JFKの話で何か興味深い記事でも出るのかと思ったのに、今のところ、なんてことはないただのお騒がせしかない模様。個人的にはあんまり大した興味はない。だってアメリカってそういう騒ぎで引っ張る集団じゃん、だから。元々低い期待値が最近もっと下がって、あまり真面目に見ようという気になれない。
で、そんなことより、過去25年は日本にとって本当に手痛い停滞の時間帯で、その上で最後に私たちが得たものは、日本を運営するハンドルさえを失ったようなものだなってところ。ある意味予想通りなのだが、国会さえまともに開く気がない政権を持ってしまった。
で、今日の櫻井さんのシリーズ「ネオコンの世界制覇戦争に取り込まれた日本」はそこらへんの流れを追ってらした。
選挙で安倍政権は「この国を、守り抜く」というフレーズを使ったが、実際は戦争への道を進む
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201710260000/
ウォルフォウィッツ・ドクトリンを受け、1992年にPKO法が公布/施行され、91年には細川護熙政権の諮問会議「防衛問題懇談会」が「日本の安全保障と防衛力のあり方」、いわゆる樋口レポートを発表するが、その内容にネオコンは怒る。国連を中心としたものだったからだ。1994年には武村正義官房長官が解任されたが、これはアメリカの命令だとされている。
日本の国連中心主義を問題にしたのはマイケル・グリーンとパトリック・クローニン。ふたりはカート・キャンベル国防次官補を介してジョセフ・ナイ国防次官補やエズラ・ボーゲルに接触、「日本が自立の道を歩き出そうとしている」と主張、1995年の「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」につながる。
そうそう。ここが最も重要な分岐点というか問題の発覚地点だと私も思います。で、その後、
1997年 日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)
1999年 周辺事態法
2015年 4月 ガイドライン見直し
ガイドラインの見直しは18年ぶり。日本とその周辺の安全確保に主眼を置いてきた日米同盟は、地理的範囲、内容ともに大きく広がり、新たな段階に入る。
http://jp.reuters.com/article/ujp-us-revise-defense-guideline-idJPKBN0NI1NT20150427
この間の日本国内では何が起こっていたかというと、オウム事件以降はひたすら、歴史観、歴史戦などという語で、日本の戦前は悪くなかったブームみたいなものがやってきた。
1995年3月22日 オウム真理教に対する警察の強制捜査
1995年9月 新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論
1996年 新しい歴史教科書をつくる会
1997年 5月30日 日本を守る国民会議、日本を守る会が統合、「日本会議」発足。
並べて考えればわかる通り、これらの歴史認識がどうしたこうしたのブームというのは、日本を戦争向きに、特に大陸国家群への敵意を再度持たせようという試みだった、って話でしょう。
小林よしのりの「戦争論」がこのブームの下地を作ったような感じがあるんだが、この人のこれには全然オリジナリティはなくて、実際にはそれまでの間に、いわゆる保守論壇(というより80年代までに既に極右と認定されていた人々だと思うが)の間にあった筋書き、とりわけ渡辺昇一の著作が元ネタだろうと、最近古谷クンが論証していた。だいたいあってると私も思う。
ネット右翼の「思想的苗床」となった『戦争論』を再検証する
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52990?page=3
で、うかつにも日本国内はそれに乗った。反左翼(=右翼)ばかりでなく、リベラルという名で括られた一群もまた、実のところ、デモクラシーをキーにして、大陸国家群への敵意を醸成している。
どうしてこんなにみんなして乗ってしまったの? それは、アメリカの単独覇権体制が千代に八千代に続くと思ったからではなかろうか。
別の言い方をするなら、ネオコンの世界制覇戦争が成功する、あるいは成功したと思ったんでしょうね。微妙に「歴史の終わり」と言ったタームも関係していると思う。
で、そこで日本の歴史認識が何故問題になるのかというと、1945年以降の大方の日本人は、もうああいうのは嫌だ、あれは失敗だと思っていたため、1980年代後半までの日本人には、積極的に大陸側の紛争に関わっていく気などさらさらなく、むしろ平和と繁栄を構想しようとかいう話の方に圧倒的に向いていた、というのが、これらの次なる動乱を望む人たちにとっては迷惑だったのでしょう。
