ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2012年3月4日、田奈駅

2020年01月15日 00時00分00秒 | まち歩き

 最初にお断りです。今回は、私の「川崎高津公法研究室」に掲載していた「待合室」の、次の記事の再掲載です。

 第470回:「東急田園都市線途中下車(19) 田奈駅」(2012年3月4日撮影。2012年3月21日〜28日掲載)

 誤字脱字を除き、内容を修正しておりません。したがいまして、後の事情変更なども一切反映しておりません。御注意ください。

 

 大学院生であった1992年4月から1997年3月の5年間、私は通学路線として東急田園都市線を利用していました。当時、渋谷~二子玉川園が新玉川線、二子玉川園~中央林間が田園都市線でしたが、実質的には一体化しており、ほとんどの電車が営団半蔵門線に直通していました。2000年8月6日、両線は田園都市線に統一され、二子玉川園も二子玉川に改称されました。その10年後、今度は田園都市線を通勤路線として利用することになりました(但し、利用区間は院生時代と若干異なります)。

 そこで開始した東急田園都市線途中下車シリーズは、今回が第19弾です。残っているのは、横浜市青葉区にあるあざみ野、藤が丘、青葉台および田奈、町田市にあるつくし野、すずかけ台および南町田、大和市にあるつきみ野および中央林間ですが、今回は田奈駅を取り上げます。

 渋谷側から田園都市線の各駅停車に乗ると、たまプラーザ駅から横浜市青葉区を走り続けますが、その最後が田奈駅です(次の長津田駅は緑区にあります)。急行も準急も通過します。

 東急は2012年2月から駅ナンバリングの導入を進めています。最も進んでいるのは大井町線で、私が確認した限りでは大岡山~溝の口の全駅で導入済みです。田園都市線でも、やはり私が確認した限りでは池尻大橋、三軒茶屋、駒沢大学、二子玉川、溝の口、田奈、長津田、つくし野、つきみ野で導入されています。実は私にとって意外であったのが田奈駅でした。隣の青葉台駅のほうが先行していておかしくないのです。

 DT21と書かれているのがおわかりになるかと思います。DTは田園都市線を意味します。また、東急は、とくに主要駅で日本語、英語、中国語(簡体字)、ハングルの表記を進めています。

 東急田園都市線といえば、首都圏でも有数の混雑率を示すことで有名ですが、駅の乗降客数にはかなりのばらつきがあります。東急が2010年度の数字として発表しているところによると、田奈駅の乗降客数は一日平均で10951人、田園都市線ではつきみ野(10037人)に次いで少ないのです。実際に、1966年に開業した溝の口~長津田の中では、田奈駅周辺が開通前の雰囲気を最も強く残しています。所在地は青葉区田奈町76番地で、田園都市線では梶が谷駅、江田駅、市が尾駅とともに、●丁目となっていない場所にあります。4駅の共通点は急行・準急通過駅であることです。

 田奈駅の構内に、多摩田園都市まちづくり館と青葉区区民交流センターがあります。1994年4月29日に開館しました。多摩田園都市とは、まさに田園都市線の建設のきっかけとなった、東京急行電鉄による大プロジェクトで、溝の口~中央林間のニュータウン構想です。どのように定義づけるかにもよりますが、多摩田園都市は日本最大のニュータウンと評価してもよいでしょう。多摩田園都市として開発が始まってから半世紀以上が経過し、田園都市線の溝の口~長津田が開業してから46年が経とうとしています。田奈駅も、開業から46年が経とうとしています。

 横浜市と言えば、政令指定都市では最大の人口を誇る大都市ですが、都筑区、青葉区などには農地が多く残されています。青葉台東急スクエアで地元産の野菜が売られており、我々も時折買っています。もしかしたら、田奈駅の周辺で収穫された野菜も売られているのかもしれません。この他、青葉区では、寺家の周辺、谷本川の沿岸などに農地を見ることができます。

 遠くに長津田を眺めつつ、撮影してみました。田奈駅のそばに、こどもの国通りが通っており、こどもの国線の恩田駅付近までは農地が広がっています。こういう土地は長く残しておきたいものです。ちなみに、この辺りはJA田奈(田奈農業協同組合)のエリアで、長津田駅周辺も同様です。

