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泰西古典絵画紀行

オランダ絵画・古地図・天文学史の記事,旅行記等を紹介します.
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アルブレヒト・デューラー版画・素描展 宗教/肖像/自然

2010-12-28 11:46:36 | 古典絵画関連の美術展メモ
 10月に不快なことがあって,版画の蒐集はもういいかなと思い始めていた.もともと彩色されたものの方が好きだし....結局,講演会にもあまり参加できず,シンポジウム前半と,キャサリン・レイ氏のメルボルン国立ヴィクトリア美術館のデューラーなどのコレクションの成立に関するお話だけ聴講した.後者のあらすじは図録の論文にも記されているが,ヘイデン卿の版画コレクション売り立て,オッペンハイマーの素描コレクション売り立て,そして最も重要なのがトーマス・バーロウ卿の極めて質の高いコレクションを直接購入することで形成したとのことである.
 今回遅ればせながら,再度図録を片手に2時間くらいかけて鑑賞してきた.版画は離れて見てもその良さがわかりにくいものであるため,通常の絵画展とは異なって,望むならば数センチの距離にまで近づくことが出来るように配慮されている.
 古典版画は「紙上の」,多くは「白と黒」の芸術であり,絵画などの一点ものと違って少なくとも数十から数百枚刷られ,流布することを目的とされている.では,量産品だから全てが同じかといえば,現代の印刷物とは大いに異なり,勿論版が変われば絵柄も変わるし,一般的には初期ほど磨耗が少なくて質が高く,インクの乗りや拭き跡,傷などを含めば,ほとんど全てが微妙に違っているわけである.これは同じ作品の違う刷りが並べてあればよくわかる.ただし,今回のように,質の傑出したものとすりの悪いものが取り混ぜて展示されていれば,綺麗かそうでないか漠然と感得することはできるし,実際,初回の訪問ではその程度のレベルで見て回ったに過ぎなかった.
 美術展覧会に何を求めるかは人それぞれだが,今回であれば,例えばとくに木版などであれほどの細密表現が出来ることに対する素直な驚き,デューラーの創造性・構成力や観察眼・細部へのこだわりに対する賞賛など,さらには技法の差や刷りの良し悪しについて鑑賞経験を積みいわゆる「違いがわかる」版画通のレベルまで鑑賞力をアップさせることが出来うるならば,展覧会にいくことがファッションであるとか,超有名作品や有名画家の作品群が展示される展覧会に人混みを見に行くのとか,とは異なった鑑賞のあり方を学ぶ良い機会となるであろう.
 実際,人の入りもそれに適度な状況であった.異常な混みようのルーブルや入場指定制のウフィツィ以外なら海外の美術館でもこの程度に作品をじっくり見ることが出来る.

 バーロウ・コレクションに見る刷りの良さは驚くべきものがあり,展示されていた「荒野の聖ヒエロニムス」(エングレーヴィング;1496年cat.132)は現存する唯一の第一ステートで,見て回る中でも傑出していた.同様に「猿のいる聖母子」(エングレーヴィング;1498年頃cat.127)も刷りがよく,「枝を切られた柳の傍らの聖ヒエロニムス」(ドライポイント;1512年cat.133)はこの技法特有の線のにじみ(burr)が随所に色濃く残り,繊細な線が完璧に現れていて,やはり最初期の刷りであることをうかがわせる好例であった.

「荒野の聖ヒエロニムス」cat.132 エングレーヴィング        「枝を切られた柳の傍らの聖ヒエロニムス」cat.133 ドライポイント

 展示されているのは技法で分類すると(数え違えていなければ),素描5点,木版画88点,エングレーヴィング59点,エッチング4点,ドライポイント3点で,メルボルンからの105点,ベルリン国立版画素描館からの素描3点,残りは西美所蔵の49点となっている.木版のうち本が3冊で,そのうち「築城論」1527年の初版本には「要塞の包囲」(cat.147)という彩色木版画が付いており,このようなデューラーの彩色版画は珍しいとのことだが,これ自体はインパクトは弱かった.

 展覧会の構成は第1章「宗教」で,デューラー自身が「三大書物」と称した木版画連作「黙示録」(1498年)「大受難伝」「聖母伝」もバーロウ・コレクションに含まれており,後二者と「黙示録」第2版は全て1511年に出版されている.このうちメルボルンからは木版「聖母伝」が西美に展示されている.これは穏やかで親しみやすい作風で幾何学的に構成された懐古的建築物が遠近法を用いて描かれている.例えば,cat.19「キリストの神殿奉献」やcat.16「羊飼いの礼拝」.後者はcat.18「三賢王礼拝」と画面構成からも対作品になっているようだ.cat.14「受胎告知」の原画と思しきベルリンの彩色素描がcat.1である.また,cat.126「聖家族」のペンによる素描がいいのだが,テーマよりも背景を自然観察に関連させていて,第3章に置かれている.初期ネーデルラント絵画に学んだものという.

