ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

第5回 行政法上の法律関係

2020年04月30日 00時01分00秒 | 行政法講義ノート〔第7版〕

 権利主体相互間に生ずる法律上の関係を、法律関係という。このように定義づけたとき、「行政法関係」とは、行政法によって規律される法律関係のことである。行政法上の法律関係ともいう。ここで再び、公法と私法との区別が問題となる。まず、公法と私法との区別を前提にして、議論を進める(なお、両者の区別は相対的であるというのが一般的である)。

 行政上の法律関係という場合、公法関係と私法関係とが存在することが基礎となっている。私法関係が私人相互間の関係におけるものと同一の規律による支配を受ける関係であり、これが一般的であるとするならば、公法関係は特殊なものである。そして、公法関係は権力関係と管理関係とからなる。

 (1)公権論

 国や地方公共団体と私人との間に権利が存在する(憲法における基本的人権は、まさにこの類のものである)。この権利を公権という場合もあるが、普通、公権は私法上の権利(私権)と異なるものという意味において用いられる。

 代表的な見解によれば、公権とは「公法関係において、直接自己のために一定の利益を主張しうべき法律上の力をいう」〈田中二郎『新版行政法上巻』〔全訂第二版〕(1976年、弘文堂)24頁〉。私人が自らの利益として主張しうる点において、「法が単に国又は個人の作為・不作為を規定していることの結果として生ずる反射的利益」とは区別される〈田中・前掲書84頁〉。国家的な公権として、警察権、課税権、統制権などがあげられ、個人的な公権として、参政権、受益権、自由権、平等権があげられる。以上は基本的人権と類似する分類であり、受益権は行政訴訟を提起する権利、生活保護請求権などを含む。

 公権は、公益上の見地から与えられるものとされる。そのため、公権が有する特色として、相対性(絶対不可侵性を有しない)、放棄不能性(不行使は自由であるが、放棄することはできない)、専属性(他人に移転したり、その権利を差し押さえたりすることは許されない)があげられる。

 しかし、この公権論は、現在、それほど強力に主張されている訳ではない。第一に、公法・私法二分論の妥当性に対する疑問があげられる。第二に、公権に独自性を認めがたい。例えば、相対性は、土地所有権などの私権にも見られる。専属性というのであれば、親権や夫婦間の権利にも認められなければならない(認められないとしたら訳のわからないことになる)。第三に、その内容が豊かでないことがあげられる。手続法上の権利(申請、聴聞、文書閲覧などに関する)なども、現在においては認められる傾向にあるし、認められなければならない。

 (2)権力関係と管理関係

 公法関係は権力関係と管理関係とからなることは前述した。ここで両者について説明する。

 権力関係(支配関係ともいう)は、国または公共団体が、法律上、優越的な意思の主体となって相手方たる私人に対するものであり、本来的な公法関係とも称される。行政行為などに見られる。「公権力の行使」とは、行政庁が私人に対して、法律に基づいて一方的に計画し、命令し、給付し、一定の法律関係を形成し、指導し、強制する活動の総称である。個別的な行政法規に、根拠規定を必要とする。行為規範を欠く場合、あるいは行為規範に違反する公権力の行使は、違法であって、効力を生じないのが原則である。

 或る行政作用が公権力の行使にあたるか否かの判定は、公権力の行使については、実体法上「法の規則」が強く要請される(行政行為論の中心的課題)、公権力の行使は、手続法上「行政手続」の要請に応ずるものであることを要する、公権力の行使は、「抗告争訟」(抗告訴訟、行政不服申立てなど)の対象となる、という三点と関連する。

 管理関係は、伝来的な公法関係とも称され、国または公共団体が公的事業または公的財産の管理主体として私人に対する場合を指す。この場合、私法関係に類似するが、公共の福祉との関係上、私法関係と異なる法的規律に服する。行政作用法において、民商法に見られない特例が多く設けられる他、行政救済法において、行政事件訴訟法第4条・第39条以下に定められる当事者訴訟が用意されている(もっとも、あまり活用されていない)。

 一応は上記のように説明できるが、先にも触れたように、権力関係だから民法の適用が排除されるという訳でもなく、管理関係だから民法の適用が排除されないという訳でもない。

 (3)特別権力関係論

 租税関係など、国民一般が国や地方公共団体の権力に服する関係が存在する。これが一般権力関係である。これを前提とするならば、特別権力関係とは、特別の公法上の原因(法律の規定または本人の同意)によって成立する、公権力と国民との特別の法律関係をいう。特別権力関係の理論は、公務員の勤務関係、国公立大学の在学関係、在監関係など、性質の異なる法律関係を、或る国民が公権力に服従するという関係として捉えている(それがそもそも問題である)。

 特別権力関係の中身として、公権力は包括的支配権(例、命令権、懲戒権)を有するから、個々の場合には法律の根拠がなくとも私人を包括的に支配できる(ここから、法治主義の排除ということが導かれる)、公権力は、私人に対し、一般国民として有する人権を制限できる、この関係の内部における公権力の行為は原則として裁判所の審査に服さない、と主張された。