1945年に終わった日本の戦争とは、最初はロシアを崩して切り取ろうとして失敗(シベリア出兵)、次に満洲を取って中国の統一を阻止しようとして失敗(満洲事変から華北工作、日中戦争)したという戦争で、最終版の対米戦争というのは、その失敗の連続を自ら進んで止める、収拾するということをしたくなかったがために、一か八かで米にかかっていったという成り行きとも言えるでしょう。
だから、それを受ける中国と米、ロシアからすると、真珠湾によって開かれた戦争その自体が、それ以前の日本の大陸での跋扈に対する抗議と懲罰のようなものだ、と考えることもできるだろう。
で、考えてみると、戦後の日本人はこの感じを、言語化してはいないものの、概ねわかっていたようなところがあると思う。総じていえば、いやもう、あれはまずかったっすよ、と受け止めていたその曖昧な言辞が示唆したものは、単なる真珠湾攻撃だけではなかったと思う。あれだけのことをやったんだ、もうあんなことはしないようにしよう、などといいつつ、長くて空間距離の大きな自らの野望の拡大に対して、反省という語を使わぬまでも悔いていたと言っていいのじゃないのかと思う。多くの人は、軍に連れていかれた、お上に連れていかれた、という意識も非常に強かったから、国内のいわゆる右派言論の自己正当化論にも敏感だった。
要するに、日本にとって大事なのは、もうあんなことをせず、極東域が安定して平和ならそれが第一、といった感触を多くの人が持っていた。
実際、ソ連が終わったのなら、上の樋口レポートのようなものが出て来たことを見ても、もう別に極東で膨大な軍を用意しておく必要はないだろうと思った人々は一般人だけでもない。
しかしこれでは、上で櫻井さんが書かれているような、米のネオコン流の作戦、すなわち、ウォルフォウィッツ・ドクトリンを基に軍事力でゆすって世界を制覇するという野望にとっては誠に不都合なことになる。
ということで、日本は悪くない、日本を悪いと言い散らかしたのは日教組だ、コミンテルンだ、そんなものはみんな間違いだという、当時の少なからぬ日本人にとってはびっくりするような言辞が来て、しかし次第にみんなそれに慣れちゃって、その間北朝鮮という妙な問題があって、確かに平和ではないのだと思わせる出来事もあり、2008年あたりからは、大陸国家群が日本を狙っているのだぁ~みたいなモードになってる。
だがしかし、日本の重要性というのは、専ら、the West(現在アメリカが主役)が、大陸を攻撃するための極東の基地としての重要性であって、それがなければ大陸側がわざわざ手間かけて、リソースかけて狙う意味は歴史的にみてもあまりない。
だってそもそも日本というのは、ここを通らないとどこかに行けないという場所でもないし、人数だけは昔からかなり多い口なので攻撃したら面倒が起きるだけだし、現在の世界にとって重要な資源が取れるところでもない。(資源といえば、ゴールド、シルバーをかなり不正と言いたくなる手段で取っていったのは大陸側ではなくて the Westだと思うのだが(笑)。)
だからこそ、実際問題本気で中央集権体制を作ったことは明治までなかった。本気で他国と付き合ったこともない。なんとなく国内がバランスしていればそれでいい以上のことはやっていない。
長い間、大陸側が積極的に日本を攻略したいと考える理由はほぼなかった(元は来たけど、目標達成まで粘ったわけでもない)。あるようになったのは、そこが日本だからではなく、そこが米軍または the West の大陸攻撃拠点になってからでしょう。しかしそれにもかかわらず、ロシア帝国も清帝国も別に日本本体を攻撃して占領するとか、完全属国化しようといった面倒臭い事業にかかわろうとしたことはなかった。むしろ、日本が出ていった先(つまりあっちの領土、または歴史的な影響圏)で紛争が起きてる。
戦前の日本は大陸側のあちこちに日本人を連れて行っていた。1930年代の中国は無論だが、1918年からのシベリア出兵の際に既に民間人を連れ出していた。そして、そこで一般住民が殺されたり、いじめられたりという事態が発生すると、自国民を助けなければならない、自国民が侮辱されているのだ云々を理由として国内で戦意を掻き立てていた。要するに、大陸内に不用意に日本人が入っていっていなければ、何も起きてなかった。
で、これらの直近の25年ぐらいを見渡して思うわけですが、で、ここから一体何をするつもりなんでしょうか。
残ったのは異常に排他的、妄想まみれの人々と、何が何でも与党でいつづけたい、そのためなら何でもする、といった類の人々だけでした、となるんでしょうか。