「受胎告知」cat.1                            cat.14(反転像)

 木版に戻って,これは凸版であるので,これほど細い線が密に均等に近く描かれているのは驚きである.交差する弧や線のごく一部にズレや途切れかけた部分が僅かにあるし,とくに目の造形は歴史的な木版図像の流れを汲んでいるので,それらを詳細に見れば木版とわかるのではあるが.
 デューラーの木版画は自らが彫ったのではない(原画を描いて優秀な彫師に彫らせた.エングレーヴィングは自作)ということは,ある英語の書物に記載されていたし,先日のデューラーハウスでもオーディオガイドで語られていたが,不勉強なためか,日本でそれが強調されていた記憶がない.研究者や熱心なデューラー蒐集家の方は別にして,一般愛好家の方はご存知なのだろうか?

 「大受難伝」は「興奮に誘う情緒的作風」とのことだが,こちらは西美所蔵品で,不幸にして質の差が歴然で擦れが目立っている.1970年代の西美の購入の質を問われてしまう.当時はデューラーのそれも「大受難伝」を持っていればすごいという時代だったのかもしれないが.西美では連作が完結していなかったため,その後数回の購入で補完していた.
 続いてメルボルンからの木版「小受難伝」が展示されていて,こちらは安心して鑑賞できる.こちらも1511年に出版されており,当代ドイツの伝統的な受難図像を取り込んで構図に臨場感も持たせ一般向けに信仰の用途を想定していると考えられているらしい.たとえば,cat.71の「エマオの晩餐」では,パンを割った瞬間キリストの後光が鮮烈に輝いている.この連作にcat.40-41の「堕罪」「楽園追放」が含まれているのは珍しいと思うが,まず原罪を示すという意図があるのだろう.

「エマオの晩餐」cat.71                     「犀」cat.138(後述)      

 続く「銅版画受難伝」は第二次イタリア旅行直後の1507年から1513年に製作されており,これはデューラーの版画芸術が13-14年製作の後述する三大銅版画で頂点を迎える時期である.ここでは表現は抑制的であり,「小受難伝」と違って王侯貴族や富裕な商人といった蒐集家を対象としていたと考えられているらしい.西美所蔵品だが1989年購入で刷りは良好.

 第2章「肖像」からは「ヴィリバルト・ピルクハイマー」(エングレーヴィング;1524年cat.105)などの髪や毛皮のソフトな質感のほか,多くの肖像画で黒目に映る十字の窓枠が細かく描かれているのが目に留まった.これは解説によるとデューラーの自然観察力の鋭さを示すのみならず,十字架が信仰の顕れであるとか,「眼は心の窓」という人文主義の理念を表すとか.親交のあった人の肖像画に現れている傾向があるのではという意見もあった.また,「神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の凱旋門」(木版;1515-17年cat.109)は49枚を張り合わせた3.4x2.9mの大作で,輸送が大変だったのではないかと思ってしまうが,全部見るのはなかなか大変で,実物の上部は遠めがねでもないと見えず,拡大パネルと解説はありがたかった.第一版が二度に分けて1000部刷られて後,ここに展示されているのは1559年の第2版/刷であるが,版の製作はデューラーのプロデュースにより,版画製作の多くは工房の門弟などが携わっているとのこと.展示品はその性格上ある程度紙の褐色化(焼け)があるのはやむをえないことであろう.
 このほか,ベルリンの右眼瞼下垂の女性の木炭素描,メルボルンの褐色紙に白・灰・黒色木版のキアロスクーロで刷られた肖像画がある.

 第3章は「自然」で,上記ヒエロニムスなどのほか,「聖エウスタキウス」(エングレーヴィング;1501年頃cat.134)も黒ののりと白黒のコントラストが素晴らしく,版画芸術を理解するには,極上の刷りの作品でなければならないことを改めて実感した.さらに,同作品の細部の繊細さと質感は特筆すべきで,たとえば上部の尖塔の周囲を鳥の群れが舞っているが,実物をよく見るとちゃんと一羽一羽が(全てではないにしろ)雁がね形になっているのは図録でも再現できてはいないし,足元の石ころの質感表現はどうだろう.白と黒のバランスがよく,美しさの点だけでいえば三大銅版画を凌駕しているとさえ感じた.

