今回は、北陸鉄道浅野川線の起点、北鉄金沢駅の様子です。
ここを訪れたのは、1989年の夏以来、25年ぶりのことです。当時は地上にあり、JR金沢駅の脇にある小さな駅でした。旧型の車両ばかりが走っており、終点の内灘まで乗った時には恐る恐るという感じで小さな橋を渡るなど、施設も老朽化していたように記憶しています。現在は、金沢駅東口の広大な地下道(地下街となっていないのが勿体ないと思われます)の一角に、やや目立たない形で設けられています。
駅が地下化されたのは2001年3月28日のことです。これは金沢市の都市計画に基づくものであったようです。地方の中小私鉄で地下区間・地下駅は珍しいもので、北鉄金沢駅は二例目となります(最初の例は長野電鉄長野線の長野⇔善光寺下です)。どうせ地下化するのであれば、浅野川線を中心部(武蔵ヶ辻、香林坊など)へ地下線として伸ばし、石川線の野町までつなげることができたら、などと思うのは空想に過ぎないのでしょうか。
地下化と言いますが、単純に地上の路線を地下に移せばよい、というものではありません。一つに車両の問題が生じます。東京や大阪の地下鉄や私鉄に慣れている方にはわかりにくいかもしれませんが、地下線を通る車両には不燃化基準が適用される必要があります。しかし、当時の浅野川線にはその基準を満たすような車両がなかったのでした。そこで、1996年、北陸鉄道は京王帝都電鉄(現在の京王電鉄)の井の頭線で運用されていた3000系を購入することとしたのです。北陸鉄道では8000系となりました。なお、8000系の導入に伴い、架線の電圧も600Vから1500Vに改められています。
8000系には片開き扉のものと両開き扉のものがあり、片開き扉は8800番台(3枚目の写真)、両開き扉は8900番台(4枚目の写真)となっています(京王3000系の初期製造車は片開き扉でした)。
浅野川線は、浅野川電気鉄道により、1925年に開業した路線です(当時は七ツ屋⇔新須崎)。その後も部分開業を重ね、1929年に金沢駅前(現在の北鉄金沢)⇔粟ヶ崎海岸の路線となります。その後、1945年に浅野川電気鉄道が北陸鉄道に併合されています。1974年に内灘⇔粟ヶ崎海岸が廃止され(それ以前から休止していたようです)、現在の北鉄金沢⇔内灘の路線となっています。
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