泰西古典絵画紀行

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「レンブラント 光の探求/闇の誘惑」展 版画と絵画 天才が極めた明暗表現

2011-03-27 20:26:26 | 古典絵画関連の美術展メモ


 内覧会が中止となって,2週間振りに公開されたため,心待ちにしていたファンが集って,かなり込み合っていた.列に並んだり,空いたところに入りながら約2時間ほどで見て回ったが,各セクションの冒頭ではかなりの行列が出来ているので,数点は見られずじまいである.内覧会でオランダ大使が「版画の展覧会では虫眼鏡を使って細部をみる」ことをお勧めになっておられたが,たとえ比喩としてもそれを可能にするには前回のデューラー展くらいのすき具合でないと辛いところだ.

 展示は油彩画は1階の前半に5点(別に工房作1点,西美所蔵のオランダ絵画から2点参考出品あり),地階に7点と予想以上に多く,素描が3点(1点は帰属作品),版画は100点(同一版画の複数ステートが23点あるので画題としては77点,銅版原版が2点,別に他の画家による版画の展示が冒頭に9点あり)で,展示点数は多いが版画が主なのでボリュームとしては標準的だろう.もし注文を付けさせていただけるのなら,同一画題の作品はできることならもっと隣接していただければ,比較観察・鑑賞がしやすくなるのだが.
 展覧会の位置づけとしては,過去に国内で開催されたレンブラント展の殆ど*は,弟子や師の油彩画作品群とレンブラント(以下,巨匠)の版画群とともに巨匠の油彩画10点足らずが展示されたり,純然たる版画展として企画されたものが多かった.それに対し,今回の切り口は巨匠がキアロスクーロという画面の明暗をいかに探求して行ったかを明らかにするというものらしい.明暗=白と黒とすれば版画が主体となり,そこで巨匠が切磋した版の進化,用いた紙の選択を通して,彼の希求した光と闇が展覧される.特に紙については仕上りの点からも日蘭交流の観点からも和紙に力点が置かれている.

 シュテーデル展がフェルメール一色でPRされてしまうのは心が痛むが,やはり事業としての成功のためにはパンダが必要らしく,この展覧会では油彩画の「ミネルヴァ」や「ヘンドリッキェの肖像」がそれにあたるかもしれない.前者は1635年アムステルダム時代初期の野心的な大作の傑作である.かつてブリヂストン美術館に寄託されていたものだが,いまは米国に渡っており,当時のマッチしていたチロル風のオランダ額とは額が替わってしまっていた.後者はルーブルからで巨匠の愛が感じられる美しい作品で1650年代前半の顔の端正な造形と荒い衣装の仕上げの対照が味わえる.

 このほかの油彩画では,1620年代後半の「アトリエの画家」は予想以上に小品だが,このモチーフとして語るべきことが多い作品で,これは個人的にも初めて見る機会を得た.また最近真筆とされた作品が多く来日しており,すべて過去に一度ならずとも見てはいるのだが,ボイマンスの「トビトとアンナ」のほか,ニューヨークの個人蔵とされる「陰のかかる自画像」「白い帽子の女」などが公開されている.

 展示は四部構成,黒い版画(黒の階調表現)・和紙の使用・キアロスクーロと第4セクションは「三本の十字架」「この人を見よ」の名作2点の製作過程の展示で,図録ではセクション別に編年で通し番号が振られているようだが,実際の展示は必ずしも図録番号順でなく,その中にちりばめられた絵画は,逆にまとまって展示されていたりするので,作品一覧のリーフレットは展示順に改変されていたほうが,作品を追いにくいといったデメリットはなくなるのではないかと思う.また,油彩画や素描はそのような記載があると見つけやすいので親切だろう.また版画のほうは比較するのにステートの記載が欲しい.