「聖エウスタキウス」cat.134                       「北天図」cat.148

 不肖にしてデューラーを勉強したことが無いので間違っているかもしれないが,作品を見る限り,恐らく1500年の自画像をキリストに模して描いた前後のデューラーは,自身の表現力に並々ならぬ自信を持ち,作品に大いに満足していたのではないだろうか.続く1498年頃のcat.152「海獣」,153「岐路に立つヘラクレス」も秀作で,後者はリーフレットなどに採用されている.
 有名な1515年の「犀」cat.138はインドサイを描いたもので,実物を見て描いたものではないので誤って肩に二つめの角があるのだそうだが,この犀の図像があまりに秀逸でデューラーの高い名声もあって,後世長らくホンモノのサイはこのようだと考えられていたという.ただ先日テレビで見たインドサイにも,この甲冑のようで(皮膚の模様は不明),角以外はそっくりであると思った.そして驚くべきはこれが木版であるということ.銅版と言われても納得しまいそうな線の細かさである.なお,その後の犀の図像の変遷については慶応義塾大学図書館のサイトに述べられている.
 個人的な関心から,1515年の木版cat.148-9「北天図・南天図」は印面43cm角で,ニュルンベルクの天文学者ハインフォーゲル製作の天球図をデューラーが写したとのこと.北天図の四隅には右上から反時計回りでエジプトのプトレマイオス・ギリシアのアラトス(例のアラテアの詩人!)・ローマの占星術者マルクス・マニリウス,バクダッドのアル・スーフィーが描かれている.南天図には当時新発見であった情報がまだ反映されてはおらず,抜けたところがある.

 トリに展示されている三大銅版画「騎士と死と悪魔」「書斎の聖ヒエロニムス」「メレンコリアⅠ」(cat.155-7)は全て西美から出品されているが,木版「大受難伝」で問題提起したので西美の名誉のためにも,これらを含めた98-03年ごろの購入にはコンディションの良いものが多いことを付記しておく.

 版画の展覧会は図録があれば必要十分だ,おなじ印刷物なのだから,と思うのは誤りである.理由は上述したとおりで,コントラストは低下するので白と黒の対比は弱くなり,インクの盛り上がりも紙の状態も再現されないし,微妙なディティールも同様である.ただし今回の図録は小品は拡大して載せてあるため,小品ほど細部が再現されている.明度の設定が悪いとcat.106のように髪の線が図録では薄くかすれてしまう.巻末に作品一覧表がないのが難点だが,裏表紙の中に付録が入っていた.

 この展覧会の作品群はメルボルンからの無償貸与であるそうで,その過程は学芸員の方々の交流から生まれたと聞く.入館料が抑えられているのもそのおかげであろう.ありがたいことだ.展覧会に携われた方々にお礼を言いたい.会期は来年1/16まで.

蛇足:
1.前景に登場する犬やウサギなどは図像学的意味を持つとともに画面に遊び心を感じさせ,その他の小道具にもそれは現れている.
2.1497年頃(例えばcat.118など)のエングレーヴィングに使用されている紙は,一見羊皮紙と見まがうくらいきめが細かいが,どうなのだろうか?どなたがご存知の方はご教示をお願いしたい.
3.cat.99と146にみられる鉄エッチングという技法は,通常の腐食銅版画と比べると,線がやや太め均一に近く独特の印象だった.これを用いたデューラーの意図はどこにあるのだろうか?1516-18年と制作年代が近いので試みとして用いたのかどうか,全集に当たってみたほうがよさそうだ.


3 コメント

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Unknown (わん太夫 (^v^))
2010-12-29 15:52:48
とても詳細な解説ありがとうございました。

先日行ったとき、独協大学准教授の青山愛香先生の講演も聴いてきました。

講演は、デュラーの遍歴時代という演題でしたので、版画についてと言うより、彼の作品全般についてでした。

マルティン・ションガウアーやマンテーニャを手本にしたとか、作品の背景に風景を入れたとか、自然観察を鋭く行ったとかでした。


展示は素晴らしかったですね。

摺りの違いは分かりませんでしたが、

オーストラリアにこれだけまとまった質の高いコレクションがあったのは驚きでした。


今年は、ブリューゲルの版画も見えたし、
来年はレンブラントの版画展もあるようなので、
何か得した気分です。

今回は版画と言うこともあり、作品に近づいて目を凝らして見たためか、観賞後はぐったり疲れてしまい、図録を買う元気はんなく、次回立ち寄った時にでもと思っています。

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Unknown (kuma)
2010-12-29 17:08:44
お疲れ様です。この一年はいかがでしたか?デューラー楽しまれたようでよかったです。聖エウスタキウスは、二年前にも芸大で展示して妙な人気を博していたことを思い起こします。よいお年をお迎えください。
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Unknown (toshi@館長)
2010-12-29 22:08:37
わん太夫さま

 そういえば版画がお好きだったのでしたね!
久しぶりに150点以上もがんばってみてきたし,書き疲れました.
 もっと気楽に鑑賞できれば良いのですが.

 よいお年をお迎えください!

kuma先生

 こちらこそお疲れ様でした.ますますのご活躍を祈り上げます.
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