 奥のほうに建設中のマンションが見えます。長津田駅前で、田園都市線のすぐそばです。私が大学院生時代に読んだ、駅で配布されている沿線新聞のようなものでは、長津田駅周辺くらい、田園都市線で風景に変化がない所もないという趣旨が、長津田駅長の言葉として記されていましたが、それからかなり変化しており、マンションなども多く見られるようになりました。

 田奈駅の西口です。以前から、この駅の周辺は商店が少なかったのですが、最近は少し増えたようです。東急ストア、デニーズ、ローソンなどがあります。

 さて、この田奈という地名ですが、昔から存在する地名にしてはやや不自然なものと感じられるかもしれません。実は、この地名は明治22年、西暦に直せば1899年になって生まれたのでした。同年、長津田村、恩田村、奈良村が合併し、田奈村が成立したのです。市町村合併の際に、それぞれの自治体の一文字を取って足し合わせるというのはよくある話です。私の本務校である大東文化大学の板橋校舎の近くでは、蓮根が例として該当します。

 田奈村は、1939(昭和14)年、横浜市に編入されます。それと同時に同市港北区の一部とされました。1969(昭和44)年に、港北区から緑区が分区し、この辺りも緑区となりますが、1994(平成6)年には緑区から青葉区が分区します。この時、長津田は緑区のまま残りましたが、田園都市線の沿線の大部分は青葉区になっています。ちなみに、恩田も奈良も青葉区の町名として存続しています。

 田園都市線が開通してからも変化に乏しい田奈駅周辺ですが、久しぶりに訪れてみると、やはり変化を感じ取ることができます。もっとも、私がこの駅を利用したのは今回が二度目で、車でもあまり通りませんので、よくわかりません。町田市内および大和市内を別として、田園都市線で(私にとって)最もなじみが薄いのが田奈駅なのです。

 幼い頃から東横線などを利用していたこともあって、私は東急の全線全区間に乗っています。しかも全駅を踏破していますが、軌道線である世田谷線を除き、最後まで未利用のまま残っていたのが田奈駅です。2006年7月29日に初めて利用しました。これで鉄道線の全駅の利用を済ませたことになったのです。その後、同年の8月15日に世田谷線の全駅を、9月19日に横浜高速鉄道のみなとみらい線(横浜~元町・中華街)およびこどもの国線(長津田~こどもの国)の全駅を踏破しました(こどもの国駅は小学生時代から何度か利用しています)。

 緩やかな登り坂の両脇に住宅が並ぶという、いかにも田園都市線の沿線らしい風景です。車で通ったことがないのでよくわからないのですが、この道を奥のほうに進むと榎が丘や青葉台駅のほうに行けるはずです。江田駅の西側によく似ています。

 こどもの国通りを歩き、国道246号線の近くに出てみました。奥の集合住宅は国道からもよく見えます。詳しいことはわかりませんが、青葉区と緑区との境界が近くにあるようです。正確ではないものの恩田川の手前が青葉区、奥が緑区、と考えてよいでしょう。農地は国道246号線を越えて東側にも伸びています。

 写真の奥のほうには国道246号線が通っているのですが、そのように思えない光景です。右手奥の集合住宅と手前の農地などが、横浜市の青葉区および緑区らしい風景を構成している、とも言えるでしょう。

 今回はCanon EOS Kiss X5を使って撮影したのですが、天候が悪かったからか、撮影者の技術が未熟に過ぎるのか、カメラの性能なのか、他の理由によるのか、第463回~第465回で取り上げた兵庫島の風景(2月4日撮影)に比べても不満の残る出来になりました。もっと研究しなければなりません。動画も、Canon EOS Kiss X5よりSONYのNEX-5やDSC-W380のほうが撮りやすいので、使い分けが進みそうな気もします。私としてはCanon EOS Kiss X5を使い倒したいので、今後も試行錯誤を続けていくこととなるでしょう。

 さて、田園都市線で残った駅は、あざみ野、藤が丘、青葉台、つくし野、すずかけ台、南町田、つきみ野、中央林間となりました。次はどこを取り上げるか。それは私にもわかりません。


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