承前
心待ちにしていた本が先日到着しました.普通のペーパーバックでした.
件のナイル川が血に染まったという第一の災厄ですが,p.114-118を要約すると:
・ナイル川は白ナイル・青ナイル・アトバラ川を支流とする.青ナイルとアトバラ川はエチオピア(アビシニア)北西部の高地から下って,ビクトリア湖からの白ナイルと合流するが,前二者の流域は夏の降水が多いためアスワン・ハイ・ダムが出来る以前には頻繁に洪水を起こし,急流が斜面を下るときRoterde(独語の赤土)を削り取り,ナイルデルタの肥沃な土壌のもととなった.
wikipedia "the Nile"より引用
・赤潮が魚に致死的となることは良く知られているが,海水では一般的ではあるが淡水では知られていない.出エジプト記当時の都はRamesesと考えられ,ここはいまのQantirであるが,同地は河口のナイルデルタで(訳注 汽水域という意味だろう),ここでは魚類には致死性の植物性プランクトン(例えばCochlodinium heterolobatumやGymnodinium brebeが考えられるが,ダムが出来た現在では確認することは出来ない)が赤潮を起こし得る.
・とくに9月ごろには蓄積した赤土と希釈された海水の成分で栄養素が増え,水温も高いことがプランクトンの異常発生を引き起こしたのだろう.
・赤潮によって魚が死ぬのには数日から数週と考えられるが,聖書の記述にある第2の災厄(大量のカエルが陸に溢れる)が7日後に起こったというのは符合する.
記載されているのはこれだけでしたので,おのちゃんさんの指摘されたように毎年起こったことではないの?という疑念には答えられていませんでした.
私の考えではないので,これ以上は不確実ですが,あえて擁護するならば,日本近海でよく見られる赤潮も,大量発生という意味では1990年代にあった米国東部の同国最大の河口域であるチェサピーク湾での赤潮による魚の大量死と同様,頻繁にあることともいえないので,特定の条件下で見舞われたと理解出来るのではないかと思います.
それ以前にもそれ以後の時代にも時々発生していたのかも知れませんが,たまたまそれとモーゼの時代が重なったという見方なら,あながち否定は出来ないといえるでしょう.