷本町という地名が付近にあり、また、谷本小学校があることで昔を偲ぶことができますが、駅名は藤が丘であって、所在地は藤が丘二丁目です。この辺りに野生の藤が茂っていたところから新たに付けられた地名であるとのことです。

 私は、中学校2年生の時分に、或る理由があって短期間ながらこの駅をよく利用していました。それから28年ぶりに降りましたが、基本的な構造は変わっていないようです。もっとも、駅は改築されていますし、ホームの構造も当時とは違っています。開業時から長らく、相対式ホームで1番線が下り、2番線が上りとなっていましたが、現在は1番線が下り、3番線が上りとなっています。2番線のホームはありませんが、上りの急行および準急が通過する線路はあります。

 最近の東急ではこのような駅がいくつか出てきています。田園都市線では、まず、二子新地駅と高津駅があげられます。両駅とも、田園都市線の電車が発着する1番線と4番線しかホームがありません(大井町線の電車は、ホームのない2番線と3番線を通過します)。次に、梶が谷駅は、かつて1番線から4番線までホームがありましたが、4番線が通過専用線となり、ホームには柵が設けられています。また、江田駅の1番線と3番線も通過専用線となっており、やはりホームに柵が設けられ、番線表示が消えました。東横線に目を移すと、元住吉駅には1番線と6番線のホームがありません(1番線は東横線の下りの通過専用線、6番線は同線の上りの通過専用線です)。

藤が丘駅と言えば昭和大学藤が丘病院というくらい、この駅の周囲で存在感のある病院です。駅から歩いて2分か3分程度でしょう。通院患者も多いようです。

昭和大学の本部は大井町線・池上線の旗の台駅の近くにありますが、病院は多く、横浜市内ではここの他に横浜市北部病院(都筑区茅ケ崎中央)があります。

 藤が丘駅の正面口を少し離れた所から撮影してみました。駅前にはバスターミナルとタクシー乗り場があります。ここに発着するバスは全て東急バスで、青葉台営業所(記号はAO)の所管路線です。

 この駅の開業は、溝の口~長津田の開業と同じ1966(昭和41)年4月1日です。現在の構造となったのは2002(平成14)年3月のことで、それまでは小さな駅舎でした。当時は東口がなく、改札を入るとすぐ右側に2番線ホームに向かう階段がありました。奥のほうの地形とあいまって、どこかのトンネルに入るかのような印象を受ける格好となっていました。現在はホームの上屋や壁がかなり長い範囲にわたっています。

 藤が丘駅前交差点に立っています。この道路を奥のほうへ進むと、もえぎ野、柿の木台、みたけ台、桜台に出ます。季節によっては美しい並木道になる場所です。旧大山街道はもえぎ野公園付近で交差する道です。

 奥のほうにある橋は国道246号線のもので、幼い頃から父が運転する車で、運転免許を取得してからは私が運転する車で、何度となく通っています。国道246号線と言えば、梶ヶ谷交差点(かつての笹の原交差点)、江田駅前、長津田と、渋滞の名所がいくつもあるのですが、藤が丘駅付近はそれほど渋滞も激しくなく、楽に走ることができます。右のほうへ進むと東名高速道路横浜青葉インターチェンジですが、その手前、勾配の頂点のような場所に吉野家があります。私が中学生時代から知っていますので、1980年代前半かそれより前から営業を続けていることになりますが、駅前でなく、道路沿いにある牛丼屋は、首都圏ではまだそれほど多くなかったはずです。松屋、すき家が多くなるのは1990年代か21世紀に入ってからのことで、とくにすき家は道路沿いなど、郊外に多く出店してきました。

 同じ交差点で、視点を変えます。商店街となっています。この辺りの店に入ったことがないのでよくわからないのですが、洒落た感じの店もありますので、調べてみて、妻と行ってみようか、などと思っています。

 この道を真っ直ぐ進むと、すぐに田園都市線の下を抜け、藤が丘女子学生会館のそばを通って藤が丘公園の近くに出ます。青葉台駅の真上にある、青葉台東急スクエアの駐車場へ行くには、この道が近道となります。

 右側に藤が丘駅前公園を見て、昭和大学藤が丘病院のそばを通り、谷本川のほうに抜ける道路です。こちら側にも商店街が伸びています。28年前とどこが変わっているのか、よくわかりません。基本的な部分では変化がないのかもしれません。

 駅前に公園があります。その名も「藤ヶ丘駅前公園」で、駅名とは字が違っています(駅名は「藤が丘」)。二人の子ども(赤ちゃん?)の坐像が我々を迎えてくれますが、風雨にさらされたためか、顔がわかりにくくなっています。左側が女の子、右側が男の子でしょう。

 この公園では、地元のロータリークラブにより、様々な種類のバラが植えられています。訪れたのが3月下旬でしたし、まだ植えられて間もないかのような感じもしますが、種類は豊富です。左手前にフリージア、その少し奥にプリンセスチチブ(秩父宮家に由来するのでしょうか)、プリンセスミチコ(現在の皇后陛下に由来するのでしょうか)、などが植えられています。

こちらには、マリアカラス、羽衣、天津乙女などが植えられています。この段階では違いなどわかりませんが、花が咲くと、その違いがわかるのでしょう。

 

 

 私が藤が丘駅を利用した頃にはなかったのですが、南口の改札口が設けられていました。わかりにくいかもしれませんが、カレー店の幟の奥に駅名などの案内表示板が見えます。左にあるのは喫茶店です。

 ココイチこと壱番屋は、私もよく利用するのですが、この藤が丘の店には入ったことがありません。私が知っている限りでは、田園都市線の沿線では渋谷、桜新町、用賀、鷺沼、藤が丘、青葉台にあります。元々、壱番屋は愛知県の企業であり、関東地方にはあまりなかったのですが(大学時代、私は、多摩市の向ノ岡交差点のそばにある店くらいしか知りませんでした)、バブル経済が崩壊してから増えてきたような気がします。

 南口の前の交差点です。ここから坂を登れば、藤が丘小学校のそばを通り、梅が丘、そして東名高速道路港北パーキングエリアの下に出られます。青葉区にあるのに「港北パーキングエリア」というのは変に思われるかもしれませんが、青葉区は、少し歴史を遡れば港北区の一部でしたから、間違っている訳ではありません。

 田園都市線の溝の口~長津田が開業した1966年、たまプラーザ~長津田は横浜市港北区でした(あざみ野はまだ開業していません。また、川崎市が政令指定都市となったのは1972年です)。1969年、港北区から緑区が分区します。それとともに、たまプラーザ~長津田は緑区となりました。1994年、今度は緑区から青葉区が分区します。この時から、長津田駅のみが緑区、たまプラーザ~田奈の各駅が青葉区となっています。

先程の交差点を左折して、結構急な坂道を登ってみました。谷本小学校の少し南のほうや千草台のほうに向かう道です。典型的な郊外の住宅地の風景ともなっています。

反対側を見てみます。右側に東急ストアがあります。多くの建物があるために、駅は見えません。交差点を右折すれば、すぐに駅の南口に出られますし、昭和大学藤が丘病院にも出られます。


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