ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2012年5月、名古屋市営地下鉄・名古屋鉄道(その2)

2017年03月25日 00時00分00秒 | 写真

 (以下は、「待合室」第491回として、2012年8月18日から同月25日まで掲載した記事の再掲です。なお、一部を修正しています。)

 名古屋市の中心部で宿泊し、朝を迎えました。利用したホテルは、地下鉄の丸の内駅と伏見駅の間にあり、どちらから歩いても近い場所です。ただ、丸の内駅の場合、桜通線を利用するには便利ですが、鶴舞線に乗るにはやや不便な構造です。そこで、伏見駅から鶴舞線に乗り、終点の赤池で降りてみることとしました。

  鶴舞線は、名古屋市西区にある上小田井駅から日進市にある赤池駅までの路線です。上小田井から名鉄犬山線に、赤池から名鉄豊田線に乗り入れます。沿線には大学が多いようです。

 上の写真は、名古屋市交通局に所属する3050形です。鶴舞線が全通して名鉄犬山線との直通運転を開始した1993年に登場しました。VVVF制御車で、桜通線の6000形と基本設計を同じくしているとのことですが、運転台の位置が違っているためか、全く違う車両のような印象を受けます。

 赤池駅から先は名鉄豊田線となります。鶴舞線には赤池止まりの電車もありますが、多くは名鉄豊田線に直通し、豊田市まで走ります。正確に記すならば、名鉄豊田線は赤池から、豊田市の一つ手前の梅坪駅までの路線で、梅坪から豊田市までは名鉄三河線です。

 赤池駅の改札を出て、外に出てみました。典型的な郊外のニュータウンの駅という印象を受けました。その中で、上の写真にある幟が珍しく、興味深いものであったため、撮影してみました。

 背景などは全くわかりませんが、行政指導を求める内容が書かれた幟は珍しいと思われます。私が見かけるのは、たいてい、「●●反対!」という類のものです。それに、表立って行政指導を地方公共団体に求めることも、ほとんどないはずです。

名鉄豊田線に乗るため、赤池駅に戻ります。上小田井行きの3050形が2番線・3番線に停車していました。

 名鉄豊田線の電車に乗ります。もっとも、実際に乗ったのは名古屋市交通局の3000形か3050形でした。ニュータウンなのか否かなのかわからないような風景の中を、かなりの高速で走り抜けます。北海道の千歳線を思い起こさせるような風景もありました。それ以上に気になったのは、車両が悪いのか路盤が悪いのかわからないのですが、揺れが激しかったことです。

 梅坪から三河線に入り、豊田市に到着します。さすがはトヨタ自動車の本拠地で、首都圏で言えば多摩センター駅周辺か立川駅周辺の雰囲気に似ています(聖蹟桜ヶ丘駅周辺にも似ているかもしれません)。とにかくビルが目立ち、郊外型の施設も目立ちます。豊田線や三河線の電車に乗ると、車窓が急に変わるのです。

 豊田市という市名は、トヨタ自動車に由来するそうで、本来は、豊田市の次の駅の上挙母(うわごろも)が示すように挙母(ころも)と言いました。実際に、市制が敷かれた際には挙母市という名称でしたが、1959年に豊田市と改められています。

 企業などの名称に由来する地名は、日本では少なくありません。駅名も同様で、鶴見線の駅の多くは企業名か企業人の氏名に由来しています。東京であれば王子駅と恵比寿駅が代表です。しかし、さすがに地方公共団体の名称となるとほとんどありません。企業名に由来するのは、現在のところ豊田市のみで、他に宗教(法人)に由来する天理市があるくらいです。

 豊田市で名鉄三河線のワンマン運転2両編成と乗り換えました。三河線は、長らく西中金から吉良吉田までの路線でしたが、西中金~猿投(さなげ)と碧南~吉良吉田が廃止されています。また、名古屋本線との乗換駅である知立で系統が分断されており、知立~猿投が山線、知立~碧南中央が海線とも言われています。

 しばらくして、知立に着き、名古屋本線に乗り換えます。上の写真は、犬山線に乗り入れる新鵜沼行きの普通電車として運用される6000系の2両編成です。1976年にデビューした6000系は、名鉄では古参となってしまいました。当時、名鉄には2扉車ばかりで3扉車がほとんどなく、オイルショック後にはラッシュ時を中心に輸送力不足となったために東急から3700系を購入して急場をしのいだという逸話もありました。首都圏や京阪神地区ではほとんど考えられないことです。

 また、名鉄は大手私鉄ですが、編成の短さが非常に目に付きます。私は、これまで、大手私鉄の主要な路線には全て乗っていますが、本線でも2両編成がよく走るというのは名鉄名古屋本線と西鉄天神大牟田線くらいしか思いつきません。しかも、西鉄天神大牟田線の場合は甘木線との直通運転を行うワンマン運転の2両編成であり、宮の陣~大牟田で走っていますが、西鉄福岡(天神)~宮の陣では最も短いものでも4両編成です。名鉄名古屋本線の場合は、名鉄名古屋駅を通る電車であれば4両編成が多いようですが、2両編成もあるとのことです。

 知立から特急に乗りました。終点の豊橋に着き、撮影したのが上の写真です。特急用の2200系で、中部国際空港開業に合わせ、空港線に直通する特急のために製造された車両です。ミュースカイという愛称のある2000系とほぼ同時に、2005年に登場しました。2000系は全車が特別車(特急料金を必要とする)ですが、2200系は一般席の車両も連結されています。

 私が乗った編成は、ポケットモンスター映画15周年のステッカーが貼られたものでした。東京でも見かけないようなものでしたが、すぐに、全日空の筆頭株主が名鉄であることを思い出しました。

 名鉄は、大手私鉄の中でも変わっている点が多い、というのが私の印象あるいは感想です。編成の短さもそうですが、この名古屋本線の営業区間も、非常に変わっているのです。

 名古屋本線は豊橋~名鉄岐阜の路線ですが、このうちの豊橋~平井信号場(伊奈駅の手前にある信号場)はJR飯田線と線路を共用しており、この区間の途中にある船町駅と下地駅に、名鉄の電車は停車しません。豊橋駅も、飯田線と同じホームを利用しているような感じとなっており(番線は別です)、改札も共通です。

 上に記した事情のため、名古屋本線の普通電車は豊橋~伊奈を走りません。従って、豊橋~伊奈を走るのは快速特急、特急および急行のみとなっています。伊奈には(一部の時間帯を除いて)急行しか停まりませんので、日中は30分に1本という間隔となります。これはかなり不便であるように思われるのですが、どうなのでしょうか。

 名鉄名古屋本線とJR東海道本線は完全に競合しており、激しい競争を繰り広げているはずです。しかし、JR東海は利便性を高めるなどして名鉄から乗客を奪っており、とくに名古屋~岐阜では、名鉄名古屋本線の線形が悪いこともあってJR東海が優位に立っています。そのJR東海と名古屋鉄道が、このように線路を共用するというのも、歴史的な流れがあるとは言え、不思議な話でもあります。


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2 コメント

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Unknown (fantasyexpress)
2024-01-04 14:23:00
いよいよ今月から庄内緑地公園駅を皮切りにホームドア設営が始まるようですね。
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情報をいただき、ありがとうございます。 (川崎高津公法研究室長)
2024-01-04 16:11:02
名古屋市営地下鉄でのホームドア設置状況が良くわからないので、情報を書いていただき、助かります。
返信する

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