 しかし、日本国憲法の下で、「特別権力関係」論はそのままで維持されえない。日本国憲法の下、実務上は修正された特別権力関係理論が維持されているが、最高裁判例は、行政事件訴訟の限界という観点から、特別権力関係を体系的かつ包括的に措定していない。むしろ、一般的外部関係に対する意味での個別的内部関係ないし部分社会的関係の存在を肯定しているにすぎないように見える(もっとも、特別権力関係を完全に否定しているとも言えない)。こうしてみると、「特殊自律的内部関係」は、公法私法の区別と無関係に、学校や宗教団体などの内部における自治自律的関係ないし専門的技術的関係から、一般社会の外部的関係と区別されて取り扱われるものであることになろう。

 ●公務員の人権

 国家公務員の政治活動の自由は、国家公務員法第102条および人事院規則14-7により制限されている。また、公務員・国営企業職員は、労働基本権が制限される(国家公務員法第98条第2項、地方公務員法第37条、国営企業労働関係法第17条など)。具体的には、警察職員・消防職員・自衛隊員・海上保安庁・監獄に勤務する者には、労働基本権全て(団結権・団体交渉権・争議権)が否定される。非現業の一般公務員には、団体交渉権と争議権が否定される。郵便などの現業の公務員には、争議権が否定される。

 初期の判例は、「公共の福祉」および「全体の奉仕者」を理由として、簡単にこれらの制限を合憲としていた(特別権力関係論の影響であろう)。最大判昭和41年10月26日刑集20巻8号901頁(全逓東京中郵事件)は、公務員の労働基本権を尊重する立場を採った。この流れは、最大判昭和44年4月2日刑集23巻5号305頁(都教組事件)にも受け継がれた(合憲限定解釈を用いた)が、最大判昭和48年4月25日刑集27巻4号547頁(全農林警職法事件)によって再度転換された。この判決は、一律かつ全面的な制限を合憲とした。また、公務員の政治活動の自由に対する制限については、最大判昭和49年11月6日刑集28巻9号393頁(猿払事件)がある。

 しかし、公務員の人権は、法律や条例により、勤務条件(俸給など)が詳細に規定されている。労働基本権の制約についても、法律の規定に基づいているのであり、特別権力関係によって説明する必要はないと思われる(特別権力関係理論の影響を否定しえないとしても)。

 もっとも、最大判昭和29年9月15日民集8巻9号1606頁、および最二小判昭和32年5月10日民集11巻5号699頁※は、公務員の勤務関係が特別権力関係であることを肯定する。その上で、このような関係の下で懲戒処分や専従休暇不承認処分を、司法権審査が及ぶものとした。その条件として、裁量者による処分が事実無根かあるいは著しい濫用と認められるとき、法的統制の実効性を保障する必要があるとき、としている。

 前掲最大判昭和29年9月15日および最二小判昭和32年5月10日は、公務員の懲戒処分と裁量審査との関係におけるリーディングケースでもある。最三小判昭和52年12月20日民集31巻7号1101頁(Ⅰ―80。私が解説を担当している)も参照されたい。

 ●在監関係

 在監関係についても、憲法第18条および第31条により在監者にも基本的人権が保障される以上、特別権力関係がそのまま妥当すると考えるべきではない。しかし、在監者に基本的人権が全て保障されるという考え方は、常識にも反するし、懲役などの目的などとも矛盾する。在監者の基本的人権を制限する目的は、拘禁と戒護(逃亡・証拠隠滅・暴行や殺傷の禁止・規律維持など)そして受刑者の矯正教化ということを達成するためにあるから、その範囲における必要最小限度の制限が必要である。

 この点に関して、最大判昭和45年9月16日民集24巻10号1410頁は、喫煙の禁止を定めた監獄法施行規則第96条の法律上の根拠が問題となった事案に対し、監獄法施行規則第96条を憲法違反でないとしたが、このような制限は法律で定めるべきであるという批判が強い。

 「よど号」ハイジャック記事抹消事件最高裁判決(最大判昭和58年6月22日民集37巻5号793頁)は、監獄内における規律・秩序が放置できない程度に害される「相当の具体的蓋然性」が予見される限りにおいてのみ、監獄長による新聞記事抹消処分が許されるとの基準を示したが、その判断について監獄長の裁量判断を尊重している点には問題もある。その他、監獄法第50条・同法施行規則第130条による「信書の検閲」は憲法第21条に違反しないとする判決もある(最一小判平成6年10月27日判時1513号91頁)。

 ●地方議会の内部規律

 自律的な法規範をもつ社会ないし団体において当該規範の実現を内部規律の問題として自治的措置に任せるのを良とし、裁判によって判断するのを適当としない事柄が存在する。最大判昭和35年10月19日民集14巻12号2633頁(Ⅱ―152)は、こうした見地から、地方議会議員に対する出席停止という懲罰議決は司法審査の対象外とした。なお、除名の場合は、議員身分の喪失(ある意味で一般社会との外部的関係である)に関する重大事項として司法審査が及ぶとする。

