ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2006年7月31日、不動前駅(その2)

2020年04月30日 00時00分00秒 | まち歩き

 今回は、次の記事の再掲載です。なお、基本的な内容を変更しておりませんが、文章の一部を修正しています。

 第195回:「東急目黒線途中下車(5) 不動前駅(その4)」(2006年11月27日〜12月2日掲載)

 第196回:「東急目黒線途中下車(5) 不動前駅(その5)」(2006年12月2日〜22日掲載)

 第200回:「東急目黒線途中下車(5) 不動前駅(その6)」(2007年1月9日〜22日掲載)

独鈷の滝の続きからです。

 

 

 

 この道路はバス専用道です。上の写真の右側に目黒不動前バス停が写っています。

 実は、この時まで、山手七福神なるものを知りませんでした。目黒不動尊である滝泉寺から、東急目黒線(看板には「目蒲線」とあります)・東京メトロ南北線(都営三田線)の沿線にあることがわかります。大鳥神社から権之助坂を登り、自然教育園から日吉坂上を通って清正公前(上の写真では毘沙門天のある覚林寺)までの道路は、私自身が自動車で何度も通っているのです。覚林寺に入ったことはありますが、他の所には入ったことがありません。上の看板によると、瑞聖寺は白金台駅の近くにあるようです。そして、清正公前は、白金高輪駅の近くです(元々も、駅名も清正公前とする予定だったそうです。そのほうがわかりやすいと思うのですが)。

 恵比寿というと、山手線の恵比寿駅を思い起こされる方が多いと思いますが、実は、恵比寿という駅名の由来は、皆様もよく御存じのビールの工場なのです。

 

 

 

(2)

 目黒不動尊の西側の入口です。ここの路線バスは、この専用道路以外にも道幅の狭い所ばかりを走るため、小型の車両を使っています。実際、渋谷駅東口から五反田駅まで通しで乗ったのですが、目黒通りの元競馬場バス停の先から、「本当にこんな道にバス路線があるのか」と疑いたくなるような道が続きます。この専用道路を抜け、桐ヶ谷斎場の前を通って荏原一丁目の先で中原街道に出るまでは、住宅地の中を通っていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

(3)

 今回は、目黒不動尊を出て、不動前駅まで歩いていきます。

 目黒不動尊を出て、下目黒の商店街を歩いていきます。川崎市など、郊外では見かけなくなった子ども向けの遊具が、都内ではまだまだ残っています。のんびりした雰囲気の商店街も、都内には多いのですが、郊外ではあまりみかけません。

 目黒不動尊の周囲には、寺院が多く存在します。脇道を入って中に入らなかったので、よくわからなかったのですが、いい雰囲気ではあります。また歩いてみたくなる街です。

 しばらく歩くと成就院の前を通ります。蛸薬師とも言われています。蛸を多幸と引っ掛けるという洒落は、やはり日本語ならではの粋なものですが、最近はこういう洒落心がみられなくなりました。余計な話ですが、私は、九州に住んでいたせいか、よく福岡へ行くせいか、河豚のことを「ふく」と言います。言うまでもなく、福に引っ掛けた洒落です。下関から福岡にかけての言い方です。

 電車であろうが自動車であろうが、都内に行く度に、目黒区は必ず通ります。自由が丘、碑文谷などへ行くこともあります。しかし、この付近を通ることはあまりありませんので、蛸薬師のことは知らなかったのでした。そこで、入ってみました。 

 

 

 

 

 山手通りが見えてきました。そろそろ、この商店街も終わりです。その手前の交差点を右折し、不動前駅に戻ります。

 

 不動前駅通り商店街に入りました。短い商店街です。夕方の買い物時に入っていました。突き当りを左に折れ、すぐに右に折れると、駅に着きます。まっすぐ歩けば1分もかかるかどうか、という距離です。

 目黒線の高架が見えてきました。右側に不動前駅があります。ここから武蔵小杉行きの電車で帰ります。撮影当時は、まだ急行電車がなかったのですが、現在は急行電車が走っており、通過していきます。

 これで不動前駅の回は終わりです。残ったのが、目黒線の起点である目黒駅です。


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