 今回も個別にメモを取ってきたので,すべて詳述しても良いのだが,版画の展示を俯瞰した感想を要約すると,
(1)今回の展示では,たとえば,繊細な線から力強い線までが効果的に用いられ豊かな階調が表現されているNo.42「ヤン・シックスの肖像」はとくに表情の繊細さや剣の柄などの質感など絶品(案の定,図録にも拡大写真があるが写真の解像度がやや低く細部がにじんでいるのが残念.これは東京展のみで展示されるとのこと.これだけでも一見の価値は確かにある),このほかNo.17「金を量る人」,No.49・50「病を癒すキリスト」,No.89「善きサマリア人」,No.95「ハガルの追放」,No.96「手すりにもたれる自画像」,No.101「小屋の見える風景」,強いキアロスクーロのNo.15「羊飼いへのお告げ」,No.32「神殿奉献」などに感銘を覚えた.
No.42
 オランダ・バロック館としてもレンブラントの銅版画を蒐集し始めており,現在,聖書のモチーフのライフタイムプリント**を数点ではあるが所蔵している.研究機関では無いし予算も限られるので,技法の変遷を追うことを目的とするよりも,魅力を感じる作品に限定して蒐集すべきであると感じた.
(2)ステートの違いは「キリストの埋葬」No59と60,第4セクションの二作品などによく表れている.刷りの差は紙の差かもしれないがNo.61・62の黒さの違いは驚くべきである.銅版画を実際に製作したことがある人ならばご存知であろうが,インクの拭き残しも関係するし[plate tone:拭き残しを意図的に利用して仕上がりを調整する技法]圧着の強さも影響するであろうし,誰の手によったかは別にしても当時ウォッシュ・レタッチが施されるケースもあったのも確かである.
 制作技法についても,巨匠に特徴的なドライポイントによる加筆仕上げは後期に多用されるようになったこと,さらに,レンブラントは1648年の「病を癒すキリスト」以降,おもに50年代の初め頃[要確認]からプレート・トーンを直接的に活用するようになったらしい.
(3)巨匠は和紙を1647年から1650年代に使用したとのこと.和紙を使用した版では,希少性から高級感もあり,インクののりもよく,やや褐色がかった柔らかな階調で仕上がりにも優れる.とくにハイライト地の色調がくすんだ銀塩の板写真のような光沢を持つと感じた.一般の洋紙では紙がかさついた感じが残る.それをきらってか第4セクションの二作品にはヴェラム(いわゆる羊皮紙)も使われていたようだ.ただ,ヴェラムは硬いらしく,ドライポイントのまくれによるにじみburrの線を保つためにも,より柔らかい和紙を選択するようになったらしい.

* 異論もあろうが,京都の大レンブラント展は巨匠作品が圧倒的に多かった.
**レンブラントの存命中に,恐らく巨匠の監督下で刷られたと考えられる作品.これに対し没後刷りがある.

 今回の展覧会では,殆どがライフタイムプリントであろうと思うが,アナウンスされているようにNo.71-76は没後刷りであることに留意されたい.B194"Het rolwagentje"は赤子の歩行練習とデッサン修練を掛けたモティーフで工房で用いられたらしいが,第2ステートであるNo.74については製作時期について図録の記載がやや不明確なこともあり,E.Hinterding,"Rembrandt Etchings from the Frits Lugt Collection",2008で確認した.No.73のように和紙を使用した第1ステートの例においても版は損なわれており,すでにそれ自体が巨匠の刷りではないと考えられていること,さらに第2ステート以降は巨匠以外の手による修復や陰付けが認められ,紙の透かしの分析も併せると,これらは17世紀末から18世紀に刷られたものであるとのことだった.
 