 ●大学と学生との関係

 国公立・私立を問わず、学校は学生の教育という特殊な目的を有する。よって学校は一般市民社会と異なる部分社会である。そのため、その目的の達成に必要な限度内において(法令がなくとも)学校側に包括的支配権が認められ、教育的裁量が認められることについて異論はない。また、私立学校の利用関係は私法上の契約関係であることは、争いのないところであろう。国公立大学については、特別権力関係と解するのが通説である。これは、国立または公立大学が営造物(公共施設)であることからみれば、例外であることになる。最大判昭和29年7月30日民集8巻7号1501頁、最小三判昭和52年3月15日民集31巻2号234頁(Ⅱ―145)は、単なる単位認定が司法審査の対象外であり、一般市民秩序と直接の関係を認められる特段の事情があるときのみ、司法審査が及ぶとする(懲戒処分についても同様)。

 

 ▲第7版における履歴:2020年4月30日掲載。

 ▲第6版における履歴:2015年11月11日掲載。

              2017年10月26日修正。

                                    2017年12月20日修正。

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2006年7月31日、不動前駅(その2)

2020年04月30日 00時00分00秒 | まち歩き

 今回は、次の記事の再掲載です。なお、基本的な内容を変更しておりませんが、文章の一部を修正しています。

 第195回:「東急目黒線途中下車(5) 不動前駅(その4)」(2006年11月27日〜12月2日掲載)

 第196回:「東急目黒線途中下車(5) 不動前駅(その5)」(2006年12月2日〜22日掲載)

 第200回:「東急目黒線途中下車(5) 不動前駅(その6)」(2007年1月9日〜22日掲載)

独鈷の滝の続きからです。

 

 

 

 この道路はバス専用道です。上の写真の右側に目黒不動前バス停が写っています。

 実は、この時まで、山手七福神なるものを知りませんでした。目黒不動尊である滝泉寺から、東急目黒線(看板には「目蒲線」とあります)・東京メトロ南北線(都営三田線)の沿線にあることがわかります。大鳥神社から権之助坂を登り、自然教育園から日吉坂上を通って清正公前(上の写真では毘沙門天のある覚林寺)までの道路は、私自身が自動車で何度も通っているのです。覚林寺に入ったことはありますが、他の所には入ったことがありません。上の看板によると、瑞聖寺は白金台駅の近くにあるようです。そして、清正公前は、白金高輪駅の近くです(元々も、駅名も清正公前とする予定だったそうです。そのほうがわかりやすいと思うのですが)。

 恵比寿というと、山手線の恵比寿駅を思い起こされる方が多いと思いますが、実は、恵比寿という駅名の由来は、皆様もよく御存じのビールの工場なのです。

 

 

 

(2)

 目黒不動尊の西側の入口です。ここの路線バスは、この専用道路以外にも道幅の狭い所ばかりを走るため、小型の車両を使っています。実際、渋谷駅東口から五反田駅まで通しで乗ったのですが、目黒通りの元競馬場バス停の先から、「本当にこんな道にバス路線があるのか」と疑いたくなるような道が続きます。この専用道路を抜け、桐ヶ谷斎場の前を通って荏原一丁目の先で中原街道に出るまでは、住宅地の中を通っていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

(3)

 今回は、目黒不動尊を出て、不動前駅まで歩いていきます。

 目黒不動尊を出て、下目黒の商店街を歩いていきます。川崎市など、郊外では見かけなくなった子ども向けの遊具が、都内ではまだまだ残っています。のんびりした雰囲気の商店街も、都内には多いのですが、郊外ではあまりみかけません。

 目黒不動尊の周囲には、寺院が多く存在します。脇道を入って中に入らなかったので、よくわからなかったのですが、いい雰囲気ではあります。また歩いてみたくなる街です。

 しばらく歩くと成就院の前を通ります。蛸薬師とも言われています。蛸を多幸と引っ掛けるという洒落は、やはり日本語ならではの粋なものですが、最近はこういう洒落心がみられなくなりました。余計な話ですが、私は、九州に住んでいたせいか、よく福岡へ行くせいか、河豚のことを「ふく」と言います。言うまでもなく、福に引っ掛けた洒落です。下関から福岡にかけての言い方です。

 電車であろうが自動車であろうが、都内に行く度に、目黒区は必ず通ります。自由が丘、碑文谷などへ行くこともあります。しかし、この付近を通ることはあまりありませんので、蛸薬師のことは知らなかったのでした。そこで、入ってみました。 

 

 

 

 

 山手通りが見えてきました。そろそろ、この商店街も終わりです。その手前の交差点を右折し、不動前駅に戻ります。

 

 不動前駅通り商店街に入りました。短い商店街です。夕方の買い物時に入っていました。突き当りを左に折れ、すぐに右に折れると、駅に着きます。まっすぐ歩けば1分もかかるかどうか、という距離です。

 目黒線の高架が見えてきました。右側に不動前駅があります。ここから武蔵小杉行きの電車で帰ります。撮影当時は、まだ急行電車がなかったのですが、現在は急行電車が走っており、通過していきます。

 これで不動前駅の回は終わりです。残ったのが、目黒線の起点である目黒駅です。

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