ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

伊豆高原駅(2010年12月30日)

2015年02月09日 21時19分20秒 | 写真

 伊東から伊豆急行線に乗ると、特急なら次の駅、普通なら5つ目の駅が伊豆高原です。伊東市の最南にあるこの駅は、伊豆急行線の運行の拠点にして、別荘地、伊豆山シャボテン公園などへの玄関口です。今回はこの駅の様子を取り上げます。 

 特急停車駅に相応しく、立派な駅舎です。この建物には「やまもプラザ」という名前があり、小売店や飲食店などが入居しています。中を通り抜けるとバスターミナルがあります。

 2階にONE TWO NINEという無料の展示コーナーがあり、伊豆急行の歴史を語る様々な物品(写真、時刻表、車両の計器類、切符など)が展示されています。

 ONE TWO NINEという名称は、いかにも東急系の会社らしいもので、1、2、9で伊豆急を意味します。意外に御存じない方も多いのですが、渋谷などに展開される109も東急を意味します(10と9に分解してみてください)。

 

駅前には足湯があります。その向こうに広がるのが伊豆高原電車区です。少しばかり、鷺沼検車区を連想させるような風景でもあります。

 伊豆高原電車区には、1両だけ、開業当時からの車両である100系が残されています。両運転台のクモハ103で、事業用車両として現在も在籍しています。かなり褪せていますが、ハワイアンブルーの色彩が残されています。これは、私が読んだ或る本によれば、東急の社長であった五島昇氏のアイディアだったといいます。

 現在の主力である8000系が、車庫で休んでいます。長らく、地味ながらも東急東横線の主力として、また大井町線、田園都市線、時にはこどもの国線でも活躍した、通勤輸送の権化のような車両が、観光路線で第二の人生を送っているのは、妙に思われるかもしれません。

 しかし、伊豆急行線も通勤通学の用途に使われることに変わりはありません。それに、開業当時の数年間、夏季の観光シーズンには親会社の東急から初代7000系や7200系を借り受けて運行していました(旧3000系も荷物電車用として借り受けていました)。しかも、製造されたばかりの車両が、東急ではなく、まず伊豆急行に送られ、夏季の輸送を終えてから東急に入線する、ということもありました。

 逆に、伊豆急行の車両が東急線を走ったこともあります。2100系(リゾート21)が田園都市線などを走ったことは前回に記しましたが、100系も、伊豆急行線開業前に東横線を走行しています。この時は試運転あるいは教習だったようです。

 伊豆半島は、私自身にとって決して無縁の場所ではないのですが、あまり訪れる機会がなく、伊豆急行線を利用したのも上の写真を撮影した2010年12月30日が初めてのことでした。JR伊東線も、幼稚園児か小学生の時代に数回乗っただけで、やはり2010年12月30日に30余年ぶりに利用したのです。これまでは車で行くことのほうが多かったのですが、伊豆急行線を利用するほうが楽しいことがわかりましたので、機会を見つけて再訪したいと考えています。

 (2013年4月16日から23日まで、「待合室」第521回として掲載)。


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