それ以外の没後刷りの可能性がある作品は少ない.B277「ヤン・アッセリンの肖像」では,No.39のBM所蔵の和紙版第1ステートは素晴らしく,背景のカンバスが消し去られたNo.41の第2ステートも捨てがたい.Hinterding博士によれば第2ステートへは1668年以前に改版されていたことは確実であるが,巨匠による変更かどうかは未解決らしく,余人の手による可能性があるという.図録ではその「可能性が高いと思われる」と書かれていた.さらに,右側のイーゼルの端も取除かれた第3ステートが没後刷りであるのは確からしい.
 また,同博士の業績によって,B270「書斎の学者(ファウスト)」のNo.53のほうは第2ステートだが,ここでは元々のドライポイントによる部分をわざわざエングレーヴィングの細い線で修正している点で,巨匠の手ではない後刷りと解釈されるようになった.
 これらの同定作業は日進月歩の研究課題でもあり,”Rembrandt as an Etcher”('06)や上記('08)以来,Hinterding博士のさらなる新しいレゾネの出版が待たれる.ちなみに美術史学会主催のシンポジウムを楽しみにしていたのだが,流れてしまった.とくに今回の展覧会では紙の話題が取り上げられているにも変わらず,透かしの研究についてはすでに定説であるということだろうが,あまり語られていないのは残念だった.

 第三者の手が入った後刷りが18世紀以降も巨匠の作品として流布し続けている現実がある.たとえば,「窓辺で描く自画像」B.22はNo.44とNo.75として展示されているが,後者のような没後刷り作品だけを見ると下膨れのぱっとしない自画像だと感じてしまうが,ライフタイムの前者を見れば,よりコントラストが高く,かつ右目の眼力を感じる立派な作品であることが分かる.これはある意味,恐ろしいことだ.

No.75と44 このサイズのデジタル画像では良し悪しが分からないのが残念
 いわゆるベイリー版というものがあって,「病を癒すキリスト」についてもNo.76のそれでは18世紀末のベイリー大佐による"修復"改変によって,類型的な線描表現のために人々の表情・感情表現は直截的かつ浅薄になっている.この版を100枚刷った後に,ベイリーは銅版自体を分割してしまった.



6 コメント

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僕も (おのちゃん)
2011-03-29 05:52:52
以前レンブラントのラザロの蘇生を預かって銀行の応接室に飾ってましたが余りに神業のような仕事にビックリした覚えがあります!これを書いている時ちょうどその所有者からやっと連絡がありました!震災の被災者でレンブラントを持って逃げたそうです無事で安心しました
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ラザロの蘇生 (toshi@館長)
2011-03-29 20:16:27
銀行の応接室に飾るとは粋ですね.
無事で良かったでした.
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おのちゃん様 (toshi@館長)
2011-03-30 21:18:09
ちゃんと拝見していますのでご安心ください.

他の方が誤解するとどうかなと判断したときは公開しないほうがいいと思うので,ご容赦くださいね.
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どうも (おのちゃん)
2011-03-30 21:47:52
KYなもんですみませんでも古典絵画は大好きなのでよろしくお願いします〓
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レンブラント展 ()
2011-06-04 00:47:50
やっとのことで、行ってきました。
時間があったので、展覧会アシスタントの高城靖之氏のスライドトークも聞いてきました。このスライドトークは中々よかったです。紙の違いやステートの違いを分からずに、レンブラントの版画を見ても、価値が半減したかも知れません。
大分前にtoshi館長の解説も読んでいたのですが、時間が空き過ぎて、忘却の彼方になっていました。今、再読してみると、もう一度、見に行きたくなります。

それにしても、2005年は「東博の北斎展」vs.「西美のキアロスクーロ ルネサンスとバロックの多色木版画」。今回は「東博の写楽」vs.「レンブラント 光の探求/闇の誘惑」と、版画の鍔迫り合いが激しいですね(笑)。西美の版画のスライドトークは2度とも当りでした。
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鼎さま (toshi@館長)
2011-06-05 16:08:34
 ご参考にしていただいてありがとうございます.

 私も高城先生の解説を一度拝聴させて戴きましたが,要所を押さえた好講演だと感じました.一度お越しいただいたこともありますが,熊澤先生の次の世代のホープとなる方でしょう.
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